第六話 地下から見る空

 持ち帰った話を聞いたフーガは、もちろん喜ぶことはなく。とはいえ塞ぎ込む様子はコノエが見ている限りではなかった。不安はあるのか、用もなくそばに居たがることはあれど、それは前より少し回数が増えた程度のもので極度に不安定になってはいない。反対に、以前より積極的になったこともあった。

「カバネ、これがよく分からないから教え……てください」

「その取ってつけた敬語は要らないからそこに座れ」

「敬意を払ったつもりなんだけど?!」

 言い返したフーガに指で着席を促し、カバネは読んでいた文献を閉じた。先生と生徒。最近はそんな二人の姿をコノエはよく見かける。お茶だけ出して邪魔にならないように退散したコノエは通信設備のメンテナンスに向かった。

「あれ、コノエ一人?」

「メンテナンス行ってくるんで」

「そう。ごめんね、僕にも手伝えればいいんだけど……」

「クオンさんはいいんッスよ。むしろ畑とか洗濯とか……手伝ってもらって、すんません」

 本来それはコノエの仕事だった。クオンが手伝うと言ってくれたのに甘えてしまっているが、千年来コノエが一人でやってきたことだ。時間的にできない訳ではない。少しだけ、フーガに割く時間が増えたのはあれど。

 クオンは静かに首を振ると、手にしていた本を抱え直す。

「本当なら、もっと前にそうすべきだったんだ。……カバネも楽しそうだよ。出来の悪い生徒が出来たって。本来、カバネは指導者だ。人を導き、人の前に立つ。拓いた道の先に未来を示すことができる、そういう星を持ってる。まあ……コノエには少し面白くないかもしれないね?」

「な、何でそうなるんすか……」

「仕えるべき主と、守ってあげたい存在が同時に取られちゃって、だよ」

 くすくすと可笑しそうにクオンが笑う。それを言われると、押し殺していた嫉妬心が湧いてしまうので、やめてほしい。咳払いで余計なことは払い除け、コノエは顔を上げた。

「とりあえず、連絡来るまでは普段通りでいいと、思ってるッス。……使える部屋は、三、四つ、片付けといたんで」

「僕達の事は、気にしないで。……何かあれば、フーガが真っ先に頼るのはコノエだよ。それに応えてあげて」

「……甘いんすかね、俺」

「そういう存在を、コノエはずっと待ってたんじゃない?」

 苦笑いを返す。クオンはふとした瞬間に、コノエが見ないようにしている感情に触れる。それも、認識すると恥ずかしい事ばかりだ。勝手に世話を焼いてきただけで、頼られることをどこかで期待していた。計らずも、今はフーガがその場所を占めている。世話を焼けば焼くだけ、頼って甘えてくる。歪だと思いつつも、丁度いいバランスにあった。

「……それも、運命ってやつッスか?」

「自然の摂理だよ。大地が温まれば、風が生まれるんだ。太陽が鋼を温めるのと、同じだよ」

 

 銃弾で壁が弾けて、頬を打つ。火薬の匂いが充満した通路には、瓦礫と死体が転がっていた。ついため息を零す。

「あーあー……なんでこんな事に。死んじゃったら意味ないんだけどな」

「ぼやくのは後だ大将。下降エレベーターへの道は確保済み。あとは命だけ持って走れば良い。簡単なことだ」

「いや簡単そうに言わないでくれる? ライフルの射程って知ってる?」

「知らん。難しいことは分からんが、とりあえず拳よりは遠いな!」

 当たり前だ。ライデンと戦場で会話するのは適度に力が抜けて丁度いいが。邪魔になるからと結んでおいた銀髪が緩んでいるのを直し、ロイエは顔を上げる。

「らしくないね、って今頃シャオは笑ってるかな」

「……だが、それを選んだのだろう、隊長殿は」

「まぁね。楽をするのは、簡単だ。……けど、それじゃ華麗な復讐劇は語れないからね。……これこそ似合わないな」

「そうか? ……自分はそういう分かりやすい話は、好きだがな」

 周りくどいと思うけど、と口の中で転がしてロイエは手榴弾を取り出す。ここから下降エレベーターまでは、直線コース。走りきれれば、勝利だ。華々しい生活とは別れを告げる羽目にはなるが。

