第一部 破滅の音

 

 世界は二分されていた。呪術文明国家と、科学文明国家。双方異なる文明の発展をしつつも、資源争いという点においては変わらない。人が生きていくためには潤沢な資材と安全な土地は不可欠なのだから、無理もなかった。

 ゴウトにおける戦線も、他国家と大差はなかった。攻め入らないだけ温厚と言われている程度には、自国内で賄えているだけ良しとすべきか。資源不足の周辺国からすれば、羨ましいことこの上ない視線が諸国同盟会議ではいつも痛い。

「そんなにピリついた顔をするな、コノエ」

「これが仕事です。……カバネ様は、……流石といったところですが」

 何がだ? と不思議そうに首を傾げたカバネに、コノエは何でも、と苦笑いを返す。先月父の後を継いで国王になったばかりだと言うのに、初めての会議の場でも堂々と受け答えをしていた。ここぞとばかりに丸め込もうとしていた諸国は苦い感情を表情の端に滲ませている。コノエとしては、仕えるに値する誇らしい王ではある。

 ふと、空白の席を見やって、カバネは手元のモニターに触れた。

「……使者さえ出す余裕はない、か」

「報告では王都は壊滅。……軍司令部を含めて、国のトップクラスは、すべて」

「……ナーヴ」

 僅かにカバネの声音に、怒りが滲む。コノエも目を細めた。

 先日まで友好国として貿易をしていた国が一つ、たった一晩の内に壊滅した元凶の名が、呪わしい。

 

 宗教呪術国家ナーヴ。科学でもってして反映してきたゴウトからすれば、かの国との戦闘は得体の知れない光景ばかりが繰り広げられる。遠方から業火が襲い、風が弾幕を遮断する。戦いづらい事この上ないが、所詮は物理的にしか人は死なない。炎には耐熱構造を、風には突破する加速度を。発動点たる所謂術者を潰すことで戦況は維持されてきた。数年前に、たった一晩で隣国の王都が陥落するまでは。

「生き残った住民が言うには、大軍が攻め行った様子もなく、ただ皆もがき苦しんで血を吐いて死んだそうです。気象的変化も無し。得意の火炎だの竜巻だのもなく、街と人の原型を留めたまま死に至らしめた、と」

 夕日が差し込む執務室。逆光でカバネの髪も朱色に染められそうだった。じっと報告書を読み込むカバネの言葉を待ちつつ、コノエは沈黙を守る。やがて、カバネはため息をついた。

「……俺は非科学的だと両断するつもりはないが……、それでも不思議ではあるな」

「カバネ様は呪術だなんてもの、信じてるんですか?」

 思わず問いかけたコノエに、カバネはふっと微笑んだ。

「正直良くわからないがな。でも、事象的結果として起きているんだ。在ると思うほかない」

「我が国の上を行く技術を持っていると考える方が、自然では?」

「それならとっくにゴウトも周辺国も制圧されている」

 最適な反論が浮かばず、コノエは口を閉ざす。そもそも、あまり主に意見を言うのも褒められたものではない。思う所はあっても、引き下がるべき場面だった。

「まあコノエの言いたいことも分かる。お前がそう考えているのなら、俺は信じる方でいよう。どちらが正解でも、その方が道が詰まらずに済むだろう」

「……今後の戦略は、いかがなさいますか」

 無駄話は切り上げ、コノエは主に航路を問う。カバネは報告書をデスクに置くと、徐に立ち上がってコートに手を掛けた。

「そうだな。まずは避難民から話を聞かせてもらおうか」

 始まった、と内心コノエはため息をつく。先日まではただの王位継承権第一位程度だった。

 だが、今となっては国長だというのに、今日もカバネは自らの足を使いたがっていた。

 国を喪って途方に暮れる人々は決して少なくない。そのすべてを受け入れることも、国力を考えれば限界がある。先代の王は自国の民の生活を守る為に難民受け入れを切り捨てる事もやむを得ないとしてきたが、カバネはそうもいかない。どうにか軍や行政側のコストをカットしてでも全員を救いたがる。先代の頃から見習いとして国務を見てきたコノエからすれば危ういのだが、カバネが出来ると言えばその気にさせてしまうのだからカリスマというものは本物だ。嫌いではないし、コノエの尊敬する主ではある。時たま暴走するのを止めるのも、コノエの役割の一つだった。

