第九話 SIGN

「連絡を取れなくなった……というか、連絡を断たれてから三ヵ月。マジでリーベルがしくじったかと思ったぜ」

「……すんません。大体俺のせいッス」

「いやいや、アンタらはそれだけフーガのことちゃんと考えてくれてたってことだろ。むしろリーベルが怒らせたのかと」

「俺はなにもしていない」

「お前さんがそのつもりはなくても、人間ってのはどこで怒りに火が点くかわっかんねぇんだよ!」

 そういうものか、と不思議そうな顔をしたリーベルに、コノエは苦笑を零す。クウラの気苦労が少し分かる気がした。

 第十二地区で別れて三ヵ月。フーガの様子が落ち着くまで一度全てを絶っていたが、大分発作に苦しむことはなくなったと判断して一週間前にリベリオンへ連絡を入れた。気が気でなかったのか、クウラは良かったと通信機越しに繰り返していたのは印象的だった。それもこれも、カバネがコノエを気遣っての判断だが。

「……で、もう大丈夫なのか? 今は……アルムの坊ちゃんが一緒だけど」

「ああ。隣の部屋だろう。何かあればコノエを行かせるだけで済む」

「そういうもんか。はは、すっかり懐いてるんだな。安心だ」

 苦笑いを返す。ある程度大丈夫だと判断したのは、つい一週間前だ。パニックに陥りそうになる前にコノエが宥めて、落ち着くまで抱き締めていることで意識をなくすことはなくなった。といっても、完全に安心というわけはなく。むしろリベリオン本部は、正直危険しかない。それでも、ここへ来た。そうするべき理由を、もっていたから。

「それで、話とはなんだ?」

「ああ、それなんだが……リーベル、ロイエどこ行ったんだ?」

「クヴァルとそろそろ戻る時間のはずだが……」

「はぁ、肝心のものがねぇな。……ああ、そうだ。これは一応伝えて置くことなんだが」

 

「……ここを出て、山に篭る?」

「そうだ。ほら、私がここにいると皆が危険だろう。だから、聖印を持つクヴァルと二人で山や森で暮らす。呪いからも、ユニティオーダーからも身を隠さないといけないのは、ちょっと大変だけどな」

「いいのかよ、それで」

 思わず問い詰めるような口調になってしまったが、アルムは気にした様子もなく笑った。

「仕方がないだろう。これは、世界を変えるまでの我慢だ。フーガとも、少し会えなくなるな」

「……お前、本当にすごいな。僕だったら無理。隠れるのも逃げるのも……絶対途中で嫌になる」

「うーん……そうだな。きっと私も泣いて嫌になる。でも、信じてるんだ。リーベルが世界を変えてくれるってこと。私はその為に生きていなければならないんだ。世界の希望になるって、約束したからな」

 違和感が、フーガの胸を掠める。アルムの願いは、何だったろう。世界の希望になることが、アルムの願いだっただろうか。それは、リーベルの願いでは。かつての自分の面影が被る。アルムは自分と違い強いから大丈夫、と必死に飲み込んだが。

「フーガ?」

「……あ……、な、何でもない。……世界の希望か。そうだよな。アルムは天子で、アークの人間で、特別がたくさんだもんな。中身は全然普通だけど」

「私が持っているのは立場と肩書だけだ。……分かってるんだよ、フーガ」

「え……?」

 ふとトーンを落としたアルムに、フーガは視線を上げる。アルムは寂しそうに微笑みながら、自分の手のひらを見つめていた。

「……アルム?」

「ふふ。いいな、フーガは。私は特別を背負っていないと、アルムですらないんだ」

「何だよ、それ。……僕の言い方に怒ったわけ?」

 アルムは首を振る。フーガは眉を顰めた。ぎゅっと手を握りしめて、アルムはフーガに目を向ける。その瞳には少し迷いが、あった。

「なぁ、フーガ。私もな、天子でもアークの人間でもなく、ただの世間知らずの人間だったらいいのにって思う時があるんだ。でも、それじゃ……リーベルやクウラの希望には、なれないんだろうな」

