第七話 夜に咲く花

 気が遠くなるようだった。気を抜けばそのまま寝落ちてしまいそうになる程度には、頭が理解を拒絶する。早くもフーガは重たい瞼に負けそうになってきた。

「……こらフーガ、また寝そうになってるッスよ。寝たら昼は抜きッスからね」

「ええ! なんでだよ! コノエいつも僕にばっかり厳しい」

「アルムくんを見習うといいッス」

 コノエのお小言に目が覚める。呻きつつアルムを見やると、目を輝かせながら小さな種を拾い上げては嘆息していた。

「コノエ、これが先月撒いた種から出来た種? なんだかみんな色が少しずつ違うな!」

「そーッスよ。前回交配させたやつッス。種別ごとに分かれてるから、それを今度は育てて成長記録を取っていくッス。で、良さげなやつを見繕っていくんすよ。品種改良の一番簡単なやり方ッスね」

「おお……そうやってここの植物も強く逞しく育っていったんだな……」

「あー、いや……それはまた別なんすけど……まあそっちは説明しても理解がまず無理ッスね……」

 口を濁したコノエに、フーガは口を尖らせて開いていた本に再度視線を落とす。豆の進化録……だとフーガは勝手に思っているが、コノエ曰く遺伝学の根本だという。そもそも遺伝学の意味がフーガには分からない。

「コノエ、いで……んって、何。豆は豆じゃん。成長誤差は普通のことだろー」

「親子は似るって原理ッスよ。フーガは手先はまあまあ器用ッスけど理論は苦手ッスね、本当」

 褒められているのか窘められているのか、分からない。フーガは理屈が苦手だ。考えるより先に身体が動く。そうでもしないと、立ち止まることをきっと恐れていたのだと今では思うが。ふとアルムを見やると、アルムは豆を翳しながら眉根を寄せていた。

「親……私の親はどんな顔をしているんだろうな」

「アルムくんは親御さんの顔知らないんすか」

「あぁ……知らないな。物心ついたときには窓のない部屋に居たし、話し相手は良くてクヴァルくらいだった。だから、会いたいと思うこともないが、親子とはどういう感じなんだ?」

「知らない」

 口をついて出た否定に、慌ててフーガは口を噤む。嫌な記憶が蓋を開ける前に慌てて閉じた。心配そうな顔をしたコノエとアルムから目をそらし、ぽつりと。

「……僕の親は、とっくに死んでる。リーベルさん達が助けてくれなかったら、あの時僕は死んでた。……はは……、僕の人生、死にかけてばっかなんだって今気づいた」

「フーガ……」

「遺伝……かぁ。そうやって、人間は短い命を生きていた証を残していくんだな。僕は、残せないと思うけど」

「そうなのか? どうしてだ?」

 アルムは興味深そうに身を乗り出した。フーガはちらりとコノエを見やる。表情を引き攣らせたコノエにちょっとだけ、胸がすいた。

「さぁ、なんでだろーなー」

「あーほら、とりあえず仕分け終わったら畑行くッスよ。手入れが終わったら飯の準備ッスからね!」

 慌てて話題を逸らすコノエに、フーガは苦笑いを零した。

 

 空気を切るような鋭い蹴りを紙一重で躱したものの、擦った前髪が千切れる。つい、カバネは口角を上げた。二手目が繰り出される前に、軽く地面を蹴って跳躍すると背後へ回り込んだ。とん、と首筋に手刀を当てる。

「チェックメイトだ。……大分体は調子を取り戻してきたようだな、リーベル」

 息を吐き出すと同時に肩の力を抜いて、笑みを浮かべたリーベルが振り返る。顔色は、すっかり良いようだった。

「お陰様でな。……死んだ命だと、思っていた。感謝している」

「感謝なら、まずはそっちにすることだ。ユニティオーダーの医療設備に即座にぶち込んでくれなければ、今頃とっくにお前は死んでる」

「礼など要らない。アルムが望んだ、それだけだ。それに……的確な判断をしたのは、そっちだ」

 クヴァルの返答に、カバネは肩をすくめる。リーベルが命を落としかけたあの時、咄嗟にアルムを引き剥がしたのはフーガだった。姿は見せないつもりだっただろうに、見ていられなかったのだろう。持参した止血剤だのはカバネが処置して、アルムの名を持って医療施設へ運び込ませた。その後回復まで留め置くことは、出来なかったようだが。

