第三話 音が聞こえる

 案の定マネージャーは憤慨していた。表面上はいつも通りの笑みを浮かべていましたけど、苛々とずっとスマホの画面を爪で叩いていた。こっちまで苛々しますね。新年早々、気分が悪いですね。お互い様でしょうけれど。

 狭いエレベーターの沈黙の空間についため息をつきたくなる。

「今日は送りは結構です。買い物がありますので」

「こっちは話があるんだよね」

「それは今でなければいけませんか? 申し訳ないですが、すでに深夜回っているので後日にしてもらえますか。疲れましたので。新年ですし」

「何も知らないってふりをされては困るよ」

「何のことです? はっきり言ってくださらないと、今の所濡れ衣ですよ」

「そういう言い方をする時は、分かっているときだ」

 流石、付き合いは長いですね。ZOOLのあいだは担当を外れてましたけど、子役の時代はこの人にはお世話になった。良くも悪くも、この人のおかげで私はここまで来たと言っても過言ではないですからね。言ってしまえば、厄介です。この人相手にはとぼけきれない。

「……長くなる話でしょう」

「なりそうだね」

「時間を必ず作りますので。……今は休ませてください。逃げも隠れも出来ませんから」

「……わかった」

 私のこと自体が嫌いではないんでしょう、きっと、この人は。自分のテリトリーを外れると不愉快になるのは仕方ない。逃げるつもりはないですし。ただ今は、とにかく狗丸さんの待っていてくれる自宅へ、早く戻りたい。これらから来るであろう波乱の日々から、少しだけ目を背けるために。

 

 死ぬほど気が滅入りそうになる。めちゃめちゃ並んだマネージャーからの着信履歴。ラビチャも凄いけど開くのが怖すぎる。言ってなかったのは本当に、悪いと思ってるけど。言ったら絶対止めたろ。泣きつかれたらきっと俺は折れてただろうし、そしたらミナがどれだけ落ち込むか怖かったし、天秤にかけてこれだ。俺のせいだから、殴られるくらいは覚悟しないと。

 日が変わる少し前くらいに目を覚まして、もちろんミナは仕事に出て、部屋にはいなかった。ちょっと寂しい。出演してたはずの番組も終わったみたいだし、そろそろ帰ってくるよな。……腹減った。そういやお節とか買ってないな……正月っぽさゼロだ。

「コンビニでも行ってくるかなぁ……」

 ベッドでごろごろ転がってても腹減るだけだしな。気合を入れて起き上がると、鍵の開く音が聞こえた。や、やべ。ミナ帰ってきた。

「お、おかえり」

 慌ててリビングに顔を出すと、ミナは一瞬目を丸くしたけど、すぐに笑みを浮かべた。

「あら、起きてたんですか。ふふ、疲れて朝まで寝てるかと思いましたよ」

「あー……まだ眠いけどな。腹減ったんだよ」

「なるほど。じゃあ簡単に何か作りますね。あと……ちょっとだけお酒買ってきたので一緒に飲みません?」

「え、飲む!」

「じゃあ先に飲んでて良いですよ。はい、狗丸さんの好きなビールです」

「最高!」

 二本渡されて、いそいそとソファに収まる。ミナは着替えもそこそこにエプロン着けると冷蔵庫をなんか漁ってた。俺より全然出来るもんなーミナ。飲んでていいって言われたけど、ちょっと申し訳ないから待ってたら五分位でクラッカーにチーズ載せたやつとか、ベーコンとコーンとほうれん草バターで炒めたやつとかが出てくる。冷蔵庫にあるの見ただけでよく出来るな……。

「待っててくれたんですか。嬉しいです」

「おー。新年だしな! まさかここに居るとは思ってなかったけど」

「……私もです」

 二人で笑い合って、俺はビールの缶を、ミナはハイボールの缶を開ける。何だろうな。やっぱ不思議だ。日本に帰ってきたのは当たり前として、ミナの家に一月以上も居候してるのは。……一月かぁ。

「どうかしました?」

「いやそろそろ……そろそろ出ないと申し訳ねぇなー……と」

「私は居てくれて構わないですよ」

「そうはいってもなぁ……」

 トラは忙しいのか連絡ないし、俺もちゃんと探さないと駄目か。年末のライブの忙しさで後回しにしてたけど、年明けからはちゃんとしないとな。マネージャーのお小言も覚悟しとかないといけねーし……。あ、そうだ。

「なぁミナ、大丈夫だったか? マネージャーさんに、何か言われてねぇ?」

「話は今度改めて、と言っておきました」

「そっか。……説得しきる前になっちゃってさ、悪かったな」

「そうしたのは私です。何にも、後悔なんてないですよ」

 指先にミナの手が触れる。冷たいな。料理したせいか缶握ったせいか、外が寒かったのか分かんない手を握ると、ミナは嬉しそうに小さく笑った。肩寄せて酒飲んでるの、案外初めてかもしんないな。気が重いことは沢山あるけど、今はこの空間が心地良い。

「最初は何でミナを好きになったのか全然分かんなかったけど」

「ちょっと」

「今は良かったって思ってんだよ。怒んな怒んな」

 俺は笑ったけど、ミナは不服そうな顔を崩さない。まあ、そんな顔を見せてくれるようになったのも、貴重なんだろうけどさ。ごめんの代わりにキスして誤魔化す。こんなので誤魔化されないって怒られそうだけどな。

 苦笑いを浮かべた俺に、ミナは黙って額を寄せる。ちょっとドキッとした。

「……私だって、狗丸さんを好きになって、今まで好きでいられて、幸せですよ」

「お、おう……」

「これからも、幸せで居させてください。やっと……、貴方がいる年明けが帰ってきた。もう一人になんて、しないでくださいね」

「分かってるって。一人にもしねぇし、寂しくもさせねぇよ」

「あ……、と。……その」

 急に尻すぼみになったミナに、目を瞬く。いつもの余裕のあるミナの仮面が剥がれそうになっていた。……あー。

「ホント、ミナは余裕があんのかないのか、分かんねぇよなぁ」

「何も言ってませんけど……」

「押し倒されたら困るくせにおもしれー」

「それは……、今なら……その、飲んだら勢いでいけるかと、思った、んです……けど……その」

 あ、やっぱそうだったのか。どーりで煽ってくるみたいな距離で来ると思った。つい噴き出したら、ミナは恥ずかしそうに目を伏せてそそくさと手すら離す。極端なんだよな、いつも。