「そんなことないだろ」

「……そうかな」

「そうだよ。アルムはアルムだから、人を動かせる力があるって僕は思う。そりゃ、立場と肩書は強いけどさ。全部……全部片付いたら、きっとアルムの本当にしたいこと……見つかるんじゃないの」

「……ふふ、そうか。そうだな。……今は、私は天子でアークのアルムでいいか」

 納得した、わけではなさそうだった。それでも満足そうにアルムは笑う。フーガにはこれ以上上手く励ます言葉が見つからない。ふと無力感に苛まれて、口が重くなった。

「それにしても、リーベルたちは何の話をしてるんだろうな」

 ため息交じりにアルムが呟く。アルムにとってそろそろ飽きが来たようだった。

 

「やぁ、ごめんね待たせて。リベリオンの服を支給してもらってサイズ見てたら思ったより時間かかっちゃってねぇ」

「時間に焦るのはそちらだけだから、構わない」

 ぴしゃりと言ってのけたカバネに、クオンは苦笑を零す。そうはっきり言わなくてもいいだろうに。コノエはコノエで何度か憤りを飲み込んでいるようだった。立ち会わせない選択はあったが、コノエは首を縦に振らなかった。曰く、自分も越えなければならない壁だそうだ。真面目だとつくづく感じる。

「まぁ、無駄話はこれくらいにしておこう。なんか殴られそうだし。ライデンが」

「自分は頑丈なので問題ないぞ」

「いやアンタが問題なくてもこっちが血を見たくないんでやめてもらっても?!」

 仲裁に入らざるを得ないクウラにはこの場は頭が痛いのだろう。ずっと眉間に皺を寄せている。誰も彼も、思惑が違う。その先に願うものすら。ただ一点交わる点があるだけで、手を取り合うのとは違うのだ。

「……まさか、地上で見せてもらえるとは思わなかったよ。ナーヴの持つ聖印。クヴァルのそれとは違う、天子の呪いを拒絶する純然たる印」

「よく、分からないんだけど、この子何」

 ロイエが不審げにリーベルへと視線で問いかける。そういえば自己紹介がまだだったことにクオンは気付く。

「ごめん、挨拶が遅れたね。僕はクオン。千年より昔の、天子だ」

「は……?」

「こっちはカバネ。そう、だな。アルムにとってのリーベルのような存在かな。それからコノエ。ああ、コノエが怒ってるのは気にしないであげて。大事な人が泣いて苦しむのが許せないんだ」

「いやいやストップ。リーベル、大丈夫、これ。地上では新しい宗派でも流行ってるわけ」

 コノエが何かを言い掛けたが、カバネが素早く視線で制していた。ロイエの主張も無理はない。誰が千年もの時を過ごしたなどと信じるのだろう。異常の塊だ。それを受け入れるのは難しい。

「信じられないのは、無理はない。俺も最初信じられなかった。……いや、あるいは」

「信じる必要はない。証明する術もないからな。……ただ、ここに死に損ないが三人いる。それでいい」

「えぇ……本気で言ってる目だよ、この人」

「いやもうこれ平行線だから……オレが仕切る、仕切るよ……」

 げんなりしたクウラがため息をついて、ロイエに手を差し出す。不敵な笑みを浮かべたまま、ロイエは一冊の本をクウラの手に渡した。クオンはその本に、視線が奪われる。

「ユニティオーダーを追われるときに、託されたものだ。いやあ、本当に大変だったんだよ。あれ」

「内部分裂と聞いたよ」

「そんな生易しいものか。ミゼリコルド……、あー、ナーヴのナンバー2ね。今はトップだけど。それの指示。天子を洗脳して地上へ連れ去り、アークの奇跡を奪い去ろうとしている邪教徒。そもそも僕、信者じゃないし。酷くない? あれアルムの意志でしょ」