「……泣き声?」

「あぁ……悍(おぞ)ましいもの、でした。街のどこからか……、誰かのすすり泣く声だけが響いて……悪夢を見ているようで……」

「……ふむ」

「子どものように思えたので、とても放っては、おけなくて……。しかし、声に近づこうとすると、足が重くなって……それに、死体も増えていました。怖くなって、逃げてしまいました、が……」

 そう言って咳き込んだ難民の青年に、付き添っていた看護師が目でコノエに訴えてくる。事前に聞いた情報では、彼の体内の損傷が酷く、余り状態は良くないらしい。ここまでよく逃げてきたと褒められるレベルだそうだ。カバネをキリのいいところで止めないと彼の命も危うい。

「カバネ様、今はこれくらいで」

 顎に指を添えて考え込んでいるカバネの後ろへ回り、コノエはそっと進言する。カバネはぱっと顔を上げると、意図を察したか軽く頷いてもう一度ベッドの上の青年を見やった。

「話を聞かせてくれて感謝する。……ゆっくり休んでくれ」

「はい……ありがとう、ございます……」

 踵を返したカバネに続いて、コノエも足早に病室を去る。極力照明の落とされた病院内は、どうにも足元が冷えた。

「……脳に影響する呪術……にしては物理的損傷も大きいな」

「音響兵器の可能性もあります。遮蔽物をやすやす透過するというのは、恐ろしいですが」

「だが、いつも通り焼き払われた跡地を調査しても分かりやすい兵器の残骸はない。同心円状に被害が大きいことを鑑みれば、中心にあるべきものが、だ」

「……それは」

「ああ、押し問答はなしだ、コノエ。どの道俺達は詳しくない。なら、知識を持つ者に聞くのが妥当だろう」

 振り返ったカバネが浮かべた得意げな笑みに、コノエは嫌な予感からため息をついた。

 

 

 悪路にも程があるとぶつぶつ嘆く部下の気持ちが、コノエにもよく分かる。オフロードタイヤを装備した車両ですら悪戦苦闘を余儀なくされる道なき道を走り続けること早一時間。そろそろ座っているのも辛い。

「ほんとに、ホントにこの先に集落あるんですよね隊長?!」

「……地図上では」

「何もなかったら明日から一月休暇もらいますからねオレ! 温泉浸かって酒飲んで緊急招集免除してくださいよ?!」

「むしろ俺がそうしたい……」

 コノエもつい小声でぼやく。可搬形端末のモニターを見やっても、がたがたと揺れるせいでまともに見れない。目的地に近づいているのは、確かなはずだが。ちらりと後部座席を伺うと、腕を組んで微動だにせず寝ているカバネがいる。昨晩も遅くまで報告書やら文献やらを漁っていたようだから、無理もないが。この悪走行で眠れるのは羨ましい。

 車体の外は暗く木々に閉ざされている。空さえ拒絶したような葉の重なりが、気温以上に寒く感じさせた。コノエがジャケットの合わせを直していると、不意に。

「……うわぁ?!」

 急ブレーキと急ハンドル。車体が大きく左に回転して、太い木に突っ込むギリギリで止まった。無意識に止めていた息を吐き出し、ハッと後部座席を振り返った。

「っ、カバネ様!」

 呼びかけたそこには誰もおらず。それどころか扉が開いていた。もしや、外に振り落とされたか。即位して間もないとはいえ国王だ。部下の頭を一発引っぱたいてから、コノエは慌てて外へと飛び出す。踏みつけた地面はぬかるんで、土とは思えない黒い泥がブーツに跳ねた。ホルスターから銃を引き抜きつつ、運転手席側へと回り込む。