「しかし……この地下で、アークに匹敵する治療が出来るとは驚愕だ。千年……たった三人で維持してきたのか?」

「ずっと、コノエが維持してきたからな。実際に役に立つとは、想定してなかっただろうが」

「これを地上に伝える気は……ないのか?」

 リーベルの問いに、カバネは一旦口を閉ざす。彼らが何よりも必要としているものだ。ここにある知識も技術も、恐らくは世界を変えられる。それでも。

「……今のところは、ない。医療技術も、その知識も。地上に必要なものの優先順位は、よくよく考えたほうがいい」

「そうか。……すまない、無理を言って」

「そこで引き下がっていいのか、リーベル。これからアークを相手に戦おうというのに、技術差を埋めるチャンスなんだぞ」

「分かっている。だが、武器を手に入れたところで扱い方を知らない俺達では使いこなせない。……そういう事だろう、カバネ」

「知識は、くれてやる。……錆びついた知識だがな」

 正しく扱うためには、正しい知識が要る。それを失ったからこそ、世界は信仰で成り立たせてきた。やり直すには、時間がかかる。もちろん時間がないことはカバネも重々承知しているが。

「ったく、こんな薄暗い地下で湿気たツラをゴロゴロ並べやがって。それでよく夢だの理想だのを語れるなぁ。くっだらねぇ」

「なっ……!」

 リーベルとクヴァルが驚愕の表情を浮かべる。カバネにとっては、待ち人だ。

「来てやったぞ死に損ない共」

「ああ。……待っていた。十二地区の呪いの申し子」

 は、と鼻で笑って担いでいた戦斧をカバネの眼前に振り下ろす。鼻先を掠めた切っ先が、薄く皮膚を割いた。

「ヴィダだ。名前くらい覚えときやがれクソが」

 

 険悪な空気が肌に刺さる。フーガに至っては怯えてコノエの後ろに張り付いて離れそうになかった。カバネがクウラを通じて呼び寄せた相手を、コノエは知らされていない。拒絶を身に纏う青年……ヴィダは、戦斧を片時も離さないまま椅子に座していた。

「で? 何の話だ。くだらねぇ世間話がしたいってんなら、他を当たれ。オレの時間を拘束した謝礼はきっかりもらうぞ」

「死者信仰の根源を、見せてもらいたい」

「あぁ? 何言ってんだテメェ」

「土地に立ち入る許可を、と言っている」

 眉根を寄せて黙り込んだヴィダは、カバネを黙って睨み付けた。コノエは思わず同席しているクオンを見やる。あるいは、クオンなら何か知っているのかと思い。

 クオンは笑みを浮かべたまま、口を開く。

「僕達は……呪いを知りたいんだ。この身に課された不死の呪いを解くために」

「細切れにされても死なねぇのがまだ居たのかよ。バケモノの巣窟か?」

「そうかもしれないね。……とにかく、立ち入りを許可して欲しい。あの地は、許可なき他者を拒む。余計な負担は、掛けたくないんだ」

「好きにしろ。もう、オレには何もかも、どうでもいい。世界も、奈落に積まれた願望も」

「それでも、あの地は人の生きた故郷だ。彼らの声は世界を渇望する。忘却の彼方へ怨嗟を捨てる前に、希望を撒くことは出来る」

――瞬間、血が舞った。

「ひっ……!」

 引き攣ったフーガの悲鳴に、コノエはしっかりと背中に隠す。クオンを庇うために伸ばしたカバネの左手首がクオンの膝の上に落ちて血を広げていた。ヴィダの振り下ろした戦斧はテーブルを真っ二つに割っている。暗い瞳で見下ろすヴィダを、クオンとカバネはじっと見つめていた。

「希望だなんて妄言をオレの前で吐くな。虫唾が走るんだよ」

「……君がいる限り、民族は滅んだわけじゃない」

「首を切り落とされないと黙れねぇのか? 死なないんだろ。お前ら全員細切れにして帰ってやってもいいんだぜ、こっちは」

「ま、待ってくれヴィダ! 話を聞いてくれ!」

 部屋へと飛び込んできたアルムに続いて、クヴァルとリーベルが駆け込んで二人でアルムの壁となる。二人を押し退けようにも、小柄なアルムには無理があった。

「アルム、下がってろ」

「駄目だリーベル。ヴィダは前に言ってたじゃないか、無視するなって。ヴィダも世界に生きる人なんだ。何を成そうとしてるのか、ちゃんと私は伝えるって決めたんだ」

「おい。今度は何を企んでやがる。テメェらの都合に巻き込まれるつもりは」

「奪われるばかりと言っていたヴィダの故郷を、与えるための土地に変えるんだ!」

 ヴィダを遮るように、アルムが叫んだ。力強い言葉にぽかんとするヴィダの気持ちは、コノエにも分かる。恐れを知らない未来だけを信じたアルムの瞳は、眩しすぎるほどだったが。