「でも地上へ降りて来たのは、君達の意志だろう? だから、ここで今僕達に綴られてきた道を提示しようとしている」

「……クウラくん、僕この人苦手だよ」

 物事の中心を避けようとする人物らしい。残念ながら、希望とは相反して中心を避けられる星ではないと、クオンは思っているが。はぁ、と黙っていたカバネがため息を吐く。

「ナーヴのトップがすることが変わらない限りは、天子は継続される。アルムを殺して次を作ることに成功すれば、まずはリベリオン本部のあるここが潰されて終わりだ。いや、それで地上はもう、抵抗をやめるだろうな」

「……そんな余力はもう、ないからな。今しかない。ここで負ければ、俺達は滅ぶしかなくなる」

 カバネに同意して、リーベルが拳を握りしめ、強く断言する。クウラが肩を竦め、地図を広げたテーブルの上に、本を置いた。つい、クオンは眉を顰める。ちくりと指先が痛む。傷など、どこにもないけれど。

「ナーヴの……経典」

「え、そうなの? 経典って、もっと厚くなかったっけ、クヴァルくん」

 窓際で腕を組んだまま沈黙していたクヴァルを見やり、ロイエが問いかける。クヴァルはクヴァルで、目を見張っていた。

「経典って……それ、原典じゃないですか。教会資料庫保有の、許可なしでは閲覧すら許されてないですよ」

「ああ、そうなんだ。へぇ、そりゃあ必ず天子に渡すよう言うわけだ」

「ど、どこでそんなものを。ロイエ隊長はナーヴ教会に入信してないじゃないですか」

「そうなんだよね。……ああ、ちなみにこれ追い出される前にエーテルネーアの元侍女から渡されたんだ。天子が地上に次に行くときには、渡す様にと言われていたらしい。託し損ねて僕を頼ったようだけども……、いや、彼女平気なのかな」

「ナーヴの秘蔵書を教徒以外に託すって、正気ですか」

 ふむ、とロイエは顎に手を当て、天井を仰いだ。その先には、天空に浮かぶアークを映しているのかもしれない。クオンは黙って経典に手を伸ばした。触れた表面は、劣化が進んでいない。丁寧に保管されていたようだった。

「……原典、か。不思議だね。僕はこれしか知らない。あんまり、ちゃんと見たことはないんだけど」

 表紙を捲ると、一枚の紙が挟まっていた。本のページよりは新しい紙。眉を顰めて、そっとめくり上げる。

「……ああ、それが聖印だよ。君達、これが見たかったんだって? 殊勝だね」

「へぇ……これが手の加えられていない純粋な聖印なんだね」

「というか、ロイエ隊長それまだアルムに見せてないじゃないですか」

「そうなんだけどさ。見せるかどうかの判断は仰いだ方がいいかと思ってねぇ」

 焦りを滲ませた声で詰め寄るクヴァルに、ロイエは悠々と肩を竦めた。クオンは苦笑いを浮かべつつ、本をテーブルの上に戻す。聖印だけは、あとで詳しく改めさせてもらいたいところだが。