 素早く視線を走らせると、軽機動装甲車の後ろで飄々と腕を組んで木々を見つめるカバネをすぐに見つけた。

「カバネ様、お怪我は?!」

「あぁ、ないぞ。コノエとシノも無事か?」

「ありません。シノには後で厳重注意しておきますので、罰はご容赦を」

「叱ってやるな。避けただけ偉いものだぞ、コノエ。よく見ろ」

 眉を顰めたコノエに、苦笑いを浮かべてカバネが指で示す。向かおうとしていた方向。タイヤ痕が大きく逸れたその直前。巨大な岩が鎮座していた。唖然とする。そんな物は、無かったはずなのだが。カバネは愉快そうに笑って、ぽんとコノエの肩を叩く。

「怖いものだな、呪術とやらは」

「頭が痛くなってきそうですよ、俺は」

「ついでに朗報だ、コノエ」

「いえそれは、気付いています」

 そうか、と余裕の笑みで返したカバネの胆力は凄まじいものだとつい感心する。浅く息を吸って、コノエは顔を上げた。右手には拳銃、左手では帯刀していた刀を抜く。

「車内へ、カバネ様」

「その心配はいらない。武器を仕舞え、コノエ」

「それは聞けない命令です」

 コノエは主君を守る為にここにいるのだ。姿が見えないながらも、こちらを見つめる視線はわかる。姿を消す呪術があろうとも、人の気配は早々消せない。少なくとも五、いや十。囲まれているのは確かだ。どう迎え撃つべきか。策を巡らせるコノエの腕を、カバネが掴む。

「コノエ。これは命令だ。武器を下ろせ」

「ですがっ……」

「人の土地に踏み入るのに武器で威嚇して入ることほど、無礼なものはないだろう。アポイントメントも取っていないんだ。最低限の礼儀は通せ」

「……っ」

 軍人として、聞けない命令だった。ここで武器をしまったが最後、一斉に襲い掛かられては流石のコノエも反応が遅れる。主君を護るために身を挺することに対しては迷いはないとしても、無事とは限らない。だが、カバネの瞳は真剣そのものだ。有無を言わせぬ強さがある。意志の強さでは、どうしたってコノエは勝てない。

「……危ないと思ったら俺に構わず逃げてください」

「ああ、それは約束しよう。だがそうなっても、無事に戻れ」

 無茶を言う人だ。しかしそれが命令なら従わざるを得ない。呆れより苦笑いが溢れてしまうのは、カバネの凄さだとコノエは諦めることにした。

 銃をホルスターに、刀を鞘に戻すとカバネが一つ頷く。ざあ、と合図のように木々が鳴った。周囲の気配がざわついた気がして、コノエは思わず鞘に手を掛ける。冷や汗が、頬を伝った。

「……やれやれ、気の強いヤツだよ。こんな何も無いところに一体何の用でお前のような気の強いのが来るかね」

「な……っ」

 上から降った声に、コノエは慌てて周囲を見上げる。軽機動装甲車の上に、彼女は居た。赤のスカーフで口元と髪を覆い、黒の丈の長いローブからは、指先も見えない。首周りと袖口の金属装飾が、風に揺られて細やかな音を立てた。無かった気配。見下ろす眼光は鋭く、じっとカバネとコノエを見下ろしていた。目元と声音から、まだ少女と呼ぶに相応しい年齢のように思えるが、本当のところはわからない。敵意こそないが、その視線で心の中まで覗き込むような奇妙な不安が肌にまとわりつく。

「手紙の返答を待たずして訪れて申し訳ない。待っている余裕がなくてな」

「歓迎はせぬよ」

「構わない。ただ、少しだけ知識をくれ。この世が滅びる前に」

 彼女の目元が、僅かに嫌悪に歪むのをコノエは見逃さなかった。

 

 死霊の郷。ゴウト南部の国境の山間に存在する小さな集落の別名。険しい山間の環境下で、土砂災害も多発する地域とあって人々が安心して暮らすには向いていない土地だった。それでも、遥か昔からそこに住まう人々が、この郷の祖先だという。死者信仰を基盤とした、小さな村。ゴウト国内でもその存在を知らない人間のほうが多いくらいだ。コノエも今初めて現存していたことを知った程度には、伝承のような存在でしかなかった。