 

「はぁ? 種を撒く? あの不毛の地に?」

「バカの集まりだ。あまりの馬鹿馬鹿しさに、もう何も言いたくねぇ」

「……一周回って、希望だの理想だので頭おかしいんじゃねぇか」

 言いたい放題だった。それは遠回しにコノエを非難されているわけで、腹立たしい気持ちもあれど言い返す勇気もなく、フーガは悔しさを噛み締めつつコノエの背中を掴んだ。

 不思議そうに振り返ったコノエは、黙ってフーガの飛ばされそうなフードの裾を引く。

「なんすか。久々の地上は眩しすぎッスかね? 戻って留守番……」

「嫌だ。……ちょっと……、ムカついてるだけ」

「はぁ」

 なんの事やら、という顔をしたコノエから目を逸らす。苛立ちこそあれど、フーガ自身も半信半疑だった。地下で生育できた種だとしても、地上で芽吹くかは分からない。それこそヴィダが鼻で笑うように、無駄なことかもしれない。それは、怖い。自分自身を否定されるような、気がした。

 ヴィダを地上で待っていた第十二地区最後の生き残りオルカと合流して、ぞろぞろと大所帯で荒れ地を進む。それこそ千年ぶりに地上に出たクオンは、その心に何を見ているのか、少しに気なる。今はカバネの傍らで黙って地面を確かめるように一歩ずつ進んでいたが。

「それより、リーベルとはちゃんと話したんすか?」

「何急に。嫉妬?」

「真面目な話してるんで。……変な冗談言うと怒るッスよ?」

「こっちも真面目だけど。リーベルさん……とは、話した、よ」

 ちらりと先を進むリーベルの背を見やる。クヴァルと二人でアルムを挟んで軽口を叩いているようだった。人間だと、つくづく思い知らされる。それと同時に、安心してしまった。人であって、良かったと。

「殺そうとしたからおあいこだってさ。……ばっかみたい。罵れってんだよ。勝手に理想を作って、押し付けて、くだらない自我を保つために色んなものを壊した人間のクズなんだよ、僕は」

「フーガ、それ以上は俺が怒るッスよ」

「生きるためでも、何かを守るためでもない。ただ、馬鹿みたいな信仰じみたもので、僕は無関係の人まで傷付けた。殺した。……コノエや、クオンまで、……あぁ、やだな……惨めになる。本当、惨めだなぁ、僕は」

「生きてる価値なんてない、って言いたいんすか?」

「死ぬ価値もないんだ。……地獄にだって僕は要らない。あぁもう……最悪だなぁ」

 神様ではないから、救ってくれない。二度とそんな歪んだ気持ちは持たずに済む。それなのに、惨めな気持ちはなくならない。フーガ自身の犯した罪が許される日は永遠に来ないのだ。真っ当に陽の光を浴びて背筋を伸ばして歩ける資格が、ない。

 じりじりと、胸が焼かれるように痛む。目頭が熱くなって、気を抜けば涙が溢れそうだった。草一本生えていない荒れ地が、寂しさを助長する。

「……フーガの命は、俺が預かってるんで」

「え……?」

「だから、死ぬのも生きるのも、俺が決めるッス。勝手に価値を、決めてもらっては困るんすよね」

「……何それ。僕それじゃ、コノエの所有物みたいじゃんか」

「不服なら、何処へとでも。俺の手の届かない所に行くなら、好きにしていいッスよ」

 ああ、怒ってる。コノエはいつだって、フーガが思うよりもフーガに価値を見出していた。突き放すような言い方が、一番フーガの心に響くことをすっかり認識した上で。つい、フーガは笑みを零した。

「……いいよ。僕はずっとコノエのものでいい。コノエのものがいい。……ありがと」

 コノエは黙ってフーガの手を握る。その手のぬくもりが、命を拾われてからフーガにはずっと救いだった。耐えたはずの涙が滲んで、慌てて目を擦った。

足元の悪い岩場を登り切る。眼下には、砂に覆われようとしている、死にかけの第十二地区が広がっていた。

 

 ここまでお喋りをやめなかったアルムが、ついに閉口した。言葉がでないのは、無理もない。カバネですらこの状況には眉を顰めたほどだ。クオンは表情を動かしていないが、コートの裾を強く握りしめていた。