「……これは、過去から続く大人が続けてきた戦争だ。……未来を託す子どもを巻き込む前に、出来れば処理したい。ロイエはそう思っているんだろう?」

「そういう恥ずかしい台詞を良く言えるよねぇ、君」

「人より少しだけ長生きだからね」

 ロイエはまた表情の端に不愉快を浮かべた。嘘は言っていないのだから、許容して欲しいとは思うものの、それもまた難しい問題だ。

「で、どう思う、リーベルくん。これはアルムに渡していいものかね」

「……クオンやカバネから見て、それは鍵か?」

 クオンはカバネを見やる。クオンとしては、少し思うところがあるが。カバネは組んでいた腕を解き、首を振る。

「分からない。鍵かどうかを知るのが、アルムの役目だろう。託された意味は、そこにあるはずだからな」

「……そうか。では、渡しておこう。俺達には分からなくても、アルムなら天子として与えられた知識で、分かるかもしれない」

「聖印については、写しを貰ってもいいかな。それそのものに力はない。けど、少し調べてみたいことがあるから」

「分かった。あとで用意しておくよ。しかし……進展なし、と。なかなか進まないもんだな、こういうのは」

 残念そうにため息をついたクウラに、クオンは微笑む。彼らにとっては、微々たる歩みかもしれないが、クオン達にとっては、常に大きな一歩だ。

「無駄かもしれない一歩が、未来を拓くんだよ。今ここに、僕達が立っているように」

「はぁ……さながら、天子の啓示のようだ」

 感心したようなライデンに、ロイエは苦笑する。

「一応元天子らしいからね。そう言ってたでしょ。ライデン話聞いてた?」

「ああ、そうだったか。話が長くて忘れていた」

 

 待ちくたびれてアルムがうつらうつらし始めた頃。懐かしいような、初めて見るような、落ち着かない景色をぼんやりと見つめていたフーガの耳に、扉が開く音が聞こえた。

「はい、お待たせしたッスね、フーガ。帰るッスよ」

「コノエ遅い。アルムが待ち飽きて寝そうだった」

「ね、寝てない。えーと、何か決まったのか?」

「何にも。……そんな簡単にトントンと話が進むなら、千年も苦労してないッスよ」

「あー、出た。コノエのそれ悪い癖だからな」

 席を立ちつつフーガは上着を羽織る。コノエは不思議そうに首を傾げた。一つため息をついて、フーガは鞄を肩にかけた。譲ってもらったもので、少し重い。

「無駄な千年みたいな言い方。……僕にとっては、唯一の救いなのにさ」

「そ、そうは……言ってないッスよ……」

「言ってる。だからこれからも無駄じゃないって、僕がいっぱい言うから。そう言わなくなるまで。だからコノエは代わりに、僕の傍にいろ。文句は言わせないからな」

「はは。いいなぁ、フーガはコノエと仲良しなんだな」

「特別仲良しだよなー、コノエ」

 歩み寄って笑顔を向けると、コノエは恥ずかしそうに目を反らして、誤魔化す様に頭を撫でた。また子ども扱いする、とフーガはつい膨れてしまうが。

 アルムも席を立って、見送りにと続く。リベリオンの本部は、今日も忙しなく人が駆けまわっていた。フードを深く被って、コノエに張り付くことで、フーガは恐怖と緊張に耐える。飛んでくるかもしれない罵詈雑言は覚悟しつつ。

「おお、まだ居た。探したぞ地下人」

「ひっ!」

 予想外すぎる声に、フーガは小さく悲鳴を上げた。コノエがすかさず背に隠してくれなければ、一瞬で発狂していた自覚はある。アルムがそっと寄り添って、背中に手を添えてくれたのが分かった。

「なんすか」

「そう怖い顔をするな。少しだけ話をしたかったのだよ、そこの坊主と」

「やめてください。分かってないわけじゃ、ないでしょうが」

「この、コノエ。大丈夫、だから」

 かたかたと背中を掴んだ手が震える。体の奥がずきずきと痛む気がしたが、幻覚だと必死に言い聞かせる。何度も繰り返して、何度も心配させた。やっと意識を失わずに持ち直せるようになった自分をフーガは知っている。

 ふむ、と少しだけ困ったように眉尻を下げたライデンが、一歩歩み寄った。

「近づかないで貰えます? ……こんなこと言いたくないんすけど、子ども相手に、ましてや手加減も出来たであろうアンタほどの実力の持ち主が、心に癒えない傷を残した時点でただの行き過ぎた暴力ッスよ。俺は最低でも百回はアンタを殺したいッスね」