「それにしても歓迎されてないですね、隊長」

「言うな。俺が一番胃が痛い……」

 小声でシノのぼやきに返しつつ、コノエはため息を飲み込んだ。軽機動装甲車は村の武装した男達が囲み、武器の類は装甲車の中に置いてくるよう命じられた。完全な丸腰だ。心細くもなる。独特の香りのする煙が充満したテント内。炎を挟んで先程の彼女とお付きらしい幼い子どもが彼女の左右に座っていた。二人とも目隠しをされていたが。

「では改めて自己紹介をさせてもらおう。カバネだ。ゴウトの新米の王。よろしく頼む」

「お前の名など無価値だ。我らの生活に不可侵の協定を忘れたか、ゴウトの長よ」

「交流くらいは許されるだろう。移民の相談に来たわけではない。ここはそういう場所だと心得ている」

「……まあいい。して、術など使えぬお前たちが何をしに来た? 教えを請うた所で、ただの与太話と笑われるだけだぞ、国長」

「ナーヴの呪術は本物か、知りたくて来た」

 カバネの率直な切り込み方に、コノエはひやりとする。彼女は目を細めて、カバネをじっと見つめていた。カバネの後ろに座るコノエからは、カバネがどんな表情でそれを受け止めているのかが不安になる。

 数秒か数分か、沈黙が煙に混じって揺蕩う。

「……アレは、まさに呪いだな。当人さえいつかは呪い殺すだろうて」

「知っているのか」

「私は特に耳がいいのでな、ここの郷以外の声も拾える。まあ、私達にとって他などどうでもいいことだ。ここで暮らしてここで死ぬ、それが私達の運命だからな」

「生きるための力は、いつでも貸そう」

 カバネの言葉に、ふっと彼女の目が笑う。どこか諦観の過ぎったそれでは、あったけれども。

「国長らしい言葉だな。……期待せずにいるよ」

「ああ。その為に、もう少し知識をくれると助かるが」

「お前が欲しているのは呪いへの対抗だろうが、難しいことは一つもあるまい。呪術もお前達の武器も自動で敵を殺しはしない。使い手がいる」

「もちろんそう思っている」

「なら、他に何を知る必要がある? お前はすでに、答えを得ているのではないか?」

 彼女の言葉に、カバネは答えなかった。それは恐らく肯定の意で。コノエが過ぎった答えとカバネと同じならば、それはコノエですら憤りを感じるものだ。何も言わないために、コノエは奥歯を噛みしめる。予測されるカバネの行動を、コノエは補佐として冷静に見極める必要があった。

 

 帰路につく前に、目隠しをされていた子ども二人がコノエには分からない言語を紡ぎながら、軽機動装甲車の周りをくるくると三周するのを見届けた。何が起きているのか分からず、ただ待ちぼうけていると、好奇心に負けないカバネが集落の代表たる彼女へと気軽に質問をぶつけていた。曰く、帰り道に迷わない呪文、だそうだ。入るにも出るにも、ここには簡単に立ち入らせないということなのだろう。この集落について伝聞が少ないのもこういった儀式の結果かもしれない。カバネや自分達が彼女らの機嫌を損ねていたら無事に帰還できなかった可能性も高いと思うと、恐ろしくもなる。

 子どもたちが一礼をして、長―曰く巫女だそうだが―の彼女の背後に回る。長い黒のローブの裾を揺らして、彼女は軽く腕を広げる。

「それでは獣には気を付けて帰れ。この辺りの獣は飢えていて、なかなかに凶暴だからな」

「崖から転がり落ちたり、岩に激突しないように祈っていてくれ」

「それは断る」

「そうか、残念だ。……最後に名前を聞いても?」

「それこそ断る」

 彼女は彼女で、カバネ並に頑なだった。ついコノエは笑いそうになって慌てて目をそらす。無事に帰還するために、ここは堪えなければならない場面だ。カバネは肩をすくめて、深々と頭を下げた。