 銃声が止んでいる。こちらの出方を伺っているのだろう。下降エレベーターを下手に傷付ければ自分たちの生活にも影響が出ないとも限らない。

 安全ピンを抜く前に、ロイエはスペアマガジンと共に鞄に仕舞い込んでいた一冊の本をライデンに差し出した。

「僕より頑丈そうだから、これライデンに渡しておく。……天子とその仲間たちに必要なものだ。くれぐれも失くすな。必ず、天子に渡せ。僕がここで倒れても、必ずだ」

「取り敢えず預かろう。だが、隊長殿がここで倒れることはない」

「まあ、もちろんそのつもりだけど、ってえ?!」

「行くぞ隊長殿! あとは自分に任せろ!」

 左手には差し出した本を、右腕でロイエを肩に担ぎ上げ、ライデンは床を蹴った。馬鹿と罵るより早く理性が手榴弾の安全ピンを抜く。身を隠していた通路からとび出た瞬間に、投げつける。

 かん、と床で一度跳ねて、爆薬が炸裂した。悲鳴と爆風が、折角結んだばかりのロイエの銀髪に襲い掛かる。

 遅れて、銃声が追いかける。地上への出口は、すぐそこまで迫っていた。

 

「……驚いた。本当にこんな地下に人が住める環境を作ってんのか」

「すごいんだぞ、クウラ。ここには太陽なしで育つ植物があるんだ。私も初めて知ったときは驚いた!」

「そんなもんがあるのかよ。いやもう……、言葉が出ないな」

「大したものはないッスよ。最低限。本当に人がギリギリ生きられるかどうかのものしか」

 ついコノエは自嘲する。生きる。食べなくたって死にはしない自分達に、果たしてこの千年分の意味はあったのかと時折過る。

 連絡を貰って、数日。リーベルはクヴァルに背負われ、アルムとクウラの付き添い付きで地下へとやってきた。本人の意識は薬が効いているのか朦朧としていたが。用意しておいた部屋へとクオンが案内して、今はカバネが状態を確認している。

 今後についての相談はカバネとクウラで、と話はついているため、今は時間待ちだった。怪我の状態ならコノエでも診られるのだがカバネにアルムたちの相手を命令されて、今は薄暗い居住区を案内している。見せられるようなものも、殆ど無いにせよ。

 見上げると、そこには人が住んでいない沈黙の家屋が並んでいるだけだった。

「……コノエ、早く案内してくれ」

「いや、もう案内するようなところはないッスよ」

「ある。むしろ私は、その為にここに来た。勿体ぶることはないだろう」

「……もしかして、フーガのこと、言ってるんすか?」

 アルムは大きく頷いた。クウラは肩をすくめていたが、こちらもフーガに多少なりとも話はあるだろう。分かっていて避けていた話題だけに、コノエも口が重くなる。

「会いたくないと言っていたか?」

「まあ……、多分そんなとこッスよ」

「私は会いたい。会わせてくれ」

「気持ちは、分かるッスよ。分かってるんすけど……」

 自分で出て来ない、あるいはコノエを頼ってでも顔を出せないのはまだ勇気が足りていない証拠だ。それが逃げだと言うのも、分かっている。それでも、フーガに味方がしてやれるのは自分しかいないのも確かだった。

「……分かった。うん、そうだ。私は私らしいやり方をしないと意味がないんだった」

「おい、坊っちゃんが変な事言い出したぞ。普通に会わせてやったほうが」

「駄目だクウラ。私の声が小さいから聞こえないんだ。だから」

 アルムが被っていたフードを取り払う。何をするつもりか見当もつかず見つめていたコノエにアルムは得意げに笑った。

「フーガぁぁぁ! 私だ! アルムだ! 会いに来たから、話をしよう!」

 ぽかんとした。アルムは地面を踏みしめて、声の限り叫ぶ。決して狭くはないこの地下空洞に、その声は反響した。

「ここにいるのは、わかってるんだぞ! フーガぁぁぁ!」

「アルムくん……」

「言いたいこと、たくさんあるんだ! だから、フー……」

「るっさいな! 馬鹿みたいに人のことデカい声で呼ぶなよ! 迷子のガキみたいだろーが!」

「あ」

 どこに居るのかと思ったら。キッチンのある部屋の扉からフーガが出て来た。そこは言うなればコノエの私室に閉じこもっていたことになる。見下ろすその表情は、コノエが普段見ているフーガの怒り方だった。