「そう言われると、耳が痛いな。そうだな。自分は馬鹿だから、戦場に立つ者は人を殺し人に殺される覚悟があると勝手に思っていたところがある。過大評価していたんだろう、その坊主の事を」

「う……」

「だが、尚更お前は痛みを知らなければならなかっただろうさ。そうでなければ、遊びで命を奪うのと変わらん。昔のクヴァル的に言うと、虫を殺して何かを感じるかというところだな。生憎と、自分は拳一つでのし上がってきたからな。殴る感覚も蹴る衝撃も、この身に蓄積されている。……だから、敢えて言うぞ。お前は戦場には向かない。支払った対価は大きいだろうが、お前はもう戦わなくていい」

 戦わなくていい。その言葉だけは、ストレートにフーガの心に落ちた。小柄な体躯に自身を纏わせたライデンは、腕を組んだ。

「ここからは、大人が戦争の続きをする。……子どもは夢を見ろ。天子殿もだ」

「夢……」

「謝罪はせんよ。それは曲がりなりにも、戦士として対峙したであろうお前への侮辱だ。……まぁ、体幹の鍛えは甘い。必要なら鍛錬してやるから、いつでも言って来い。それくらいなら、馬鹿な自分でもしてやれる。……あ、おい、そんなに怖い顔するな。退散してやるから」

 ちらりとコノエを見やると、心底不愉快そうな顔をしていた。フーガ以上にライデンに対する怨念が深い気がして、何故かフーガはほっとしてしまった。ひらりと、ライデンが手を振って背を向ける。言葉は浮かばず、沈黙のまま見送ったフーガの手は、もう震えていなかった。

「大丈夫か、フーガ」

「うん。……怖いけど、そこまで怖くなかった」

「俺は嫌いッスからね。フーガが許しても、俺は嫌ッスからね!」

「なんでコノエがそんなに怒んだよ。変な奴。でも……うん、ありがと」

 世界中、誰一人同情してくれないような恐怖だ。それなのに、コノエは自分に甘いとつくづく思う。もっとも、そうあってくれるからこそ、好意は募るわけだけれど。笑みをこぼして、無意識に浮かんでいた涙を拭う。アルムもいたお陰か、今日はもう、大丈夫だった。

「……夢を見ろ、だって。頼れる人生の先輩って感じだな」

「な、なんすか……どうせ俺は頼りないッスよ……」

「あはは、コノエが拗ねてるぞフーガ」

「いいんだよ。頼りっぱなしよりはよっぽどいいんだ。……ほら行こ、コノエ。カバネとクオンが待ってるだろ」

「……分かってるッスよ」

 ぶっきらぼうに言って、コノエはフーガの手を握って歩き出す。別にもう、震えていないのに。それでも、その手が掴んでくれたものは、フーガが一番知っている。フードの鍔を引いて隠れて歩かなくてはいけないこの通路が、今だけはとても、嬉しかった。

 

 こつ、と足音に気づいて資料庫で本を広げていたカバネは顔を上げる。微笑みを浮かべて軽く会釈したクオンがいた。

「まだ起きていたのか」

「それはお互い様だよ。ふふ、こういう時、死なない体は便利だね。徹夜を何日しても、あんまり疲れないし眠くならない」

「……何か、あったか?」

 カバネの問いに答えず、クオンは黙って隣へと腰を下ろす。その表情はいつもと同じ、世界を俯瞰するような穏やかさを湛えていた。

「何か……悩んでない、カバネ」

「いや。……久々に難問に頭を抱えているくらいだな」

「本当は、気付いたんじゃない。僕達の呪いを解けばどうなるか」

「さて、どうだろうな」

 黙って広げていた資料のページを捲る。何度見直したか、もう覚えていない。ふと、ページ捲るカバネの手にクオンが手を重ねた。

 意外な行動に視線を向けると、クオンは俯いて唇を噛み締めていた。

「……何で泣きそうなんだ」

「カバネが泣かないからだよ。……僕も、薄々は気付いてた。僕達の呪いは……僕達自身を死から守ること。天子の反転。他人を破壊し続けることから、自分を再生させ続けること。……だから、これを消してしまったらもうとっくに人の期限を終えてる僕達は」