「知識の教授に感謝する。この村に安息と平穏を」

「閉塞と拒絶で事足りるわ」

 どこまでも平行線のようだった。カバネは気にした様子もなく踵を返すとシノがハンドルを握った軽機に乗り込む。コノエも一礼して、踵を返す。

「……呪いに負けぬようにな」

「え?」

 思わず振り返る。だが、そこにはただ木が並ぶだけだった。人の姿はすでになく、気配もしない。最初から何もなかったような木立があるだけ。息を呑んだコノエに、ふと。

「隊長ー? 何ぼーっとしてんですかー! 置いてきますよー!」

「い、今行く……」

 呼びかけたシノの声に縺れそうな足でこの場を離れる。狐に化かされるとは、こういうことか。背中が冷えて、剣の鞘に触れた手は震えていた。

 助手席に乗り込んでシートベルトを締めていると、ふっとカバネが笑う。

「はは、妖怪の類に遊ばれたのかもしれないな、俺達は」

「はぁー……、俺はもう二度とここに来たくないですよ」

「安心しろ、コノエ。二度とここへ踏み入ることは出来ないだろう。そういう呪(まじな)いだよ、さっきのはな」

「ひぇぇ、無事に帰れますかね、オレ達……」

 震えつつエンジンを掛けたシノに、カバネは軽く頷いて窓の外を見やった。

「ああ、それは信じていい。何しろ、俺が帰らないと王の行方不明と大騒ぎで国中大捜索が始まるからな。そんなことは、彼女達が一番忌むことだ。獣一匹、雷ひとつ出会わず帰還できるだろう」

 飄々と言ってのけるカバネの自信が、コノエにとっては羨ましいと同時に頭の痛い問題だった。

 

 

 国境線の警備に異常なしの報を一通り受け、コノエは最終報告へとカバネの元へ向かう。この時間なら執務室で報告書を読んでいるはずだ。空は既に星が瞬いて、街の灯は今日も暖かく通りを照らしている。ゴウトの王都は、平和なものだ。これがずっと続くように守備するのがコノエの役割でもある。灯りを見ると、つい口元が綻んだ。前線では緊張感が張り詰めている分、穏やかな空気には安堵で心が解ける。

 王の執務室の扉の前に立ち、ノックしようとして……ふとコノエは眉をひそめた。嫌な予感がした。これは兵士としての勘というよりは……一従者としての勘だが。

 無礼とは分かりつつ、ノックなしに扉を開けた。

「……あ」

「あ、じゃないですよカバネ様」

 案の定と言うべきか。軽装に着替えた上、外套を羽織ったカバネと視線がぶつかった。腰元の膨らみに、確実に持ち慣れた二本のナイフの鞘を吊っている。コノエは殊更大きく溜息をつきながら、後ろ手に扉を締めた。

「夜遊びはやめてください、カバネ様」

「安心していい。花街には行かない」

「当たり前ですよ! いやもう……大体考えは読めてますが……あぁもう……」

「そうか、分かってくれているなら話は早い。見なかったことにしてくれ」

 けろりと笑ったカバネに、さっきよりも深いため息をついてしまった。いや、つかずにはいられないが。

「……どうせナーヴに行ってくるつもりなんでしょう」

「何、散歩だ。他国を知るのも外交の上では必要な教養だぞ、コノエ」

「外務省経由で手続き踏むという方法を投げ捨てないでください」

「そういえばそうだ。コノエは賢いな」

 からりと笑うカバネとて、分かっていての行動だろう。知識量も頭の回転速度も、圧倒的にカバネが上だ。冗談で言っているのは明白で、頭が痛い。カバネはコノエの心労など気にも止めず、外套のフードを被った。

「まぁ、見逃してくれ、コノエ。一週間で戻る。約束しよう」

「いえ駄目です」

「俺を力づくで止めるか? 稽古でのコノエの勝率、確か一割だったはずだが」

「一応警備隊長としてのプライドはあるので抉らないでくださいよ! はぁもう……決めたら聞き入れてくれないのは分かってますから。……同行を許可してください。それが俺の警備担当としての最大限の譲歩です」

