第四話 Relation

 時差が恨めしいって思うのは、多分オレがまだ浮かれてるからなんだろうな。まるっと半日はずれてるから、いつもどっちかが眠い時間だ。損してるような、でもそれくらいでまだ丁度いいような。付き合うって何だかいまいちピンと来なくて、かと言って友達で良かったかって言うとそれも違くて。妙にふわふわした関係性だなって思う。

「あ、はるちゃん明後日の飛行機なんだよね? 到着時間教えてね。空港までいくから」

「良いけど、無理してこなくていいよ。あっちゃんだって仕事あるだろ」

「えー、お出迎え嬉しくないの?」

「う、嬉しい、けどさぁ」

 口ごもったオレにあっちゃんはでしょー、と満足げに笑った。そう。嬉しいよ。オレのためにわざわざ来てくれるなんて、嬉しくないはずないじゃん。でもちょっと考えるんだよ、オレだって。正直あっちゃんの方がきっと今忙しい。倒れたら困るよ。別に付き添って看病できるわけでもないけど、遠くで心配だけしてるのは、嫌だ。女々しすぎてそんなこと口に出来ないけどさ。

 つい目を伏せてしまう。最低限の荷物だけ詰めてる鞄に空いた隙間が、ちょっと寂しい。

「あのねはるちゃん、日本戻ってきたら一緒に行きたい所があるんだけど付き合ってくれる?」

「え? あぁ、うん、いいよ。どこ?」

「それは、会うまで秘密! 楽しみにしてて」

 声を弾ませたあっちゃんには悪いんだけど、そういう時ってだいたいやばいんだよな。変な味のシフォンケーキとか、記憶に苦い。普通のでいい。ていうか普通のが良いんだよ、あっちゃん。そう考えたらこの先ちょっと不安だよなぁ。

 ふっと脳裏にエプロン姿のあっちゃんが浮かんで、猛烈に恥ずかしくなった。慌てて首を振って妄想を振り払う。あー、やだ。あいつらに知られたら絶対笑われる。ほんと、トウマや巳波のこと笑えなくなってるんだよな。

「あー、ところで聞いてはるちゃん。兄ちゃんがね」

 ああ始まった。ちょっとした兄妹喧嘩の愚痴だ。オレはどっちの味方にもなれないけど、そういう間に挟んでもらえるのはちょっと嬉しいなって、最近は思えるようになった。

 

 日本の夏は蒸し暑くて辛い。もう少し爽やかな夏ならいいのにってつくづく思う。ガラスの向こうから聞こえてくる蝉の音が少しうるさい。

「はるちゃん、今全然関係ないこと考えてたでしょ」

「仕方ないじゃん……現実逃避したくもなるだろ……」

 何でって心底不思議そうな顔できるの、あっちゃんだけだから。現実逃避から引き戻されて、適度に冷房のきいた部屋に意識が戻ってくる。日本に着いて、あっちゃんに連れられるままに辿り着いた場所にいたけど、正直今すぐ、秒で逃げたい。手のひらに嫌な汗が滲んでるし、背中にも汗が伝ってそう。これって冷や汗だよな、たぶん。

 深く息を吸ったつもりが、浅くなってる自分に恥ずかしささえ覚えた。

「お待たせ。紅茶で良かったかな」

「見ろいすみん! てんてん、王様プリン買っといてくれたんだって! くおーぜー」

 咄嗟に立ち上がりそうになったのをギリギリでこらえた。いやもう、ほんとに、無理なんだけど。何これ。ホントなんなの、これ。あっちゃんを横目で見やるも、にこにこと楽しそうに笑ってるだけだった。説明、説明してあっちゃん。別に普通に会うくらいなら先に言うだろ。絶対違うよな。

 空港から真っ直ぐ九条の家まで連れてこられて、理由もわかんないままにリビングに通されて、そしたら四葉までいた。何が起きるんだよ。聞くに聞けないし、喉がからからだ。

 茶葉の欠片ひとつ浮いてない完璧な紅茶のカップが目の前に置かれて、にこりと九条天が微笑んだ。うわ、これでもかってくらい眩しいな……。

「亥清悠」

「え?」

「まあ少し思うことはあるんだけど、お義兄さんって呼んでいいよ」

「は」

「いすみんいすみん、俺のことも義兄ちゃんでいいぜー」

 固まった。いや、え、なに? 正面に座った九条天と四葉は何か二人で楽しそうだな? てか今なんて言った? おにいさん?