「お前が隠れているから悪い! ごほっ……」

「お、おい坊っちゃん。デカい声出すから……」

「はは、良いんだ、クウラ。ふふ、ほら、私の勝ちだ。もう守られて待つばかりのアルムじゃないんだ」

 満足そうに笑いつつ、やはり多少は喉を痛めたのか咳き込むアルムに、コノエは笑みを零す。見上げると、欄干を掴んだままこちらを見つめているフーガがいた。触れれば泣きだしてしまいそうな緊張感を顔に浮かべたまま。

「……フーガ、降りて来るかそっちいくか、どっちがいいッスか?」

「い、行く。そ、そこにいろよコノエ!」

 偉そうに命令して、フーガは身軽に欄干を乗り越えた。流石に目を見張ったコノエの視界で、フーガは器用に足場を見つけて飛び降りてくる。それこそ、風に舞う羽根のように。

 はらはらと見守るコノエの脇に、フーガはひらりと降りてきた。流石に着地時には足元がふらついてか、コノエの服の袖を掴んだが。

「おー、すごい。フーガは身軽なんだな」

「……なんで」

「うん?」

 アルムが首を傾げる。フーガの声は、固い。コノエを掴んだその手は、震えていた。ああ、と心の中でコノエは納得する。今自分が何をすべきか、認識する。

「何で、笑ってんだよ。お、まえ、僕のせいで、アークに連れ戻されたんだぞ。そのせいで、リーベルさんはあんな」

「そうかもしれない。でも、フーガはそうしたかったんだろう。そうしないと、いられなかった。……私がここで、今立ってるように」

「……僕は」

「私はな、ここに立っているだけで、クウラやフーガを今にも殺してしまうかもしれないんだ。それが自由を選ぶってことなんだって思うと、自分が恐ろしいよ」

 いくらナーヴ教会の天子の役割を放棄したからと言って、アルムが天子の呪いから解放されたわけではない。生きる限り、誰かの命を削り続ける。それこそ、存在するだけで罪を犯し続ける。それでも、アルムは微笑んでいた。

「……でも、私はもう一回ちゃんと、フーガと話したかったんだ。喧嘩別れなんて、寂しいだろう」

「ばか……じゃねーの。……僕なんて、恨んで憎んで、きらいに、なれよ。それが普通だろ……」

「そうか。でも生憎と私は世間知らずだから、普通じゃないんだ」

 そう言って、アルムは手を差し出す。多分、仲直りの意味を込めた、握手の為に。俯いたまま震えているフーガには、見えていないようだが。

 黙ってコノエはフーガの肩を押した。驚いて顔を上げたフーガに、コノエはいつものように笑みを向ける。

「ほら。……仲直り、したかったんじゃないんすか」

「……コノエ」

「そうだぞ。私はフーガと仲直りをしたいんだ。血を流さず、言葉だけで和解できるなんてこの世界で何よりも難しい」

 アルムの言うとおりだと、コノエも思う。この世界は血を流すことに慣れ過ぎた。それ以外で他人との関係を変えることが出来ないと思い込むほどには。

 フーガはしばし沈黙した後、コノエを掴んでいた震える指先を離す。それでも手を出せずにいたフーガに、ふとアルムが笑った。

「はは……情けないな。怖くて震えてる。友達に嫌われるのは、怖いものだな」

 アルムの申告通り、確かにかたかたと、小さく指先が震えていた。コノエにも感じていたちりちりと刺すような痛みは、アルムの不安が呪いとなって漏れているのだろう。

 ふと、フーガは顔を上げる。

「……情けないのは、僕だろ」

「フーガ……?」

「ごめん。……ごめん、僕は。僕が弱いばっかりに。っ……ごめん、なさい……」

 アルムの手を両手で掴んで、フーガは膝をつく。呆気にとられたアルムの前で、フーガは震えていた。コノエが動くより早く、アルムが慌てて膝を折り、俯くフーガを覗き込んだ。