「それなら喜んで許可しよう。……すまないな、コノエ。ありがとう」

 ふっと寂しげに微笑んだカバネには、勝てない。国長としての教育を詰め込まれてきたカバネの窮屈さは、コノエとて多少は知っているから尚更だ。ワガママ……と言えばそこまでだが、それもこれも正義感と国長としての使命感が背中を押している。自分までカバネを玉座だけに縛り付けておくのは、やはり心苦しさが勝っていた。

「明日の朝一番、日が出る前に出立出来るようしておきますから。……上手い嘘考えておいてください。大臣に怒鳴られるのは俺なので、せめてそれくらい部下のために知恵を出してもらいたいですよ、俺は」

「何から何までいつも悪いな。その内コノエには楽な生活をプレゼントしてやる。楽しみにしていてくれ」

「期待しないでおきます」

 多分そんな日は、カバネが王の座を譲る時まで来ないだろうが。一礼して、執務室を後にする。どうやら今日は朝日が上るまでベッドに戻ることは難しそうだった。

 

 荷台から見上げる空は、どこの国だろうと変わらないらしい。今のコノエはまぶたが完全に降りる寸前ではあったが。

「寝ていたらどうだ、コノエ。夜半には着くだろう」

「いえ……一応警備としての、プライドが……」

「真面目だな。野盗程度ならコノエが寝ている間に片付けておくから安心していい」

 それは間違いないが。薄く笑ったものの、ふと心につかえていた問いが込み上げる。

「……カバネ様」

「何だ?」

「アークの新型兵器が本当に呪術という超常の力だとして、その中心にあるのは……人間だと、……子どもだと、本当に思いますか」

 カバネは即答しなかった。沈黙のまま、空を流れる雲を見つめていたコノエの傍らで、カバネはフードを払いのけ、空を見上げた。

「……それを確かめたいんだ、俺は」

「……ですよね」

 最悪な答えがそこに無いことを祈りつつ、コノエは静かに瞼を閉じた。

 

 

 ため息しか出なかった。カバネの言葉に甘えて意識を手放し、目を覚ましたのは案の定野盗による襲撃。迎撃は難なく済んだわけだが、雇っていた荷馬車には逃げられた。金の持ち逃げに近い。契約違約金の請求を叩きつけたいところだが、こちらもカバネのお忍びとあっては強くは出られない。こんな事なら雇いの御者ではなく部下を一人連れてくるべきだったと、朝日がようやく上り始めた道の上でぼんやりとコノエは反省していた。カバネは興味深そうに周囲を見回していたが。

「これは……見ろコノエ、ビエラの国花だ。数年前に滅ぼされた国の花がこんな所で咲いている。ナーヴが強奪してきた物資の中に紛れていたのかもしれないな」

「……俺はそれより帰り道の心配しています……」

「はは。何とかなる。俺もコノエも、体力だけは人よりあるだろう。少し帰りは遅くなるかもしれないが、無傷なら問題ない」

「国を空けるの、もう少し真面目に考えてくださいよ!」

「それだけ臣下を信頼しているつもりなんだがな」

 残念そうに微笑んだカバネに、ついコノエは言葉に窮した。それは紛れもなく本音だろう。カバネの責任感は、コノエも承知している。

 だというのに、主君に苦い思いをさせてしまった自分の発言に心の内で猛省する。とはいえ。

「それとこれとは、話が別です。立場というものをもう少し重く受け止めてもらわないと」

「コノエはそうでないとな。追従するだけの従者など、俺は求めていないんだ」

 つい、ほっと胸を撫で下ろした。自分に与えられた立場と役割は、人と少し違うくらいで丁度いい。カバネには、自分が存在が必要だと言ってくれたようなものだから。

 木々の間に差し込む光が徐々に明るさを増していく。見上げれば、空の色も青く澄み始めていた。

「……長閑だな」

「そー……ですね」

 森を抜けると、広い牧場が広がっていた。牛や豚の姿はないが、厩舎でまだ眠っているのだろう。緑の平坦な地平が続いていた。ここはすでにナーヴの領域で、もっと厳重な警備線を引かれていると思っていたのだが拍子抜けだ。