 意味を理解した瞬間、血の気が一瞬で引いた。

「ち、違っ! そんなんじゃなっ……!」

 咄嗟に立ち上がって否定しそうになった刹那、九条天の目に鋭さが宿った。ぎくりと背中が強張る。でも目をそらしたらいけないことは、分かる。

「そんなつもりじゃない?」

 丁寧に、一文字ずつ突き刺すように聞かれてる気がした。そんなつもりはきっとないんだけど、オレにとっては針で突かれてるような気持ちなんだよ。

 だってそうじゃん。それってつまり、オレとあっちゃんが結婚してもいいってそういう意味じゃん。四葉は前から知ってたけど、そんなこと言い出さなかった。あっちゃんが、きっと言ったんだ。

 何だかそれが、無性に。

「……なんで?」

「え?」

「そう言うとこ、やっぱあっちゃんの悪い癖だよ」

「はるちゃん?」

 目を丸くしたあっちゃんに、ぐっと胸が苦しくなる。今は無性に、訳もわからず、腹立たしい。手のひらを握りしめて、目を伏せた。

「ごめん、帰る」

「え、いすみん王様プリン食わねーの?」

「うん。すみません、お邪魔しました」

 素早く頭を下げて身を翻す。あっちゃんがオレを呼びとめる声を振り払って、オレは九条の家をあとにした。

 

 頭が痛い。ガンガンする。なんでだろ。無理すぎて泣ける。水面を走ってきた風が、耳元をすり抜けた。ゼロアリーナ。かつてアイドルとして目指した場所がよく見える。欄干にもたれ掛かって、深く息を吐き出した。

「最低だ……」

 溢れたのは猛省。いや、どう考えたってオレが悪い。あっちゃんは微塵も悪く無い。いや、ちょっとは悪い。先に言っといて欲しい。心の準備ってあるじゃん。オレ、急に決断しろって言われるの苦手なんだよ。知ってて欲しいとこだよ、そこ。

 オレ達って、本当そういう積み重ねがきっとまだ圧倒的に足りないんだ。オレだってあっちゃんのこと、わからないことの方が多いんだし。そういうのを一つずつ埋めないと、駄目じゃないかな。分かんないけど。

「……向いて……ないのかな、オレとあっちゃん」

 自分で呟いて、胸が痛い。やだな、そんなの。分かるけどさ、好きだけじゃ上手く行かないことは。ZOOLが無くなったときだって、そうだった。やりたい気持ちを四人とも持ってたけど、気持ちだけじゃ結果は変えられなかった。

 あっちゃんだけは……諦めたく、ないのに。謝ったらまだ、取り返しはつくのかな。完全に糸が切れる前に結び直したら。でもそれってまた、どこかで切れてしまうかもしれない。それって……オレが惨めたらしいだけなんじゃ。

 ぐるぐる考えても最良の答えは出てこない。どこかで鳥が鳴いた。

「亥清悠」

「うわあぁ!」

 文字通り飛び上がるほど驚いた。声の主なんて振り返る必要も無く分かる。トーンこそ平坦だったけど、これはきっと怒ってる。どうしたらいいか分からなくて、欄干を力いっぱい握りしめた。ざらざらした表面が、いやに鮮明に感じる。

「……そんなに呼びたくなかった?」

「そこなの?!」

 隣に立った九条天に思わず素早く口を挟んでしまった。慌てて口を噤んだオレに、九条は小さく吹き出した。

「ごめんごめん、冗談だよ」

「どういう冗談?!」

「いや、理が楽しそうに報告してくるから、いよいよそういう段階なのかと……少し先走り過ぎたみたいだね?」

 先走るも何も……オレからしたら青天の霹靂ってやつだよ……。いつかはって思うけど、今日明日の話じゃない。大体そういう大事なことって、即断できる話でもないじゃんか……。

 九条はふっと微笑んで、視線をゼロアリーナへと向けた。

「僕達の目指したゴールは、あの場所だった」

「え? あぁ……うん」

「それと同じで、理の思ってるゴールはお嫁さんなんだよ。まあ、キミには少し、速過ぎた展開だったんだろうけど、理はそういう子だから」

 優しい声音に、ちゃんとあっちゃんのこと見てくれてた人なんだなって感じる。オレは? オレのほうが、見てない気がする。それって、いいのかな。オレはそういうあっちゃんを理解してやれるのか不安になる。胸の奥が不安に震えて、心を爪で引っかかれてるような気がした。

「キミは正しいよ」

「え……」

「少なくとも、一人で暴走するのは理の悪い癖なんだ。それを僕も四葉環も止めきれない。兄ってポジションのせいか、どうしても甘いんだよね」

「……そういうもん?」

「そういうもん。だからつまり、頼ってくれて良いってこと。お義兄さん達は、これでもあの子の扱い方をキミよりは熟知してるんだから」

 思わず目を見張った。静かに微笑んでるのは、確かにあっちゃんの兄の顔だ。頼っていいって言われるとは、思わなかった。だってオレは、九条天に対して贖いきれない罪を背負ってるのに。