「な、なんで謝るんだ。私は何にも気にしていないぞ。むしろ、また会えて嬉しい。もう、会えないかと思った。言葉をかわせないかと、思った」

「死んだ、はずだったんだ。コノエに助けてもらわなきゃ、僕は」

「そうか。じゃあコノエには感謝しないといけないな」

「ごめんなさい、ごめ……っなさ……」

「良いんだ。らしくないぞ、フーガ。そんなに泣くな。私まで悲しくなる。私は悲しくなると、お前を殺してしまうかもしれないんだから、だから、そうだ。私の話を聞いてくれ。すごいことが、たくさんあったんだ」

「なん、だよ……それ。僕はもう、最近ずっと、泣き虫なんだよ」

「そうなのか。知らなかった。なんだ、そうか。フーガも変わったんだな。うん、それは良い事だと思う」

「良いもんかよ」

 ぽす、と力無くフーガがアルムの頭を拳で叩く。アルムが笑って、フーガもやっと笑う。その笑顔に、コノエがやっと安心できたのは二人には秘密だ。

 

「あれ、クウラ。話は終わったのか? それにしてはクヴァルがいないな……?」

 日の当たらない畑で話が終わるのを待っていたフーガとアルムの元にやってきたのはクウラ一人だった。苦笑いを浮かべて、クウラは親指で後ろを指す。

「あちらのボスがクヴァルの聖印に興味津々で捕まってる。助けに行ってやれ、アルム。敵陣の只中に立たされて窮地の顔をしてたぜ」

「そうなのか? でも私もカバネやクオンと話したい所だし、行ってきてもいいか、フーガ」

「僕の許可なんて要らないだろ。……どうせまだ、話すことはあるだろうし」

「あ……、うん、そうだな! そうだった! 行ってくる!」

 ぴょんと飛び跳ねるように立ち上がって、アルムは軽い足取りで走って行った。変わらない……どころか、少しアクティブさが増したようだった。少しフーガには羨ましい。今のフーガは、動くことが怖いままだから。

「……すげぇな、ここは。ついてる灯りが、まるで星みたいだ」

「いつでも夜です。……ずっとずっと、夜のままで静かです」

「そうかよ」

 かち、と後頭部に硬いものが当たる。振り返らなくても分かる。クウラが突きつけた、銃口。フーガは動かず、少しだけ視線を下げた。

「……言い訳は、しないですよ。許されるわけないんで」

「分かってて、逃げないのか」

「逃げたって、しょうがないでしょ。……僕は死ぬまで誰かに恨まれて当然なんですよ。地の果てだって追い掛けてくる。……今のクウラさんみたいに」

 驚くほど心は凪いでいた。ある意味では、覚悟していた。クウラがここに来た意味は、それしかないと。膝を抱えて、フーガは自嘲する。

「馬鹿だなぁ。……分かってるのに、死にたくない。まだ、生きていたい」

「……フーガ」

「すみません。僕にそんなことを願う資格は、ないですよね。三人、殺したから、三発はください。……それまで、死なないように、頑張ります」

「……良い覚悟だ」

 覚悟なんて、出来ていない。震えないように体を抱きしめて、泣き叫んでコノエやカバネに助けを求めたいのを喉の奥で堪えている。でも、罰は受けなくては。唇を噛み締めて、目を固く瞑る。

――コノエ、ごめんな。僕、やっぱり先に死ぬみたいだ。

 それだけは、後悔しても後悔しきれない。カチン、と音が頭蓋を伝わった。痛みは……こない。衝撃も、火薬の匂いも。

「……え……?」

「もうフーガは、充分苦しんだろ」

 ぐしゃ、と頭を乱暴に撫でられる。身を竦ませたフーガの横に、クウラが座り込んだ。手には銃。マガジンは、装填されていなかった。目を見張る。それはつまり、最初から殺すつもりなんて無かったということで。

「クウラさん……なんで」

「何でも何もあるか。はぁ……別にオレはお前を殺しに来てねぇっつの。なのにカバネ?