「一歩ずつで良いだろ。取り敢えず、食って飲んだら、今日も腕枕してやるぜ」

「……はい」

 ほっとした顔をしたミナに、それでもちょっとは惜しいから長めに、大事にキスをする。課題は山積みだけど、それは昔からだ。今は手が届く範囲で触れられることを噛み締めて、お互い照れくささを隠せず笑い合った。

 

 ガミガミ怒られるとか、ちくちく嫌味を言われるくらいならまだしも、これは結構キツイな。次のCDのMV収録のための打ち合わせに向かう車内で、ずっとマネージャーは嘆いていた。

「そりゃあですよ、知ってますよ。私だってアイドルって凄いなぁと思ってこの業界入ったくらいですし、ZOOLの、てか、棗さんの曲は最高にロックでカッコよくて狗丸さんの雰囲気と合うのは知ってますよ知っていますとも」

「……はは……ミナが喜ぶと思います……」

「でも! こういう事は困るんですよぉ。私に相談してくれたっていいじゃないですかぁ! 上手くやれるように立ち回るのが私達マネージャーの仕事なんですよぉ」

 いやはや、仰るとおりです。口答えできやしない。この人はミナと組みたいって言ったときに反対しなかったからな、最初から。むしろ乗り気だった。乗り気だっただけに……申し訳無さはある。良心が痛い。

 模範的安全運転で左折。大通りを抜ければ本社が見えてくる。ちょうど赤信号に捕まって緩やかに減速すると、ふと。

「はぁ。言いたいことは山ほどあったんですけど、なんかどうでも良くなりました」

「すんません……」

「謝らなくて結構です。曲、最高でしたから。狗丸トウマって感じで。……だから」

 ルームミラー越しに目が合う。思わず背筋を伸ばした。俺より三つ上だけどちょっと童顔のマネージャーがにっと笑う。

「絶対CD化しましょう。もちろん作詞作曲棗巳波ってクレジットで。私も頑張ってみますんで!」

「……あ……、ありがとうございます……!」

「てことで秘密はもう無しですよ! 他に秘密にしてることあります?!」

「な、ないです……今の所」

「なら良しです! よーし、今日の打ち合わせも気張ってきますよー!」

 一人でテンションブチ上がってるマネージャーに苦笑いが溢れる。この人、結構面白いよな。しかし咄嗟に秘密はもうないって言っちまったけど、今はミナの家に居候で、ついでに付き合って四年目になることは伝えといたほうがいいんだろうか。藪蛇になりそうな予感に口を閉ざしたけど、やっぱり良心が咎めてしまった。

 

 マネージャーはあれから狗丸さんに曲提供したことに対することは何一つ言わなかった。まあすでに仕事は立て込んでますし、ゆっくり話す時間がないのも確かですけど。時間が許してくれる問題では絶対にない。向こうも有耶無耶のまま、私を放置することはしないでしょうからね。仕事を詰めれば作曲なんてしない、なんてことは有り得ないと、証明してあげましたし。とにかく今は、撮影スケジュールが落ち着くまで走り抜けるしかなかった。

「……また飲んできたんですか……もう……」

 帰宅してソファで幸せそうに寝ている狗丸さんにため息をつく。そういえば、今日は音楽番組でRe:valeやIDOLiSH7の皆さんと一緒だって楽しみにしてましたっけ。久しぶりですから仕方ないですけど、……ここ二週間くらい、しょっちゅう飲み歩いてません? ちょっと腹立ちますね。私のオフとは合わないし。

「風邪ひきますよ、狗丸さん」

「んぁー……? ミナぁ、おかえり……」

「またそんな飲んで。明日オフだからってハメ外し過ぎですよ。今掛けるもの持ってきますからね」

「大丈夫だいじょーぶ。ほら」

 腕を引かれて、半分倒れるようにして狗丸さんの腕の中に捕まる。思考が止まった。ぽんぽん頭を叩かれて、少しでも顔を上げればお酒の匂いが掠める。

「くっついてればあったかいぜー」

「ば、馬鹿なことして、ないで、離してください。風邪引いちゃいますから」

「離さねぇ」

 声音が微妙に、低くて。驚いて息を呑んだ。嬉しいなんて、思うのは変なんですけど……どきどきするのは、止められない。ぎゅっと唇を噛み締めて飛び出しそうな心臓を落ち着けと言い聞かせる。言い聞かせて、た、はずなのに。

「出てきたくねぇなー……」

「え……」

「はぁ……ミナの匂いがする。すげー好き」

「ちょっ……っ、もう、いい加減にしてくださいっ!」 

 思いっきり平手打ちしてしまったけど、狗丸さんが悪いですからね! 伸びたのか寝ぼけてたのか、静かになっちゃいましたけど! 慌てて立ち上がって、耳に触れる。あつい……。

「私の馬鹿……」

 好きと言ってくれた際に耳元を掠めた吐息の感覚がリフレインする。恥ずかしさを振り切って、ひとまずブランケットだけ掴んで適当に狗丸さんに掛けると逃げるように寝室に引っ込んだ。本当にもう、最悪です。

「……勢いに任せないでできるわけ無いのに、私の馬鹿……」

 果たして私はいつになったら狗丸さんとこれ以上進展できるのか、甚だ疑問になってきますね……自分のせいですけど。

 翌朝案の定狗丸さんは何にも覚えていなかったのは、少々不服でしたが。

 

 明日は久々のオフ。しかも二日もです。明後日は狗丸さんもオフらしいので、久しぶりに二人で何処かへ出掛けたりしてもいいかもしれないですね。ふふ、ちょっと楽しみになってしまいました。マネージャーも忙しいみたいですし、例の話はもう少し先延ばしですね。それなら、先に狗丸さんと約束を取り付けておきましょう。あの人、多分私の休み把握してないですし。

 スマホを取り出して、ラビチャを開く。あ、電話の方が早いですかね。でも仕事中だったら迷惑ですし、とりあえずこっちにしておきましょう。

少し自分が浮かれてるのも自覚しつつ。えっと、明後日休みなので、今日帰ったら少し話がしたいです、と。あ……もっとストレートに何処か行きましょう、くらいが良かったですかね……。もう送ってしまいましたけど。

「……あ」

 眼鏡を掛け直していたら、返信が。少しのびた髪を整えつつメッセージを確認して……勝手に緩んでいた顔が固まる。え、待って。

――今三月さんと飲んでるから、帰ったら聞くな! 