「……大丈夫か」

「うん。……嘆きが、溢れている。足を手を引き千切られて、喉を裂かれそうな。ここは本当に……他者を拒む土地だね」

「それが第十二地区だ。……昔から、それだけは変わらない。近付けるか?」

「その為に来たんだ。行こう、カバネ。倒れそうになったら、そうだな、杖を見つけてくれたら」

「杖ならここにある。足も」

 クオンは少しだけ驚いた表情を浮かべた。カバネはそれとなく目を逸らす。らしくないことを言った、と自省しつつ。

「懐かしいな。……そうだね、そうしよう。生きている間に、あと何回出来るかわからないもの。……ありがとう、カバネ」

「おい、グズグズしてんじゃねぇぞ。別にお前らの歩みに合わせてやる義理はねぇんだからな」

 急かすヴィダに、カバネは黙って頷いた。アルム達を視線で促し、廃墟を進む。元々はそれなりの規模を有していたであろう街は、半分が砂に還り、半分は沈黙したまま乾いた風に時折小さな音を立てる。死者の啜り泣くような声にも聞こえる軋みが、どこからともなく響いていた。

「しかし、こんなモンに興味があるなんてアンタらマジで頭おかしいな。ただの穴……って言うとヴィダにドヤされるが、何もねぇ死体の投棄場所だぞ」

「違うよ、オルカ。それは水源だ。命の池。君達の根本を浸しているもの。……呪い、なんて言われては居るけどね」

「……おい。アンタの連れはまた一段とトんでるな」

「価値観の違いだ。……黙って案内しろ」

 へいへい、と肩をすくめたオルカにクオンは苦笑していた。クオンの言葉は本質を突きすぎて、抽象的になるのは惜しいところだ。それ以外で表す言葉がないにせよ。

 家屋が途切れ、現れたのは暗く深いだけの、穴。突き落とされたらひとたまりもない。

 つむじ風がカバネのフードを押し退けた。

「……すごい、大きな穴だ」

 クヴァルに落ちないよう支えられながら、アルムが覗き込む。真っ暗なだけの大穴の底は、見えなかった。

「そうだ。お前が殺したプラセルもここに投げ込んだ。今頃ウジ虫が喰ってるかもな」

「っ……」

 オルカの非難に、アルムはさっと青ざめ身を引いた。クヴァルがオルカを黙って睨みつけるも、彼は鼻で笑うだけ。ここにも禍根があるのかと、心の内でカバネは嘆息する。

「殺しやしねぇよ。くだらねぇ。お前らの血なんて、ここに投げ込みたくもねぇんだ。気は済んだか? つまらねぇ観光はこれで終わりだ」

「……この地自体が、大きな回路なんだ。そう……、違うね。けど、すごく惹き付けられる」

 吐き捨てたヴィダを気にした様子もなく、クオンはしみじみと穴を眺める。流石のヴィダも眉をひそめていた。

「こいつマジでどうかしてんのか」

「カバネ、もう少し居てもいい? 試してみたいことが、あるんだ」

「好きにしていい。……コノエ」

「あ、ハイ?!」

 少し離れて立っていたコノエがぴっと、背筋を伸ばす。蚊帳の外でいたつもりかもしれないが。コノエにぴたりとくっついて離れる気配のないフーガには、少し和む。

「あとは、お前に任せた」

「ま、マジなんすね。……分かったッス……」

 コノエは気乗りしない様子で頷いた。これは、カバネにとっても一つの賭けだ。

 ひゅう、と風が吹く。穴を抜けてきたか、死の幻臭が肌を撫でた。

 

「井戸は枯れて、川までは三十分。……いやマジ……無理ッス……」

「雨の匂いがする。水のことなら大丈夫だ、コノエ。頑張ろう」

「そうだ。アルムが諦めないのだから、お前ごときが諦めるのは許さん」

「いやごときとか失礼すぎるッスねアンタ! アルムくんに嫌われますよ!」

「そうだぞ、クヴァル。私はみんなと仲良くしたい。クヴァルが嫌われるのは私も悲しいぞ」

「う……。き、気を付け……る」

 しおらしく返答するものの、クヴァルはコノエを睨んできたが。番犬、というフレーズが脳裏をよぎる。口にしたら罵詈雑言が飛んできそうなので、喉の奥に封じ込めた。

「……コノエ嫌われてる。ウケる」

「ウケなくていーんすよ!」

 やれやれだ。ため息を一つついて、コノエは顔を上げる。嘆いても仕方ない。コノエは与えられた使命を全うするだけだ。

――地上に緑を増やしたい、飢えを減らしたい。

 そうアルムが願った第一歩だ。そして最初の一歩はこの地、と決めたのもアルムだった。正直、リベリオンの管理する場所に置いておくのがコノエとしても望ましかった。手の届かない所へ技術を植えるのは、責任が重い。