だっけか? あいつは無表情で『血でしか罪を裁けない歴史は止めなければならない。世界に本当の自由を齎したいと思うなら、ここで終わらせろ』って急に言い出すし」

「え、えっと……?」

「クオンは『僕達には風が吹く世界が必要なんだよ』とか訳のわかんねぇこと言うし。確実にオレがフーガを殺しに来たと思ってたぞアイツら。失礼すぎんだろ、おい」

「こ、コノエは何か言ってました……?」

「コノエ? ああ、あのお付みたいな? えー……。いや特に何も」

「……コノエの馬鹿」

 つい悪態を零す。こっちは死を覚悟して最後に思ったのはコノエだったのに。はぁ、とクウラがため息をついてもう一度……先程よりは優しく頭を撫でた。

「……ごめんな、気付いてやれなくて。いや、気付いてたんだよ、オレは、心のどっかで。でもリーベルが何とか抑えてくれてると思った。期待し過ぎたんだよオレも、アイツに」

「違いますよ。……僕が弱かったから。自分を見失って、しまった、から」

「それでも。……お前みたいな子どもに銃を持たせて良いわけがなかったんだよ。止めてやるべきだった。それが、年上の努めってモンだろ。仮にも平和主義集団のリベリオンが間違ってちゃ、示しがつかないだろ」

 首を振った。銃を手にしたのはフーガの選択だ。クウラやリーベルに非はない。それでも、クウラは悔いてしまうのだろう。フーガがアルムやリーベルに対して死ぬまで罪を感じるように。平行線の後悔だ。

 何も言えず、フーガは目を伏せた。

「なぁ、帰ってこないか。今のリベリオンは、割と再編成で大変でさ。お前のことなんて、気にしてる余裕があるやつの方が少ない。リーベルが復帰したら、お前が頼りになるだろうよ。だから」

「……僕は、リベリオンには帰らないですよ」

「引け目か?」

 首を振る。クウラの手が、頭から離れた。怪訝そうに見つめるクウラの瞳を見やって、フーガは薄く笑った。

「好きなんですよ。ここが。ここにいる人達が。……初めて……、安心して眠れる場所を、泣ける場所を、見つけた。……僕、ここで命を助けてもらってから、泣いてばっかなんですよね。笑っちゃうでしょ」

「笑うか。……そうだな。あいつらなら、お前のことを気にかける余裕、持ってくれてるよ。……良かったな」

「……すみません。のうのうと生きて」

「裏切り者はオレがさっき殺した。こいつでな」

 手にしていた銃を軽く掲げて、クウラは笑う。体が恐怖を覚えていなければ、クウラの差し出してくれた手を取っていたに違いない。クオンやコノエが与えてくれた優しさと、大差はないのだから。

「千年かぁ。……気が遠くなりそうな時間をここで黙って生きてた人達が、手を貸してくれるってのは……なんか、不思議だよ」

「人が良いからじゃないですか?」

「……そんな簡単な決意じゃないと思うぜ、オレは。……まあ、何にせよ助かる。しばらく、リーベルのことは頼むぞ」

「まだ、クウラさん達は戦うんですね」

「生きてる事がこの世界じゃ一番難しい。自由を求めるなら尚更だ。……お前は、ここから見てればいいさ」

「見てるだけは、しないかも……ですよ」

 胡乱げに、クウラがフーガを見やる。フーガは小さく笑って、上を、厚い大地の層の向こうへ、目を向けた。

「カバネやコノエが行くって言うなら、僕も行きますよ。あの人達に救われた命だから、そのために使いたい。……地上で空を見るって、約束したし。それは贖いじゃなくて、僕がそうしたいから。必要なら、戦えますよ。……今すぐはまだ、無理ですけどね」

「……そっか。……リーベルの後ろを追いかけることしかしなかったフーガが、誰かの隣を歩くことを覚えたわけだ。安心したよ」

 クウラはマガジンの入っていない銃をホルスターに戻し、立ち上がった。

「もう行くんですか」

「割とオレは忙しいんだ。……じゃあな、フーガ。……長生きしろよ」

「クウラさんこそ。……死なないで、くださいよ。僕より先に」

 永遠の別れのつもりもないのに、この世界の刹那を知っているが故の挨拶を返してしまう。その挨拶を寂しいと思う程には、フーガは安心を知ってしまった自分を悟る。

 クウラの歩いていく先に、待っていたようにコノエが姿を見せる。出口まで送り届けるのだろう。最後に振り返って手を振ったクウラに、フーガも手を振り返す。

「……今まで、ありがとうございました」

 リベリオンへの別れを呟いて、フーガは目元を拭った。

 