 いえ……狗丸さん、楽しくなるとずうっと飲んでて午前様じゃないですか。自覚ないんですか。私の話はその程度ですか? え、もし深刻な話だったらどうなさるおつもりで? というか、最近日本に帰ってきたのが知れ渡って色んな人からの誘いで飲みに行ってますけどその間私いつも一人で待って……

「はぁー……」

 久方ぶりに深いため息が出た。こんな、こんなことで。悲しいんじゃなくて、もっと純粋に腹が立って……。

「……分かりました」

 ぽつ、と呟く。ええ、もう、分かりました。すごくよくわかりました。ラビチャを閉じて、代わりに電話帳を開く。一ヶ月と少し前まで良く掛けていた番号を、迷い無くコールした。

 

 三月さん相変わらず良い人で、俺がいなかった二年間のことを聞かせてくれた。IDOLiSH7のことはもちろん、TRIGGERとか、Re:valeとか。あとは本人達は恥ずかしくて言わないハルやトラのことも。それぞれやっぱり活躍していてすげーなぁって感心した。俺だけが置いてかれてるかもしれない。それはちょっと怖いな。

「いやでも、狗丸も頑張ってたの知ってるぜ。前に御堂と食事行ったとき、不器用そうに褒めてた」

「マジっすか? うわ、想像できねぇ。あいついっつも俺のことを鼻で笑うからな……」

「あはは、恥ずかしいんだろ。ZOOLって揃いも揃ってそういうとこあるもんな。あ、狗丸は素直だけど」

「それはあるかもしんないです。あいつらとも飯行きたいんすけどねー……」

「あ、それならさっき……」

「こんばんは、和泉さん」

 え? ノックもなしに、個室の扉が開いて聞き覚えのある声がした。ひらりと楽しそうに手を振った三月さんに、俺も振り返ろうとして問答無用で奥へと追いやられる。

「……トウマやらかしたなお前……」

「え、と、トラ? 何でお前ここに……」

「勘弁しろ……もう面倒見きれないぞお前達は……」

「すみませんお邪魔して。私も久しぶりに和泉さんとお話してみたくて」

「良いって良いって。狗丸とも飯あんま行ってないんだって? ちょーどいいよ」

「ええ、本当ですねぇ」

 ちょっ……とこれはまずいやつだな? トラは額を抑えて黙り込んでるし。三月さんの隣でにこにこと笑顔を浮かべてるミナは、多分これ、やばいな?

「お、おいトラ」

「もう出来上がってる。知らないからな。ちゃんと連れ帰れ」

 小声で説明を求めたけどいまいち的を射ない。飲んで来たってことか? 俺ミナが酔ってるの見たことないからよく分からないんだけど、暴れたりすんのかな。流石にそれはまずいな。俺が隣に行くべきか?

「ミナ、飲んできたのか?」

「そうですよ。狗丸さんと同じです。あ、注文は先程済ませてきたのでお気遣いなく」

「お、そうなのか。手際良いなー棗」

「ふふ。お褒めにあずかり光栄です。そうなんですよ、私は気が利くんです誰かさんと違って」

「思いっきり狗丸に向けて言ってんじゃんか。許してやれよー」

 冗談ぶつけ合ってるつもり……なんだよな、多分三月さんは。でもミナの顔はそうじゃない。確実に酔いが回ってる。こ、これは今すぐ帰るべきなんじゃねーかな。

 慌てて財布の場所を確認して、三月さんと談笑中のミナに目を向ける。

「ミナ、明日仕事ないのか? 夜更かしは良くねーだろ」

「……はぁ、そうですね」

「いや、そうですねじゃなくて……」

「おまたせしましたー! 熱燗とかちわりワインですねー」

「ありがとうございます」

 店員さんからさっさと酒を受け取って、ミナはご機嫌そうに口を付けた。かち割りワインはトラか……お前そういうの飲めるようになったんだな……。いやそうじゃない。

 

 三月さんはミナの飲みっぷりがいたく気に入ったのかどんどん勧め始めるし、助けを求めようにもトラは何も聞かないふりを決め込むし一体何なんだこの状況は。酔いが冷めてくる。

「ん、どした狗丸ー。顔が固いぞ。久々のメンバーの前で緊張してんのかー?」

「いやあの……、は……あははは……」

「あらそうなんですか? 私の前で緊張することあります?」

「ね、ねぇけどさぁ……」

「というか。私は明日オフです。明後日もオフです。やっとお休みがいただけたんですよ。その意味分かってます?」

 目が据わってんな……。も、もしかしてさっきのラビチャ、そういう事か? 明後日どっか行きたかったとかそういう……。し、しくじった……!

 はぁ、とトラがため息をついてるからそう言うことだよな。ミナはちびちびお猪口に口をつけてたけど減りが速い。絶対これ飲み過ぎてんぞ。

「別に、別に良いんですよ。狗丸さんは昔から人に好かれやすいですし、人のこと好きですし、誰かと楽しい時間をいつだって過ごしたいタイプですからね」

「……おい狗丸、棗大丈夫か?」

 三月さんは小声で確認してきたけど、それは俺が聞きたいくらいなんですよね! どう声をかけたもんか。

「それは、私は忙しいですけど。でもですよ。疲れたなぁと帰って来ても、待っててくれるだけで明日も頑張ろうって思えてたんですよ」

「み、ミナ、うん、分かった。話聞くから、二人で話すか、愚痴聞くからさ」

「全ッ然聞いてくれてませんよね?! 帰ったら仕事か飲みに行ってていないか、酔い潰れてリビングで転がってるばっかりじゃないですか!」

「いやそれは、ごめんだけど、あ、いやええと」

 三月さんの視線が痛い。目を丸くして俺とミナを交互に見るのはやめてください説明しにくいので! 言葉を必死に探しても見つからなくて手に汗が滲む。

「っ……たし……、私、二年、待ったんです、よ」

「棗……」

「たく、さん話したい事、あって、っ……聞きたいことも、あってっ……なのに、こんなの、ひどいですよ……」

 ついにはミナはぽろぽろ泣きだしてしまった。滅多に他人にこんな弱い所見せなかったのに。それくらい心が不安定になってたなんて知らなかった。三月さんは黙ってミナの背を叩いて宥めてくれたけど、ミナは俯いてぐすぐす涙を落とす。どう、しよ。俺どうしたらいい。何も言えなくなった俺の襟を、黙ってたトラが掴む。

「ちょっと来い」

「え。あ」

 有無を言わせぬ勢いで連れ出される。トラはすぐにかわいい店員さんを捕まえて空いてる個室を聞き出し、俺はそこへとさっさと連行された。

 ぴしゃりと個室の扉を閉めると、トラはまた一段と深いため息をつく。  

「……ご……ごめん、トラ……」

「いや、いい。……見てのとおりだ。お前が居なかった二年間、しょっちゅう呼び出されてはあんなだった。最悪だ」

「マジかよ……」

「今日も久々に呼びつけられたも思ったら止める間もなく酒入れるし、……はぁ……別に飲み歩くなとは言わないが、家探しを引き伸ばして引き留めてでもお前を離したくないことくらい、察しておけ……」