「……ビエラの酪農技術があるな」

「あ……」

 少し離れた場所に見える四角の箱。ナーヴは基本的に自己発展で技術を磨いていない。真新しい工場は、恐らく生き残ったビエラの技術者を捕まえて確立させたものだろう。痛ましい残滓だ。命を繋いできた人ではなく、奪われた技術という形だけが残るなど。思わずコノエは拳を握り締める。

「人が居ないか探してみるか。どの道ここからではナーヴの中心にはまだ遠い。足が要る」

「引き返す選択肢は……」

 くるりと背を向けたカバネに、コノエの進言は却下された。想定の範囲内ではあるが、胃は痛い。気持ちを切り替え、顔を上げると静かな牧草地帯を区切る柵沿いを二人で進む。

 沈黙のまま歩を進めていると、ふと。

「カバネ様、人がいます」

 家畜のいない牧草地の只中に、一人ぽつんと佇む少年がいた。空を見上げたまま動かない。夜を朝が塗り替える色の世界に揺らいで消えてしまいそうにも見える姿。不思議な存在感が、そこにあった。触れてはいけないような、危うさと共に。

「すまない、ちょっといいか?」

 コノエの躊躇など気づいてもいない様子でカバネは柵に手をかけ、少年に声を掛けた。少年は驚いた様子でこちらを見やる。その表情は怯えているようで、コノエは眉を顰める。

「野盗に襲われて逃げて来たんだが、現在地が良くわからなくてな。ここが何処か……」

「ここからすぐに離れて」

「……なに?」

「お願いだから、無事に帰って」

「何を……」

「来ないで!」

 鋭く少年が叫んだ刹那、コノエは思わずカバネの腕を掴んで一歩引いた。直感的に。かさりと、葉が揺れる。一瞬前まで緑だった葉が、枯れ草のような色に変わっていた。それも、少年を中心とした円状の範囲で。総毛立つ。瞬間的に悟ってしまった。

「……カバネ、さま」

「コノエ、離せ。俺は大丈夫だ」

「いいえ、これはっ……!」

「いいから、離せ」

 コノエを見据えた瞳は強い覚悟を背負っていた。ここは、絶対に引いてはいけない。本能が危険を知らせている。ここがナーヴの国内で、本当に最悪の答えだと思っていた結果なら。

「やめろ、コノエ。お前は丸腰の相手に武器を向けるような、誇りのない兵士ではないだろう」

 ホルスターに手を伸ばす前に、カバネが牽制する。奥歯を噛み締めて、コノエは目を逸らした。それでも、引き留めるための手は、離せない。主君を……長年従ってきた、半分は友人のような存在を危険に晒すわけにはいかない。

 ふう、とカバネが息を吐く。

「……この距離なら話してもいいか?」

「どうして……」

「さてな。軍人としては今が好機と手を打ってしまうのが正しいだろうが……、生憎と今の俺にはとてもお前が危険なものには見えない」

「え……」

 すっと、カバネが右手を差し出し、微笑んだ。コノエも少年と同じく目を見張る。

「俺はカバネだ。こっちはコノエ。ゴウトの者だ。よろしくな」

「え……あ……」

「何、少し迷子になっただけだ。まぁ、究極的にはお前に会いに来たことにはなるんだろうな。……名前は?」

 少年は顔を強張らせたまま、服の裾をシワがつきそうなほど強く握りしめていた。朝日が枯れた牧草を照らして、白く塵に反射する。枯れ葉と若草の香りが同時にする不思議な香りが、風に運ばれた。