 触れた地面は乾ききっていた。養分はおろか、水も怪しい。こんな不毛な地を、彼らは守り続けていたのだ。健気以外の何者でもない。

「……やれるよ、コノエ」

「え?」

 土を確かめていたコノエの傍らにしゃがみこんで、フーガはポツリと言う。

「コノエはどこにだって、花を咲かせるの、得意だから」

「……はは。俺がフーガに励まされるとは、落ちたもんッス」

「失礼ー! ほらさっさとやらないとまーた黒縄夜行の怖いやつが蹴りに来るぞ」

「そーッスね。うん。……俯いてたって、しょーがないッスからね」

 隣で信じてくれる存在が、今はあるのだから。年長者として弱音を吐いてはいられない。

 

 通り雨が上がる頃には、すっかり夜になっていた。屋内で灯した火で、コノエは日課の食事を作る。今日は幾分人数多めだ。一人当たりの分量は少ない。

「……何でオレがコイツらと飯を食わなきゃなんねぇんだよオルカ」

「そう言うな。タダ飯だ。食っておいて損はない」

「施しは嫌いだ。死ね」

「じゃあオレが貰っておく。オレ達の取り分は変わらない。文句ないな」

 好きにしろ、と吐き捨ててヴィダは静かになった窓の外を見やった。フーガが不服そうにぶつぶつと文句を言っていたのを頭を撫でて宥め、コノエは苦笑をこぼした。

「変な感じだ。私を攫って、私を殺そうとして、私を利用しようとして、私を無視しようとしてた者達が、同じものを口にしてるんだ」

「あ?」

 アルムの言葉に、機敏にヴィダが反応する。常に携行する戦斧が振り下ろされるんじゃないかと、一瞬コノエは背筋が冷えた。アルムは薄く微笑んで、コノエの作ったスープに視線を落とす。

「いいな。いつか、世界中の皆が同じものを食べれる未来が、私は欲しい。そのために、頑張ろうって思える」

「どこまでも脳天気なヤツだな。地上には未来なんてねぇんだよ。苦労も何も知らねぇ天子様は良いご身分だ。絶望が足らねぇんだよ。目の前で大事なモンがくたばる様を知れ」

「そうだな。ヴィダの言うことは正しい。でも、私だって悲しいことはある。私は人といれば、殺してしまう。存在するだけで。だから、いつかは一人で死ぬしかないんだろう。誰かに看取られることもなく。そう考えると、やっぱり寂しくて怖い」

「アルム……心配するな。俺がいる。聖印を持つ限りは、俺は」

「ありがとう、クヴァル。でも、覚悟はしていないとな。その印が、永遠のものとは、限らないんだから」

 クヴァルは言葉を詰まらせた。永遠。簡単なようで、脆いものだ。コノエも良く知っている。リーベルも、沈黙していた。アルムの自由を願うには、今の世界は不自由が過ぎる。

「はっ……結局恵まれたモンの戯言だ。死なんて、その辺にいつだって転がってやがる。一人で死ぬ? 上等だ。そこまで生きて来れた事自体が幸運だと知れ、クソガキ」

「ヴィダ、お前の言い分は」

「分かってるとでも言いたいつもりか、リーベル。分かってねぇよ。お前は。分かんねぇんだよ、オレ達の気持ちはオレ達にしか。……あぁくそ……何でだよ。どうしてオレ達には、何にもねぇんだよ。水も、土地も、仲間も、家族も……何が自由だ。何が希望だ。明日を迎えることすらオレ達には奇跡なんだよ。クソ……ッ」

「……ヴィダ」

 オルカがそっと名前を呼ぶ。恨めしそうにヴィダが一瞥寄越すと、黙って手付かずのスープの器を差し出した。

「食え。腹が減ってるから余計に苛つくんだよ。……まだ世界から、奪ってねぇだろ。名前を刻みつけてねぇんだ。死ぬのは、その後だ」

「……壊すのを止めたのテメェだ、オルカ」

「無駄死にするのは惜しいだろ。お前みたいな世界最強、くだらねぇ内輪揉めで命を捨てたら、プラセルが泣くぞ」

「泣くかよ。……あぁ……くそ……、くだらねぇな。世界なんて」

 それでもヴィダは、器を受け取る。じっとスープを見つめたヴィダが何を思っているのか、コノエには分からない。固唾を飲んで見守る中、黙って一口。作り手としては毎度緊張する瞬間だ。