「……オレでも、いいの?」

「理が選んだのはキミでしょ。僕らが反対する理由はないよ」

「そっ……か」

「まぁでもさっきのは兄的には減点だな」

「ごめんなさい!」

 思わず早口で謝った。いや、オレが謝るべきはたぶんあっちゃんなんだけど! 九条天って存在を怒らせるのは怖いじゃん。

 九条はくすっと笑って、オレの背中を叩く。思いの外強く。ちょっと痛い。顔は笑ってたけど、やっぱり怒ってるのかも。

「さぁ、キミが今すべきこと、分かるよね」

「うん」

「家に居るから、一緒に行こうか」

 頷く。なんでオレがここに居るのか分かったのかは正直気になったけど、誰かが迎えに来てくれなきゃあっちゃんに連絡さえ出来なくなってただろうから、今はそんな些細な疑問は、飲み込んだ。

 

 九条の家に戻って、落ち込んでるあっちゃんは……残念ながらいなかった。いや残念でもないんだけど、何でか真面目な顔してキッチンに立ってた。

「あ、はるちゃんおかえりっ!」

「ただ……いま? あっちゃん、あの」

「環兄ちゃんが、胃袋つかめばいーんだって言ってたから、待っててね!」

 また変なこと言ってるよあっちゃんは。オレの胃袋掴めってことかな。怒っては……ないんだ。そっか。安心すると同時に、ちょっとおかしくなる。そうだった。そういえばあっちゃんは、思い込んだら何にも聞かないんだ。

「あっちゃん、さっきはキツイ言い方した。ごめん」

「私もなんではるちゃんが怒ったのか分からなくてごめんね?」

「分かんないのかよ。もー、あっちゃんだよなぁ、そういうの」

「仲直りした?」

 ちょっとだけ遅れてやってきた九条天に頷く。時間くれたのは、分かってる。大丈夫、ちゃんと謝ったよ、オレ。頷いてみせると、うん、と安心したように頷いてくれた。それにオレもほっとする。

「で、何作ってるの理」

「紅生姜ホットケーキ! 赤くて可愛いでしょ」

 絶妙にコメントしづらそうなものを、また作ってるなぁ。しかもそれでオレの胃袋掴もうとしてんだ……。気持ちはまぁ、嬉しいよ。でも。

「それもいいけどさぁ、普通のにしようよ」

「えー」

「えー、じゃない。普通から始めよ。この先いつでも、普通じゃないのに付き合うから」

「……そっかぁ」

 安心したみたいに、あっちゃんが笑う。あ、何だ。あっちゃんも少しは不安だったんだ。ぽんって、今度は九条天に軽く肩を叩かれる。うん、心配してくれて、ありがと。

 たぶん、お義兄さんなんて呼ぶのにはもっともっと時間掛かるとは思うけど、オレもあっちゃんも一歩ずつ頑張るから、待っててください。

 

 何故か玄関先で四葉にも見送られて、オレはあっちゃんと九条宅を後にする。日が傾いて来たから、オレもそろそろばあちゃんとこに帰らないといけない。

 でもその前に。

「あのさ、あっちゃん」

「うん、何?」

「ちゃんとさ、一緒に話そう。勝手に決めなくても、オレ逃げないから。相談されないと、オレ頼りないのかなって……ちょっとヘコむ」

「え、はるちゃんは頼りになる所もあるから大丈夫だよ!」

 遠回しに頼りない面があるっていうなぁ。しょうがないけど。それは事実だもんな。オレはいっつも誰かに甘えて背中支えてもらってたから。

 でもいつまでもそれじゃ駄目だし。ぐっと顎を上げて、隣のあっちゃんの手を握る。

「えっと、取り敢えず、今度……指環、用意するから」

「え?」

「今は婚約指環。……それで、オレの認識、間違ってない?」

 プロポーズとかすっ飛ばされてる気がするけど、改めてとか恥ずかしくて無理だしいいよな。頬が熱い。おかしいんだよなぁ。オレまだあっちゃんと、手を繋ぐくらいしかしてないんだよ。それなのに結婚に走ろうとしてるんだ。傍から見たらめちゃくちゃかも。

 でも。

「うん!」

 今日一番の笑顔を見せてくれたあっちゃんには敵わないから。

 駅まで続く道が赤く照らされている。きっといつか二人で通る道も、こんな風に眩しいといいなって、そっと心のうちで呟いた。

 

END