 もしかして、それで全然家紹介してくれなかったのか。あー……最悪過ぎるな……。頭を掻き毟って、俯く。そんな事、全然気付かなかった。一ヶ月以上一緒に居たのに、何でだろうな。前の方が……俺はちゃんとミナのこと見てた気がする。そばにい過ぎて、甘えてたのかもしれねーな……。

「……ホント、俺は駄目だな」

「だから言ったろ。あれは面倒くさくて俺なら嫌だって。……でも、あんな状態でもトウマは巳波が要るんだろ」

「……うん」

「なら、しっかりしろ。お前ももう二十五だろ。何時までも俺が面倒見られると思うなよ」

 頷く。本当、面倒見いいよな、トラはさ。頬を叩いて気合を入れる。よし。取り敢えず宥めて家まで連れ帰らないとな! 明日は仕事終わったら速攻で帰って話をしよう。トラは少しだけ安心した顔をして強めに肩を叩いて俺を叱咤した。わかってる、頑張るって。

 少し緊張しつつ、もとの個室の扉を開け……

「っとにですよ、料理も洗濯も掃除も全然覚えてくれなくて、それは、やってくれるのは有り難いんですけど、全部どこか詰めが甘くてですね」

「あー、いる。うちの寮にもいた。そういう手の掛かるおっさんな」

「結局私がこっそりやっておくんです。その辺の感謝が足りないと思いません?!」

「おーおー、棗頑張ってる。偉いぜ!」

「ありがとうございます。仕方ないですけどね、結局惚れた弱みですから、私の落ち度ですけど!」

 泣いてねぇな。むしろ元気に酒飲んで三月さんと盛り上がってんな。俺の気合を返してくれ……。楽しそうだな二人とも……。

 立ち尽くしてたら、ミナはびっと指をさして俺を見やった。目が据わってる。

「そこ突っ立ってないで座ってください狗丸さん。あ、御堂さんはもう帰っても良いですよ。お疲れ様でした」

「お前がもう帰れ……いつもの倍くらい酷いぞ……」

「そ、そうだぞ。ミナ、帰ろうぜ。三月さんに悪いし」

「悪い? 悪いってなんですか。愚痴るくらいさせてくれたっていいじゃないですか。狗丸さんだってそうしてるでしょう」

 おい。何かカチンとくるな。酔っぱらってるから多少は仕方ねぇけどさっきから大分ミナは俺に対して言いたい放題だな……?

 ミナはいつの間にか冷酒に変えてたのか、グラスを傾けて不機嫌そうに目を逸らした。ガキか。

「私は毎日マネージャーの嫌味とか苦言を受け流して、何とか曲作れる環境を掴もうとしてるんですよ。ストレス溜まってて当たり前でしょう」

「……ミナ」

「帰ったって狗丸さん全然話聞いてくれませんしね」

「言わなきゃ分かるわけねーだろ馬鹿!」

 思わずテーブル殴って言い返しちまった。三月さんとトラが目を丸くしたけど、俺だって言われっぱなしじゃない。ミナが俺を凝視する。俺は流石に、睨んでしまった。

「お前いつも平気平気って受け流し過ぎなんだよ! 聞いて欲しきゃちゃんとそう言え! 分かるわけねぇだろ。こっちも仕事で疲れてんだから!」

「飲み歩いてた人が言う台詞ですか?!」

「るせーな、帰宅を待ってろとは言ってねぇだろ! 俺は所有物じゃねぇんだよ! ミナの好きな通りに動く訳ねーだろーが! そんなに察してもらわないとストレスになるくらいなら、もう出てくから安心しろ!」

「えっ」

「おいトウマ! さっきの話忘れるのが速すぎるぞ」

 ミナは青ざめて、トラは慌てて俺を止めたけど、でもそうするしかねぇだろ。一緒に暮らしてストレス抱えてたって仕方ない。少し距離がある方が上手く行くのかもしれないんだろ、俺達は。残ってたビールを飲み干して、頬杖をついてミナからは目を逸らす。駄目だ、俺も苛ついちまって余計なことを言い兼ねない。

 沈黙が降りて、数十秒。ぱん、と両手を打ち鳴らしたのは三月さんだった。

「よし。今日はここで解散しよーな」

「あ……す、すみません、三月さん折角……」

「良いって気にすんな。その代わり、ちゃんと二人で話せよ。こういう時、拗れると大変だからな」

「うす……」

 ちら、とミナを見やる。ミナはじっと黙って俯いていた。あー……しくじったなぁ、俺はまた。

 この店の分はトラが払ってくれて、三月さんはトラと一緒に二軒目へと向かって行った。残された俺とミナは、言葉を交わすことなくタクシーへと乗り込んだ。

 

 猛省、した。あんな酷いことを言うつもりはなかったのに、アルコールの影響でストッパーが、働かなかった。いえ、こんなの言い訳ですね。勢いにまかせて、私は狗丸さんを凄く……傷付けてしまった。

 タクシーの沈黙が重くて泣きそうで、やっと部屋まで辿り着いても接着剤でくっついたのではというくらい、唇が動かない。開けばまた余計なことを言ってしまいそうで、怖くなる。

「……ほら、まず水飲め」

 そう言ってコッブを差し出してくれた狗丸さんを、まともに見れない。コップすら受け取れないでいると、ソファに座らされて、コップを持たされた。隣に座った狗丸さんに、思わず息を呑む。

「……一つだけ、確認すんだけどよ」

「は、い……」

「俺は、出てった方がミナにとっては楽になるか?」

 ばっと顔を上げ、慌てて狗丸さんを見やる。狗丸さんはじっと正面を見つめたまま。唇が震える。思いを、口にするのが怖い。

「俺も居候のままでいるつもりは、ねぇけどさ。……その方が楽なら、明日にでも家見つけてくるから」

「っ……私は」

「うん」

 ここに、いて欲しい。いて欲しいですけど、放ったらかされてるのが明確に分かるときっと私はまた勝手に拗ねて怒ってしまうかもしれない。だったら自由にしてあげた方が良いのかもしれない。もう怒らないって保証が出来ない私は、多分今、世界一わがままだ。