「……クッソマズいな」

「コノエ、怒っていいぞ」

「ああ、怒ったほうがいいな」

 フーガとカバネが即座に口を挟み、怒るどころかコノエは笑ってしまった。二人は顔を顰めたが、オルカが苦笑を溢していたのをコノエは見ていた。口に合わなくても、文化の違いだ。無理もない。ヴィダにとっては、食事そのものが、『まずい』のだろう。後ろめたい思いが、きっとあるのだ。

 決して、楽しい食卓ではなかった。どことなく張り詰めて、外は風が悲鳴のような音を連れてくる。それでも、地上で千年ぶりに夜を迎えたのは、コノエにとっては大きな変化だった。

 

 唖然とした。それはコノエのみならず、ヴィダまでもが沈黙していた。

「な……んだよ、これ」

 息を呑んだフーガに返す理屈がコノエにも思いつかない。昨日の、今日だった。昨日やっとの思いで形にして種を撒いた敷地が、今は緑に覆われていた。白の花が、咲いていた。

「……すごい。コノエの種は、そんなに早く芽吹いて育つのか」

「違う……ッスよ。こんな、早すぎる。発芽に一週間はかかる。成長には二週間。種がとれるまで、実となるまで一ヶ月。こんな……花が、咲くなんて、早すぎ……る」

「……元々、植物は太陽の下で生きるものだよ、コノエ」

 クオンの声が滑り込んだ。クオンは黙って膝ほどまで育った緑に歩み寄り、膝を折る。風に揺れる指先で白の花に触れると、空を見上げる。

「待ってたんだ。この時を。命を、ここは待っていたから」

「なにを……」

「第十二地区。死者信仰の郷。……元々、呪いなんて、相応しくない呼び名だよ。彼らは生きる人々を導く魂。一族が滅ばぬように、安寧を守り抜けるように、力を蓄えて与え続けた。本当ならば、加護と呼ぶのが相応しいんだ」

 すっと立ち上がって、クオンは向き直る。荒れ果てた大地に生まれていた新鮮な緑が、風に揺れた。

「地下で暮らせるようにコノエがずっと改良し続けたからね。それでも、植物とは本来地上を目指し太陽に手を伸ばす。……渇望してた、瞬間なんだよ。これをきっと、奇跡って言うんだ」

「そんな、馬鹿な。物理的に理論が通らな……」

「呪いがまかり通る現実で、何言ってんのコノエ」

「は……?」

 傍らにいたフーガを見やる。にっと嬉しそうに笑って、フーガはコノエの頬をつねった。

「夢じゃないから。そもそも、存在するだけで人を殺すアルムがそこにいて、腕を切り落とされてもくっつくカバネがいて、千年も地下で暮らし続けたコノエが物理法則がどうの言えると本気で思ってるわけ?」

 指は離してくれたが、まだじんじんする。言いたいことは分かるが、どこかで現実を受けとめきれないコノエがいた。

「良いじゃん。そんな悲しいばっかりの異常より、世界を変えるかもしれない奇跡のほうが。サイコーに嬉しいだろ」

「フーガ……」

「コノエが地下でずっと頑張ってきたこと、無駄じゃないんだよ。……コノエが惰性でも続けてきたから、この不毛な土地に緑が帰ってきたんだ。誇れよ、ばーか」

 無駄じゃない。その言葉に、喉の奥が詰まった。千年。意味もないことをずっと続けていると自分をどこかで笑っていた。食すら必要としない自分達に、栽培など愚の骨頂だと。目を背けてきた。異常な現実から。

――それが、今はここで未来へ繋がろうとしている。いや、そんな大それたものでもなく。

「俺の千年……無駄じゃ、なかったんすね」

「そうだよ、コノエ。……僕達は……やっとここで、生きてきた意味が、巡ってきたんだ」

「あぁ……そっか。……うん、無駄じゃなかった。無駄じゃなかったんすね……」

 ああ駄目だ。堪えてきたものが溢れてくる。空を仰いで涙を堪えるも、無駄な足掻きだった。太陽が眩しい。手で目を覆った。

「泣いてんの、コノエ。珍しー」

「るさいっすねぇ、フーガなんてしょっちゅう泣いてるじゃないッスか」

「泣ける場所があるって、安心するんだよ。……泣いていいよ、コノエ。今日は僕が慰めてやるからな」

「はは……生意気言うクソガキッスねぇ」

「るっせ、クソジジイ。どんな所でも、花は咲ける。僕にそう教えてくれたのは、コノエだろ。……ばーか」

 本当に。コノエが拾ってきた命は、今も隣で笑っている。握ってくれた手を握り返して、今は寄り掛かれる温度に、甘えることにした。

 