「……クオン」

 か細い声で紡がれたのは、間違いなく存在の証明だった。安心したように口元を緩めたカバネに、コノエもつい笑みを零した。強引で不器用なのは、カバネらしい。

「そうか。……はじめまして、クオン」

「ごめんね。握手は……出来ないんだ。君達を傷付けたくないから。言葉の握手で許して」

「構わない。コノエを説得してきた甲斐があった」

「説得されてませんよ! 無理やり押し通したんでしょーがカバネ様が!」

「そうだったか?」

 とぼけた回答が返り、コノエは深くため息をついた。こっちの気も知らないで、と喉まで出掛かって必死に飲み込む。くす、とクオンが笑みを零した。

「……二人は仲良しなんだね」

「ん? あぁ、まあ付き合いは長いな」

「そう。……羨ましいな」

 ふっと微笑んだクオンの瞳は、寂しさに揺れているようにコノエには見えた。

 

 最低三メートルは離れて欲しい、と前置きをしてクオンはカバネとコノエに向き合った。それがギリギリ安全なはずだから、と。寂しそうに微笑む様子が、どうにもコノエには苦しい。

 落ちていた細い枝で弧線を描きながら、カバネは空を仰いだ。

「呪術兵器と聞いたから、さぞ禍々しい姿形を想定していたんだが拍子抜けだ」

「見た目だけだよ。僕は居るだけで命を潰す。花が散るより早く、命を削る。そういう風に運命が出来てしまった」

「制御できないものなのか。面倒だな、呪術とやらは。銃のようなセーフティロックくらい、付けるべきだぞ」

「普通はね。普通の呪術は出来るはずなんだよ。……僕のはそういうものじゃないから。制御の必要なんてない。……僕は人さえ殺せればいいように、出来てる」

 膝を抱えて目を伏せたクオンは、どう見ても人殺しには向いていない。兵器と言うなら尚更だ。こんな少年一人を戦地に置いたところで、銃弾の雨にやられて終わりだろうに。ナーヴのやり方が、どうにもコノエには理解できない。

「先月、エーティアの王都を沈黙させたのもクオンか?」

「……うん」

「そうか」

 淡々とした受け答えに、コノエは不安になる。クオンのような無害そうな少年を殺せと言われても躊躇はする。必要なら手を汚すことは厭わないにせよ、心理的には拒否が出てきてしまうのも確かだった。

「でも、最後に君達みたいな人と話ができて良かった。最近はあまり人とは接触しないように言われていて、両親とも話すことが出来なくなってたから……今凄く楽しいんだ。ありがとう」

「最後?」

「うん。……多分僕はもう用済みだ。人の死に慣れてきてしまった。花が枯れるのを見るようなものだもの」

「そんな簡単に手放せるものなのか?」

「どうだろう。でも僕の前にも誰かが居たんだから、代わりはあるんじゃないかな」

 あっさりと命の期限を語るクオンに言葉も出ない。クオンの浮かべる笑みには常に諦めが宿っていたのだとコノエはやっと気付く。カバネは、きっと最初から気付いていたのだろうが。

 ちらりと主君を伺うと、カバネは変わらず空を見つめていた。だが、その横顔の意味をコノエは知っている。

「今なら連れ出せる」

「え……」

「お前がそうしたいと願うなら、ゴウトに匿ってやる」

「……ありがとう」

 言って、ふわりとクオンは腰を上げる。ただそれは、カバネの手を取るためではなく、一歩離れるためにだったが。寂しげに微笑んだクオンはすぐに背を向けた。

「でも、君達と居ると僕は命を刈ってしまうから。だから、気持ちだけで十分。最後にここで平穏な休養を貰って、僕は空へ還る事ができるから、大丈夫だよ。……さようなら、カバネ、コノエ」

 地面を蹴って走っていく背を、コノエは止められなかった。カバネも空に視線を固定したまま。ざぁ、と風が吹く。

「……そんな命が、あってたまるか」

「カバネ様……」

「コノエ、悪いが……最後まで俺のワガママに付き合ってもらうぞ」

「はは。そんなの昔からですよ。今更です。……それに、それでこそカバネ様ですよ」

 黙って頷いたカバネに、コノエも心を決める。行くべき道は、いつだってカバネが示してくれたのだから。 

 

 

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