 否定か肯定か、どちらかしなければならないのに、それすら言えない。でも、言わないのは最悪手なのは、分かっていた。だからぎゅっとコップを握り締めて、目を伏せる。糸で縫い付けられたのではと言うくらいぎこちなく、口を開く。

「……ここに、いて欲しい……です」

「ミナ……」

「でも、もう不機嫌にならない保証も、出来ないので。……それが苦痛であれば、家……見つけて、ください。……一緒にいて嫌われるくらいなら、一緒じゃないほうが……私は、良いです」

 嫌われるのは何より怖い。捨てられるのは嫌です。この人が好きだからここまで来れたのに、それが無くなってしまったら私は俳優としてすらまともに生きていけないかもしれない。依存し過ぎという自覚はあっても、今更他に寄り掛かるものを私は知らなかった。

 じっと沈黙の時間があって、ふと狗丸さんはため息をついた。思わず肩を縮める。そうですよね、面倒くさいですよね。ごめんなさい。

 胸が苦しくなる。どうして私はこんなに、いつまでも歪なんでしょう。

「……割と居心地よくて、当たり前にし過ぎてたのは、反省してるんだよ、俺も。そりゃあ……勝手に住み着いてるのに、言う事聞いてくれないんじゃ嫌だよな」

「ちが、ごめ、なさい。私、勝手に」

「おー勝手に怒りまくったのはムカついたぜ。けど俺も怒鳴っちまったし、そこはおあいこだ。……ごめんな。二年も放置してそれでも好きでいてくれたのに、俺ちょっと、日本に帰ってきたことに浮かれてた」

「嫌わないで、くれ、るんですか……?」

「当たり前だろー。……明後日休みだっけ? 俺もだし、久々に二人でどっか行こうな」

 にっと笑った狗丸さんに、唇が震えた。なんでこの人はこんなに、優しいのだろう。私ならとっくに見限っている。人間なんて信じるほうが馬鹿馬鹿しくて、適当な所で受け流してしまうのが楽だった。楽だったのに、寂しくても苦しくなっても私はこの人から、離れられないんだ。

「うお?! み、ミナ、水カーペットにぶっ溢してるって」

 そんなことはどうでもいいんです。折角いれてもらったのに、申し訳ないですけど。ぎゅっと抱き着くと、狗丸さんの鼓動が聞こえた。うん、早いですね。

「私、やっと分かりました」

「な……何が?」

「曲、かけなくてもいいです。マネージャーに反対され続けて、もしかしたらもう二度と狗丸さんに歌ってもらえなくても、諦められます」

「え?」

「でも、貴方を諦めるのだけは嫌です。嫌いに、ならないで欲しいです」

 おかしいですね。私の夢までも諦めないために海外まで行ってくれた狗丸さんなのに、無為にしてしまうようなもので。でも、曲なんか無くてもいい。ZOOLに戻れなくてもいい。狗丸さんと居られなくなる方が、よほど辛いんです、私は。

「……大丈夫だって」

 狗丸さんの腕が抱き締めてくれた。胸が一杯ですよ、これだけで。ぽん、と軽く頭を宥めるように叩いた狗丸さんがふと笑う。

「俺がミナの曲を諦めねーから。嫌いにもならねーよ。そんなに俺のことを必要としてくれて、嬉しくないわけないだろ」

「う……」

「でも飲み過ぎ禁止なー。俺も帰るの遅くならないようにするからさ」

「はい……、はい……っ」

「あと、うん、まあ色々あるけど。ちゃんと言いたい事は、言ってこうな。喧嘩しなくて済むように」

 本当ですね。私は、勝手に溜め込んで苛立つ悪いくせがありますから。顔を上げたら、何にも言わずしてちゃんとキスをくれた。嫌われたら、こんな事はしてもらえないんですよね。それは嫌です。

「狗丸さんの匂い、好きですよ」

「ばっ……、急にそういうこと言うなよ?!」

 顔を真っ赤にした狗丸さんに、つい笑みを零す。照れなくたっていいじゃないですか。先にそう言ってくれたのは、貴方なのに。

「狗丸さん、この間私の匂い好きって言ってくれたの、忘れたんですか」

「そ、そうだっけ?」

「もう好きじゃないですか?」

「……好きに決まってんだろ、馬鹿。あーもう……お前さぁ、自覚あるか?」

「……はい」

 それがどういう意味なのかなんて、聞く必要はない。だって誘ったのは私のようなものてすから。もう一回、さっきより深くて長いキスをする。もっと早く、こうしたら良かった。五年も待たせてしまったけれど、やっとこの人のものになれる。

 アルコール以外の理由でくらくらする。私にとって一番の麻薬は、この人なのだと、今更理解した。

 

 

 

「というわけで、色々迷惑をかけたけど無事新居見つけた」

「は? いいのか?」

 怪訝そうに私を見やった御堂さんに、苦笑いで頷く。いえ……本当はいて欲しいですけど。でもやっぱり、まだ私達には早いみたいなので。もう一度最初からやり直さなきゃいけないんです。

 今日は珍しく御堂さんが見繕ってくれた鉄板焼きのお店。目の前のカウンターにさっきまで狗丸さんはいたく興奮していた。無邪気で良いですね、そういう所。

「……まあ、派手な喧嘩さえしなきゃ俺はお前達がどうしようが関係ないが」

「この前は悪いな。三月さんにも、そのうち埋め合わせしねぇと」

「そんな気にしてなかったぞ、あいつ。むしろ爆笑してた。あと褒めていたな。よく二年も待ってたと」

「ふふ。本当に、自分でもそう思います。……雨降って地固まるじゃないですけど、お陰でちゃんと……お互い分かりましたから。大事なことは」

「大事なこと?」

「はい。例えば、私は狗丸さんの匂いが好きなんだなぁとか」

「……へー」

 御堂さんが狗丸さんを一瞥する。狗丸さんは慌てて目をそらしてましたけど、この人は察しがいいですから分かってますよ、多分。

 サシの綺麗な肉が焼かれる。亥清さんにも食べさせてあげたいですね。次はいつ日本に来るんでしょう。その日は空けておかないと。

「トウマが戻ってきて二ヶ月か。そろそろ落ち着いた頃か?」

「おー、やっとな。本腰入れて日本の活動再開するぜ!」

「スキャンダルで目立つのだけはやめてくれ」

 するかよ! って狗丸さんは即座に言い返した。スキャンダル。割と私達は紙一重でやってるのかもしれませんが。ただそれも、そろそろ終わりにしたほうが良いんでしょうね。

「ちゃんと話はしないといけねぇけどな」

 ぽつりと呟いた狗丸さんの言いたい事はわかっていた。私がもう一度曲を書く事を、この人は諦めないでいてくれる。だから私も、諦めてはいけませんよね。そっと横顔を窺うと、目の前で焼かれてる肉に視線が釘付けだった。きらきらと期待に満ちてる瞳に小さく笑ってしまうけど、こういう所が好きなんですよね、きっと私は。私にないものを持っているから。