 大穴を、見下ろしていた。風が吹き抜け、ヴィダの髪を舞い上げる。

「どんな手品使いやがった」

「使っていないよ。言ったろう、これは加護だ。呪いなんかじゃない。他者から見れば破壊の力は恐怖の象徴だけれど君達一族にとっては守りの力だ。他者をねじ伏せてでも仲間を守るための、尊い祈りの形だよ」

「そんなものの為に、この地に縛られて、死んでった。ただの滅びの力だ」

「そうかもしれないね。……彼らは、なんて?」

 ヴィダは傍らに立つ少年を見やる。アルムよりは少し年上。しかしその実千年を地下で過ごしたという、常識を着ないクオン。じっと穴を見据え、口元には笑みを浮かべていた。

「テメェも聞こえんのか?」

「ううん。僕はその血を持っていないから、なんにも。君の民族だけが、聞く力を許されているんだよ」

「……んだよ、それ」

 舌打ちをする。ヘッドホンの内側で響く声に、ヴィダは目を細めた。

「……笑ってる。プラセルの馬鹿、散々殺せ壊せって騒いでたくせに、笑ってやがる。これで、腹減らねぇ、ってさ。……馬鹿じゃねぇの。もう死んでんだよ。くっそ意味ねぇだろ、今更。ちげぇんだよ。オレなんて、どうでもいいんだよ」

「それが、彼らの願いでも?」

「こんなのはオレの歪んだ願望だ! 幻聴なんだよ! 許された気になりてぇ、弱くてクズでどうしようもないオレの……――!」

「オレも聞いた」

 はっと振り返る。オルカが軽く手を上げて、歩み寄る。隣に立つと、オルカもまた穴を、奈落を見下ろした。

「幻聴でも良いじゃねーか。……十年先、二十年先。少なくともオレが生きてる間は、ここを不毛の土地には戻さねぇ。死んでいった仲間に届くように、実りの大地にしてやる。幸いと、ここを奪おうにも生きる災厄がいる。最強だ」

「オルカ……」

「奪ってやんだよ。オレ達を無視した世界から。ここが一番腹が満たされる、羨ましいだろってさ。……この穴に落ちる前に、オレ達の名前を忘れさせないように、すんじゃねーのか、ヴィダ」

「おっせぇ……全部、遅すぎる……。あぁくそ……おせぇんだよ……今更、もう……」

 纏わり付く声が、煩わしい。守りたかった幼馴染は穴の底にいるはずなのに。ふわりふわりと、気配が香る。死の香りしかしないこの場所で。

――オレの分まで腹いっぱい食えよ。いっちばん腹すかしてたの、ヴィダだかんな。

「……たまには、プラセルにも食わしてやるよ。……なぁ、オルカ」

「ああ。……そうだな」

 唸るような、風が吹く。奈落へと続くという穴は、今日もそこにあるだけだった。

 

 栽培方法と育て方のコツをオルカに伝えると、案外と素直に聞き入れてくれたのは意外だった。てっきりふてぶてしく接されるのだと覚悟していたコノエにしてみれば、助かったが。元々、養分が少なくても育つように調整された品種だ。不毛なこの土地でも、工夫をこらせば芽吹く可能性はある。折角なのでいくつか他の種類を譲ると、恩義は返す、と真顔で言われて流石に面食らった。聞いていた印象よりも、義理深いようだ。