 正直、ハラハラしていた。クウラに殺意はないと踏んでいたが、フーガの罪は裁かれても文句は言えない。コノエにとってフーガを今失うことは、死ぬことをまた諦めることに繋がる。死にたいわけではないが、終わりが見えない道を再度見つめるのは心が折れる。幸いにも、杞憂に終わったようだが。

「……来たときと同じで数時間は掛かると思うッスけど、他の道よりは近いんで」

「ああ、分かった。……悪いな、リーベルのことを任せて。アルムとクヴァルも数日置いていくけど、迎えが必要なら無線で呼んでくれ」

「カバネさんに伝えときます」

「はは……、アイツ、オレちょっと苦手だわ……」

 苦笑いを浮かべたクウラの気持ちは、コノエにも多少分かる。フーガに関して珍しく鋭い牽制をしていたのは、コノエも流石に驚いた。恐らくは、コノエのために釘をさしたのだろう。

「……悪い人じゃ、ないんで。心配してくれてるんすよ、フーガのこと」

「そうだな。アンタも含めて、フーガの事を大事にしてくれて助かるよ。……振り返ってみればオレ達じゃ、誰かを気にかける余裕なんて持ってなかった」

「ちょっと隠居暮らしが長くて、無駄に年食ってるだけッスよ。だから多少の悪戯には目を瞑るだけ。……本当は、帰してやるべきなんですけどね。フーガは、普通の人間なんで」

「それをアイツは望んじゃいない。……ありがとう、フーガの命を拾ってくれて」

 冗談めいたトーンを捨てて、クウラが言う。その真剣な眼差しに、コノエは向き直った。

「気まぐれッスよ。死なせてやる方が、百倍楽だったかもしれないんで」

「それでも、フーガはここでの方が息をしてる。こんな事をオレが言うのも変だが、フーガを頼みます」

「……頼まれなくても、死ぬまで……少なくとも、ここを自分で出ていく気になるまでは、孤独と恐怖を感じさせるつもりは、ないッスから」

「フーガはアンタを一番頼りにしてるみたいだった。……頼むぜ、人生の先輩」

 大した人生経験なんて持っていない。それでも頷かないと、クウラに示しがつかなかった。足元の悪い抜け道を、クウラは登っていく。クウラの持参したライトの灯りが遠くなり、やがて見えなくなった頃コノエは息をついた。

「本当に良かったんすか、一緒に行かなくて」

「き、気付いてたならもっと早く声掛けてくれても良いだろ」

「するわけないでしょーが。……追い掛けるなら、今ッスよ」

 岩陰に身を隠していたフーガは不貞腐れた顔でコノエに歩み寄る。

「なに。行ってほしかったってこと」

「そうしても止めないって言ってるんすよ」

「行くわけないだろ! コノエの馬鹿。……約束しただろ。一緒に生きて、死ぬって。……そうじゃなきゃ、嫌だ」

 勢いをなくして俯いたフーガに、コノエは苦笑する。本当に、気が強いんだか弱いんだか分からない。不安げに指先を掴まれ、コノエは黙ってフーガを抱き寄せる。ぐす、と鼻を啜った音にまた泣いてるのかと笑みが零れた。

「大丈夫、また会えるッスよ」

「るさい。……そうじゃないし」

「はいはい。……一緒ッスよ。地下から見る天井じゃなくて、ちゃんと空を見るまで。カバネさんもクオンさんも、もちろん俺も一緒にいる。一人になんてしないッスよ」

「……うん」

 戻れる世界を諦めてでもここにいると決めたフーガだ。その決意は無駄にはしたくない。黙って抱き締めていると、ふと、フーガが笑う。

「あーあ。……本当僕はバカだなぁ」

「そーッスね」

「コノエが言うな。コノエを好きになんてならなきゃ、クウラさんについてったのにさ。本当、僕は馬鹿」

「大丈夫ッスよ。俺が離さなかったと思うし」

「何だよそれ。……嬉しくなっちゃうだろ」

「ご自由に。そろそろ飯の支度しないといけないッスからね。離してもらっても?」

 少し不服そうにしつつ、フーガは手を離した。代わりに手を繋ぐと、今度は恥ずかしそうに目を伏せる。忙しない感情の動きが、今日もコノエには和む挙動だった。

 アルムが呼ぶ声が聞こえる。今夜の食卓は、いつも以上に賑やかになりそうだった。

 

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