 約束の日は明後日。狗丸さんの引っ越しを終えたら、その足で話し合いの場に向かう。負けないように、折れないように。今は高級肉でもいただいて、英気を養っておかないといけませんね。

 

 スーツケース一つでやってきて生活していた狗丸さんだったから、鍵をもらって、入居でほぼ終わり。家電付き物件だったのもあって、必要な食料品や食器を少し買うだけで引越し作業は終わりになった。今日からはここに狗丸さんは帰る。私が帰宅しても、待っててくれる事も、帰りを待つことも、もうない。それはやっぱり、寂しいと思ってしまいますけど。

「何また萎れてんだよ。別れたわけじゃねーだろ……」

「それはそうですけど……というか、また狭い部屋借りて。もう稼ぎは悪くないんですから、広いところ借りればよろしいのに」

「俺はこれくらいが丁度いいんだよ。広ければ広いだけ散らかす自信がある」

 否定できないですね。確かに狗丸さんは放っておいたらタオルやらTシャツやら床に落としたままでしたから。この様子じゃ、私が毎度片付けてあげてたのを、気付いてないわけはないんでしょう。甘えて貰ってたと思えば、多少は許せますけど。

 隣に座って、昔みたいにローテーブルにカップを二つ。……部屋の内装も窓から見える景色も全然違うのに、この空気は懐かしい。

「……最初からやり直し、って感じだな」

「ふふ。……そうですね」

 同じ気持ち、ってところですかね。ちょっとは淹れ方の上手くなったドリップコーヒーもおろしたばかりのクッションも、昔と変わらない気がします。

「……たまには、遊びに来てくださいね。鍵、預けておきますから」

「おー。俺の家も来ていいぞ。狭いけどな」

「そう言ってくださるのは、嬉しいです……けど」

「鍵だろ?」

 先読みされた。そうですが。玄関前の待ちぼうけは、流石に昔より問題ですからね。あれは……若かったからできた事です。たった四年前ですけど。

 狗丸さんはにこにこと楽しそうな笑みを浮かべて鍵をテーブルの上に置いた。手に取ろうとして、手首が捕まる。

「……あの」

「俺の家の鍵渡すのは、ルールあるだろ?」

「な……、狗丸さん最近、欲に正直過ぎません……?」

「あの頃とは環境が全然違うからな。……ZOOLが上手く行くようになんて考えなくていいってことは、ミナを独り占めにしていいってことだろ」

「うぅ……」

 嬉しくないわけ、ないですよ。そんなこと言われたら。それに今更、拒否もしませんけど照れ臭いのは拭えない。恥ずかしさに目を伏せたら、狗丸さんの手が熱くなった頬に触れた。恐る恐る顔を上げると、狗丸さんは苦笑いを浮かべる。

「……とか、カッコイイこと言ってみただけだって。なんか懐かしくなってさ、もっかい最初からやり直してみたくなった」

「そんな変なこと思い付かないでください。……やり直しにしたら、また私狗丸さんに二年も置いていかれてしまうじゃないですか」

「今度は連れてってやるよ」

「むしろ行かないでもらえます?」

 むっとして言い返すと、狗丸さんは目を丸くした。でも、すぐに二人揃って噴き出す。本当、微妙な所で最後は合わないんですから。離れたくないのは、お互い様なところがあるようですけど。

 額を合わせる。この距離が未だ緊張してしまうなんて、笑ってしまいますね。

「……鍵、ください」

「失くすなよ」

 狗丸さんじゃあるまいし、失くしたりしませんよ。四年前は鍵を貰うのに半年以上掛かったのに、今日は迷うこともない。最初も今も、合鍵を私達はキスの言い訳にする。きっとこれからもそうなんでしょう。それくらいの私達で丁度いい。

「よし、行くか」

「そうですね。……今日こそちゃんと、納得してもらえたらいいんですけど」

 ぎゅっと抱き締めてもらっても、不安は拭えない。

夕方五時。マネージャーと再度音楽活動について話をする時間は、確実に近付いていた。

 

 星影事務所の会議室。パイプ椅子が、いやに冷たく感じる。さっきまでは隣りに居たミナは正面にいる。顔色こそいつもと変わらなくても、あいつ思うよりメンタルが強くないからな……。すぐ極論に走ろうとするから、気をつけてやらないと。一応年上だし。一つだけ。

 俺の横にいるマネージャーも表情は硬いけど、向こうのほうが十年くらい経歴長そうだし無理もない。俺も何言われるか怖いもんな……。

 腕時計を一瞥して、徐にミナのマネージャーが口を開いた。

「細かい話をする前に……棗くん、先に言っておくことは?」

「……何もありませんが」

「はぁ……、あくまで白を切るのか……」

 げんなりとするミナのマネージャーに、つい眉を顰める。別に、ミナは何かを隠したりしてないはずなんだよな。それとも俺への牽制とか……か? 俺頭良くないから嫌味とか言われても良く分かんねぇんだよな。

 ふいに、ミナのマネージャーが俺を見やる。咄嗟に拳を強く握りしめた。

「君達、付き合ってたのか? いつから?」

「……え?」

「いや……それは後でいいか……。少しキツイことを言うけど、恋愛の延長で仕事をしないで欲しい。趣味でならいくらでも好きにすればいいが、仕事は別だ。スタッフや資金、その先にはファンがいる。遊びじゃない。プライベートで作詞作曲をして、歌うならこっちも止めはしないんだ」

「な……何言ってんです? え? 狗丸さん、え?」

 困惑したマネージャーに、俺だって何も言えない。ば、バレてるとか予想もしなかった。確かに付き合ってるけど。けど、この人の言ってることは俺達の思いとは違う。それは分かる。

 ミナだって、愕然とした表情で自分のマネージャーを見ていた。そうだよな。確かに俺達は付き合ってるけど、その延長にあるもんじゃねーよな。顎を上げる。ミナのことは俺が巻き込んでしまったんだから、俺がケリをつけないと。

「付き合って……ますけど、それと曲の件は全然関係ありません」

「ちょっとちょっとそれ聞いてないですけど狗丸さん?!」

「いや後で説明するから、今は黙っててくださいよ」

 分かるけど。パニクりたくなるものわかるけど落ち着いてくれマネージャー。話が進まないから。マネージャーはつばを大きく飲み込んで、頷いてくれた。この人、良い人だよな。俺のことをちゃんと信じてくれてて。だから俺も、前に進めるんだ。