「私もたまには手伝いに来たいな」

「来んじゃねぇ。テメェが来るとぞろぞろと鬱陶しい上に、目立つんだよ」

「じゃあ静かに少人数で来る。待っていてくれ」

 こうなった時のアルムの聞く耳持たずは凄まじい。ついコノエは笑ってしまった。

「……ありがとう、ヴィダ。目当ての答えは無かったけれど、千年ぶりの遠出は学びがあったよ」

「ああそうかよ。精々長生きしてくたばれ」

「ふふ、ありがとう。君達二人に、一族の加護が続くことを祈っているよ。また話せる日が、来たらいいね」

「オレは二度と会わずにいたいもんだな」

 拒絶を隠そうともしないヴィダに、クオンはにこにこと嬉しそうだった。気分を害していないのであれば、コノエとしてはそれでいい。カバネも何も言わず、沈黙を守っていた。

 見送りなどという文化は、彼らには存在しないのだろう。言うだけ言って、背中を押すとさっさと姿を消してしまった。感傷など、腹の足しにもならないということか。

「さあ、帰ろうか。リーベルも、そろそろリベリオンへ戻っても良さそうだからね。まぁ、無理はいけないけれど」

「そうだな。……俺にはまだ、成すべきことがある」

「とりあえず、一度地下へ戻って……最低限、必要な情報を持って行け。戦争に加担するつもりはないが……俺達は俺達で、アークへ行く目的がある」

 リーベルは、怪訝そうな顔をしたものの、問い質しはしなかった。それぞれの想いを胸に、帰路につく。傍らを歩いていたフーガが、ふと。

「ちゃんと、僕も勉強しようかな」

「いい心掛けッスね、それは」

「僕、褒めて伸びるタイプだからちゃんと褒めろよ」

「はいはい。今度からご褒美あげるッスねー」

「うん。そしたら、僕は……――」

「アルムくん探したよー、なーんでこんな辺鄙な所にいるかな」

 知らぬ声に、咄嗟に身構える。岩陰から姿を表したのは、銀髪の青年。白を貴重としたら服には、どこか見覚えがあった。

「ロイエ隊長! ご無事で!」

「やぁクヴァルくん。へぇ、リーベルはすっかり調子良さそうな顔してる。こっちは地上を死にそうな思いして走ってたって言うのにさぁ」

「そうは見えない顔をしている。流石はロイエだな」

「それはどうも。やっと会えて良かったよ。これで、やっとリベリオンにも助けてもらえそうだしねぇ、ライデン」

「そうだな。そろそろ隠れて逃げて走っては飽きたところだ」

 また知らない顔が一人。とはいえアルムに警戒心がないあたり、敵ではないのだろう。クヴァルの知人かつ、隊長となると、ユニティオーダーか。

「仲間……ッスかね?」

 カバネに一歩近づきそっと問い掛ける。カバネは無表情のまま頷いた。

「ああ、見覚えはある。……それより、コノエ。お前はフーガを見ていろ」

「へ? 何が……――フーガ?」

 振り返る。青い顔をして、立ち尽くしていた。

「あ……う……」

「フーガ? どうし……」

「た、い。痛い……ぁ、あ、やだ、こわ……死っ……いたい、痛い、ああぁぁぁっ!」

「フーガ?!」

 身体を抱いて、フーガが絶叫した。ふらついて倒れそうになったのを慌てで抱き留める。激しい震えに、戦慄した。おかしい。焦りがコノエの思考まで鈍らせる。

「ど、どーしたんすか、急に、フーガ? どこも怪我なんて」

「ぁあ、ぁ……痛い、痛いよ、この、え、助けっ……いやだ、死ぬ、やだ」

「しっかり?! フーガ、大丈夫ッスから!」

「うあ……たい……よ……、怖、い……」

 涙を落として、フーガは気を失った。唐突な出来事に、コノエは呆然とする。今、何が起こった? 異様に痛がっていたが傷を負った様子はもちろんない。

「……何事かと思えば、その少年、あの時の」

「は……?」

 顔を上げる。煤と血と、土に汚れた白い制服。ユニティオーダー。銀髪の男よりは背の低い、夕焼けの始まりの色をした髪の青年。

「良く生きていたな。まあ、殺さないように加減はしていたが」

「何……言って」

「体幹の鍛えが足りないようだったからな。どれ、今度は共に戦う立場か? なら自分が鍛え」

「喋るな」

 強い言葉が出る。理解してしまった。リーベルとアルムの表情で、カバネの視線で。ぎゅっとフーガを抱き締める。この声を、聞かせないために。

「無理、無理ッス、カバネさん。俺この人、殴り殺したくて、仕方ないッス」

「分かってる。抑えろ。……リーベル」

「ああ。……ここで、分かれよう」

「……すまないが、そうさせてくれ。……行くぞ、コノエ、クオン」

「うん。またね、アルム」

 アルムは言葉もなく、頭を下げた。コノエは奥歯を噛み締めて、意識のないフーガを背負う。顔を見るな。声を聞くな。自分に言い聞かせて、先を歩くカバネを追い掛けた。

――コノエは、どこにだって花を咲かせるの、得意だから。

 そう励ましてくれた声が脳裏を過る。割れてしまいそうなほど、強く歯を食いしばる。

「……守り、きれない。俺はまた、守りきれない……」

 荒れ狂う心を笑うように、荒野の砂まじりの風がコノエの頬を叩いた。

 

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