「言うな。そうとは、決まっていない」

「……ふふ、やっぱり思ってたんだ」

 寂しそうに笑って、クオンは深く息を吐いた。

「いいんだ。僕は消えることを怖い、辛いとは思わなかったから。だってずっと望んでいたことだもの」

「道が見えたら、怖くなったか?」

「それも無いよ。分かってるなら、怖くない。……でも、悔しいな。僕はコノエに恩返しが出来ないまま消えることになるのかな」

 クオンが死ぬための道を探そうと言ったのはコノエのためだ。フーガと共に、普通に生きて死ねるようにと。クオンは立ち止まり続けた化物の自分達を変えようと、答えがあるかも分からない道をカバネと歩くことにした。

 なのに、その先に見つけたかもしれない答えはあまりにも酷薄な現実だ。確証はないにせよ、限りなく答えに近いと踏んでいる。それは長年心を凍らせてきたカバネにも受け入れたくはないものだった。

 黙って、クオンの手を握り返す。かつて地獄から引き上げた手と、今握った手は、何も変わらなかった。希望を信じて未来を願った手を、数百年ぶりに認識する。

「……呪術はルールがある。俺達が書き換えたように、ナーヴが生み出したように。だったら、もう一度作ればいい」

「カバネ……」

「コノエにもお前にも、命を返す。必ず。……だからもう少しだけ、時間をくれ」

「……良かった。そう言ってくれるなら、僕はもう少し、笑っていられる」

 安心したように微笑んだクオンの目尻には、涙が浮かんでいた。誰も彼も、限界だ。あと千年は、やはり迎えられない。

「無理に笑わなくていい。お前まで、俺のように泣き方も怒り方も忘れたら俺が困る」

「やだなあ。僕カバネの分まで泣いたり怒ったりするの? 難しいよ、それは」

「……それでも、任せた」

 ふふ、とクオンは笑って頷いた。つい安堵して、カバネも薄く笑みを浮かべる。

「してみたいことがあるんだけど」

「何だ?」

「朝までここにいて良いかな。……ふふ、フーガが寂しいときにいつもコノエにそうしてもらってるの、羨ましいなぁってずっと思ってたんだ」

「……好きにしろ」

「うん。好きにする。好きにするって、緊張するね」

 どういう意味かよく分からないが、クオンは嬉しそうなのでカバネとしてはそれで良い。答えはまだ、見つからない。それでもカバネは答えを作ることを、傍らの存在の為にも諦めるわけには行かなかった。

 

――二年後、某所。

 風が吹いて、背の低い新芽が揺れた。しゃがんで一つ一つ確かめていたフーガは、ふと目を細める。何かを見つけたらしい。

「むー……、虫にやられた」

「まあそれはそれで、生命のサイクルッスね。成長も順調ってことッスよ」

「食物連鎖で納得するか! うう、こっち無事だからいいか……前より採れるようになったし」

「はは。随分育てるの上手になったッスね」

 ぱっとフーガが、振り返る。後ろで見守っていたコノエは目を瞬いた。

「なんすか」

「ううん。僕だってなー、育てる以外に抽出も上手くなったんだからな。もっと褒めろ」

「……調子乗るのでお断りッスね」

「なんでだよ!」

 すっくと立ち上がって即座に蹴ろうとしたのを笑って避ける。悔しげに睨んできたが追撃はなしだ。遊んでいる暇はないのだから。

「はいはい。じゃあそれ終わったら戻るッスよ。クオンさんが待ってるッスから」

「うん。……ちょっと惜しいけど。雨降りそうだし」

 フーガが空を見上げる。コノエも吊られて見上げると、黒い雲がこちらへ向けて流れてきていた。

 

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