 目を細めたミナのマネージャーの眼光が怖いけど、怖気づいてる場合じゃない。ここは、絶対に超えなければならない壁だから。

「俺もミナも、ZOOLを諦めたわけじゃないんすよ」

「狗丸さん……」

 不安そうにミナが名前を読んだ。大丈夫だっての。俺だって伊達に一人海外で揉まれてきたわけじゃねーよ。散々罵声だって浴びせられてきたんだから。体の芯に熱が灯る。

「無理な夢かもしんないけど、俺もミナも、ここには居ないけどハルもトラも、出来るならずっと歌いたかった。でもそれは契約上難しかったのは分かってるんで、それは文句言わないです」

 じっと、ミナのマネージャーは俺の話に耳を傾けてくれていた。この人も多分、悪い人じゃねーんだろうな。怖いけど。握った俺の拳は、震えてた。

「俺はずっと歌うことを決めた。ZOOLじゃなくても、一人でも。その為にミナの曲が要るんです。俺が最高に輝けたのはZOOLだったから、それはミナが用意してくれた曲があったから、つまりえっと、……俺にはミナが必要です」

 言い切って……気付く。なんかこれ、俺変な言い方……したな? それならプライベートでやってろって言われそうな……気が、する。やばい。冷や汗が噴き出した。やっぱり俺、説得とか下手すぎる……!

 手に汗が滲んで、けど上手い言葉が出てこない。だ、誰か助けて。[newpage]

「……俳優を、辞めたいと……言ってるわけじゃ、ないんです」

 ぽつ、とミナが口を開く。視線を伏せたままだったけど、ミナがちゃんと自分の思いを言おうとしてるのは分かった。上辺を均しただけの波風立てず要求を通す時は、そんな顔は、絶対しないもんな。ミナのマネージャーは、黙ってミナを見つめていた。

「ただ、私も用意された楽な道ではなくて、自分で道を、歩いてみたいんです。いつか馬鹿にされて、ゴミのように捨てられる曲だとしても、構わない。私も、私の可能性と限界を、見たいんです。その為に、狗丸さんに曲を託したい。この人はZOOLの頃から、私の曲をいつだって最高にしてくれた人なので」

「……それは、商品として成り立つと思うのかい?」

「するんですよ、私が。最高の狗丸トウマを演出してみせます。その先にZOOLがあるかもしれませんし、もっと……別の方に曲を提供する可能性だってあるでしょうから。そちらこそ、散々渋ってきた中であれだけの売上を叩き出したZOOLの作詞作曲担当棗巳波から得た利益を、安く見積もらないでほしいですね」

 こ……怖。ミナその言い方は怖いぞ……。完全にビジネスの駆け引きじゃねーか。いや、この場はそういうもんかも知れないけど。

 さっきとは違う沈黙に、場が重い。俺のマネージャーなんて、縮こまって何も言えない顔をしてた。俺もその気持ちはめっちゃ分かるけど。

「……俳優に音楽活動。利益だけ見れば、止める理由なんて一つもないんだよ」

 ミナのマネージャーはそう言って、深くため息をついた。それって、認めてくれてた……ってことで、良いのか。でも散々反対されたよな……?

 戸惑ってたら、ミナのマネージャーは防戦モードに入ってるミナを見やる。ミナはぐっと口を引き結んだ。

「上手くいけば、賛辞は来るだろう。もちろんやっかみもだけど。でも、上手くいかなければ君が被る必要のなかった中傷を受けなければならない。俳優紛いが、とか色々ね。そういう子は、業界に沢山浮かんでは消えていった」

「……はい」

「少なくとも棗くんには誰にも負けない演技力がある。きっと一生食べていけるだけの力が。だからそこに集中していくのがいいんだ」

「それでも私は、音楽が好きです。この音を……世界に届けるのが馬鹿げているとしても、これは私の人生なんです。私に、自分で歩かせてください」

 断言したミナは清々しい。厳しい道だからって、この人は守ってくれてたのか。この人からしたら、俺やミナは夢ばっかり見て現実を見てない馬鹿なんだろうな。でも……俺達は馬鹿だから、前に進むことを諦めないんだ。

「お願いします。ミナの力を、俺に貸してください。後悔させないように、俺頑張るんで!」

「いや君の言い方、娘を嫁に貰いにきたみたいで怖いんだよね。私の娘が連れてきたらこんな感じかと思うと今からぞっとする」

「そそそそんなつもりはないんですけどね?!」

 似たようなもんかもしんねーけどさ! くすくすとミナが笑い出す。いや、笑うとこじゃねぇよ……。こっちは真剣なんだし。

「棗くんも、もう二十四か。……いつまでも子ども扱いはおかしいね」

「ふふ。そうですね」

「……挫けないと言うなら、証明してみせなさい。後輩達の……手本となるように」

「もちろんです。私を誰だと思ってるんですか。天才の棗巳波ですよ」

「はは、そうだった。……全く、君達二人の情熱には負けたよ」

「そ、それじゃあ……!」

 ミナのマネージャーは軽く肩をすくめ、やっと微笑んでくれた。ぎゅっと胸が熱くなる。

「音楽活動については、細部事務所で話を詰めていこう。……よろしいかな」

「は、はい! よよ、よろしくお願いします! 絶対に、ヒットさせてみせますんで!」

 声裏返ってんぞマネージャー……。まあ緊張するのはよく分かる。正面に視線を戻すと、安堵したような表情のミナと目が合って、二人して笑みを零した。これからが本番だ。頑張らねーと。

「さてそれはそれとして」

「え?」

 ぴりついた空気が戻って来る。あ、あれ? ミナのマネージャーまだ別件で怒って……、あ。

「棗くん」

「良いじゃないですか。誰とお付き合いしようと週刊誌にすっぱ抜かれなければ。現に今の所週刊誌に抜かれていませんし」

「はぁ……君のそういう所は恐ろしいよ……」

「き、気をつけるので。すみません……」

 週刊誌には、そうだよな、気をつけないと。反省して目を伏せた俺にこれみよがしにミナのマネージャーはため息をつく。

「……むしろ君は、変なハニトラで写真抜かれないように今後気を付けてくれないと困りますよ。共同制作になるわけですからね」

「うぐっ……気を付けます……」

「まぁ……、お礼を言っておきます。棗くんが自我を押し通すのは初めてだ。業界で生きるのは得意な子ですけど、自我を抑え込み過ぎるのも良いものではない。商品である前に、人間なのだから」

「マネージャーさん……」

「サポートをするのが私達マネージャーの仕事だ。必要な時には口を挟ませて貰うが……君達の夢は、可能な限りサポートしよう。私もZOOLでいた棗くんは、好きだったからね」

 そうなのか。でも、分かる気がする。最初に会ったミナは今思うとやっぱり冷めていたもんな。今の方が喜怒哀楽が自然だ。この人は俺より長くミナを見てたはずだから、尚更だろうな。

 案外と幕切れは呆気なく。でもそれは口を開けて待ってたチャンスじゃなくて俺達が必死に掴んで手繰り寄せた結果だと、思うから。

 曲のクレジットにミナの名前を迎え入れる日は、すぐそこまで来ていた。

 

 

 

 サンプル曲がイヤホンから流れてくる。何度聞いたか分からなくなってきたな。物理的CDだったら傷だらけで聞けなくなってたかもしれないし、デジタルも捨てたもんじゃねーよな。

「……何聞いてるんです?」

「あ、起きたのか。寝てていいのに。昨日も夜遅かったろ」

「日が当たると、目が覚めてしまうんですよね……」

 とか言って、まだ目は眠そうだけどな。昨日も深夜に押しかけてきたと思ったら疲れてたのか着替えもせずにベッド潜り込んできたし。寝苦しくねーのかな……。

 ベッドの縁に腰掛けて、まだベッドから起き上がる気配のないミナの耳にイヤホンをつける。ミナはしばらく静かに聞いてたけど、徐々に意識が覚醒してきたのか、恥ずかしそうに顔を覆った。

「……何でこれなんですか……」

「え、そんなの好きだからに決まってんだろ。他にあるか?」

「新しいのいくつもあげたでしょう……」

「それはそうだけど、俺はこれが一番好きなんだよ。許せ許せ」

 くしゃくしゃ頭を撫でてやる。ミナは恥ずかしさから唸って布団に潜っちまったけど。そんな照れることでもないのにな。俺はやっぱり、最初に俺の為だけに作られたEndlessが好きなんだよ。

「……はぁ、過去の私に負けてるとか惨めです……」

「そんな事ねーって。ミナの曲はいつも最高だぞ。そうそう、昨日なーCD受け取ったんだよ。見るか?」

「……見ます」

 やっと起き上がったミナに、イヤホンを外してローテーブルに置いといたCDを手に取る。昨日から置いといたんだけど、眠すぎて見てなかったんだろうな。目を擦っているミナに手渡して、ぐしゃぐしゃになった髪を手櫛で直してやる。本当、最近俺に似てズボラになってきてないか? そこは似なくていいんだけどな。ミナには俺の分までしっかりしてて欲しいし。

「……不思議な感じです」

「何がだ?」

「名前が並んでいるのが、です」

 刷り上がったCDのジャケットには、ちゃんとミナの名前を入れてもらった。今回のはカップリング曲も含めて三曲全部ミナのだからな。ちょっとだけわがままを通してもらった時にはミナのマネージャー何か言いたい顔してたな。気付かなかったふりしたけど。

 ミナはジャケットの表面を撫でて、口元を緩めた。

「ふふ。やっと、ここまで来れました」

「おー、記念すべき一枚目だな!」

「次はアルバムですね。そこまではまだ、長そうですけど」

「心配いらねーよ。全然、止まる気ねぇからさ」

「……そうですね」

 焦っても仕方ないとこもあるけどな。一つずつ増やしていくしか俺達には出来ない。増やしていくって気持ちも込めて、新しくCDラック買ったほうが良さそうだ。ミナの音、増やしていきたいもんな。

「あのさ、ミナ」

「はい?」

 不思議そうに目を向けたミナに、ちょっと緊張しつつ笑みを向けた。

「ランキング一位、取れる日が来たらさ、今度こそ一緒に暮らさね?」

「え……」

「時間掛かるかもしんねーけど、俺頑張るからさ。……あ、いや、無理かも知んないけど」

 やっぱキツイもんな。目指すべき上にはトップを走り続ける人たちが沢山いるし。でも、それくらいの気持ちはいつも持ってんだよ。ミナはぽかんとしたけど。

「その……制度的に無理だから、暮らすってことしかできねーけど。……意味的には、……け……、結婚しよ……って、意味……」

 しどろもどろになっちまったけど、恥ずかしいだろこんなの。良く世の男はプロポーズとか出来るよな。トラとかすげースマートそう。俺には無理過ぎる。

 耳まで熱くなって顔を伏せる。いや無理。俺おかしいこと言ってるの分かってるだけに恥ずかし過ぎる。

 ミナは何も言わずに、俺の手に触れた。慌てて顔を上げると、ミナは涙を浮かべてたけど……笑ってた。

「……ミナ」

「馬鹿ですね。……そんなの、いつだって快諾するのに」

「それはまぁ、そうかも……しんないけど」

「……待ってます。後押しも、しますし。私も……昔の自分にいつまでも負けていられませんから」

 本当、負けず嫌いだな。つい笑ったら、頬をつねられた。わ、悪かったって。降参と両手をあげるとミナはため息をつきながら手を離してくれた。

「……待ちきれなくなったら」

「ん?」

「私が主演男優賞でも取って、狗丸さんに花束叩きつけますね」

「……何だよそれ、負けらんねー」

 二人で笑い合って、心で誓いを立てる。いつか必ず胸を張ってその日を迎えることを。きっと俺達の間には豪華な花束も高い指輪もない気がするけど、その方が俺達らしいよな。

「狗丸さん」

「どーした?」

「今でも、あの約束、守ってくれますか」

 どの、なんて聞かなくても分かる。俺達がした約束は、いつだってそこに帰るからな。

 少し不安げなミナを抱き寄せて、腕の中に温度を確かめる。俺がずっと守ろうって思ったものは、ここにあるんだよな。

「ZOOLもなくなって、もしかしたら年取ってステージもキツくなるかもしんねーけど、俺はちゃんと今も昔も好きなミナの曲を、ミナの為に歌ってやるよ。それこそ声が続く限り」

「……はい。見ててください。私のこと。私の曲……全部貴方のために、ありますから」

 笑みが溢れる。キツイことも沢山あるけど、これだけで俺は今日も幸せだ。

 四年前に捕まえた指先が十年後も隣にあるように、今日のレッスンも頑張らないとな。

 テレビをつけたら流れ出したIDOLiSH7の新曲は、奇しくも結婚式ソングで、まだ俺達には縁遠い音楽だった。

【END】