第二話 junction

 気付けば一年が過ぎて、日本とアメリカを行ったり来たりする生活にも慣れていた。前ほど帰りたいって気持ちが爆発することも無くなったし、渡米した頃より全然、自信がある。肩肘張ってた自信じゃなくて、このままのオレでいいって、そういう自信。ZOOLやってた頃に培った部分もあるけど、ZOOLが解散して自分だけで積み上げてきた時間も相まって、やっとオレは自分が誇れるアイドルになってるなって感じるんだよな、最近は。

 到着口を出ると、今は誰の迎えもない。寂しいとかは全然感じなくて、あいつらも頑張ってるからオレも羽伸ばしたらまた頑張ろって気になるんだ。明日はちゃんと、虎於と飯の約束してるしな。

「あ」

 化粧品ブランドのでっかい看板が目に止まる。鮮やかなピンクリップで、女の子っていうよりもう女の人って感じになりつつある、あっちゃんがいた。今でも俄然人気、らしいよな。いっぱいテレビ出て、歌って全国ツアーしたりトップスターとして走ってる。

「……あっちゃん」

 オレはオレで頑張って走ってきたけど、それとは別の方向へ、あっちゃんが遠くに行ってしまった気がしたのは、なんでだろう。

 

 ぺしぺしと、頬を叩かれてる気がした。ちょっと冷たい……ていうか、背中が寒い。小さく身震いして目を開くと、頬を何かが掠めてくすぐったかった。あれ、カーテンなんてこんなとこにあったっけ……?

「なんではるちゃんまで床で寝てるの?」

「へ」

 カーテンを退けようとした手が止まる。目が覚めた。逆さまに見えるあっちゃんと、目が合う。指先に触れたさらさらしたのは、オレを覗きこんでたあっちゃんの髪だった。

「うわぁ?!」

「わぁ!」

 飛び起きたオレと、反射的に避けたあっちゃん。び、びっくりした! 心臓がばくばくいってる。い、息上がる。

 目を丸くしたあっちゃんは、仕事帰りっぽいカバンを持ってオレを見ていた。

「びっくりしたぁ。はるちゃん遊びに来てるなら早く帰れるようにマネージャーさんにお願いしたのに」

「ご……ごめん……?」

「謝ることないよ! 一緒にご飯食べたかったなって思っただけ」

 にこっと明るく笑ったあっちゃんに、さっきとは違う鼓動の感覚がした。何かがこぼれてしまいそうで、慌てて口を噤む。

「兄ちゃんー、起きてー。ていうか、寝るならちゃんとベッドで寝なよー」

 床で大の字になって寝ている四葉の頬を突きながら、あっちゃんは苦笑いを浮かべていた。本当に、びっくりした。そりゃ、四葉とあっちゃん、今ふたり暮らしらしいから、ここに居たっておかしくない話なんだけど。

 夕飯に付き合ってもらったあと、雨が凄くて泊めてもらったのは良しとして、帰宅してからまた喋って飲んでお菓子食べてるうちに二人して寝落ちしたらしい。お菓子も空き缶もそのへんに転がっていた。か、片付けなきゃ。

「ごめ、片付ける」

「あはは、私も手伝うよ、はるちゃん。ごめんねー、兄ちゃん楽しくなるといつもこうだから。片付けくらいしてくれたら良いんだけどね」

「まぁ……そこは四葉だし」

 そうかも、って笑って、あっちゃんは四葉を起こすことを諦めて代わりに腹にブランケットを掛けてあげた。腹出して寝てるから、冷えるもんな。

「はるちゃんごめんね、これ使って」

「あ、うん」

 差し出されたゴミ袋を受け取る瞬間、めっちゃ冷たいあっちゃんの指先が掠めた。

「わ!」

「うわ?!」

 瞬間、あっちゃんが両手でオレの手を握りしめた。つめっ、冷た! 外寒かったんだ?! て、ていうか、急に何。顔が凍りつきそうになってるオレをよそに、あっちゃんは満面の笑みを浮かべた。

「わー! はるちゃんの手あったかいねー」

「は、はぁ?」

「えへへ、そういえば、はるちゃん昔、すっごい寒い寒い日にあったかい飲み物買ってくれた時あったよね。はるちゃんの手、あったかーいのコンポタ缶だー」

 いや何その例え。オレの手は自販機の飲み物じゃないんだけど。てか、いや、そうじゃなくて。細くて一周りくらい小さい手の感覚が、冷たいせいかすごく鮮明に分かる。ネイルのラメが、すごくきらきらして見えた。顔が熱くなる。息が、浅くなりそう。何とか酸素を取り込んで、唇を動かす。

「も、もう良くない? 片付け出来ない」

「あっ! そうだね。ありがとう、はるちゃん。少し温かくなったよー」

「な、何もしてない」

 にこにこあっちゃんは楽しそうで。オレはまだ、心臓がどきどき言ってる。飛び起きた名残、だと思う、けど。ふわっと香ったあっちゃんの香りがほんのり甘い。頭まで痛くなりそうで、深く息を吐き出した。

 なんか、なんか。妙に緊張する。別に普通の、ダンスレッスン仲間じゃん。なのに、何でだろう。いつまでもうるさい心臓と、微かに震えた指先に残った手の感覚が、オレの心を揺らしていた。

 

 嫌でもわかる。馬鹿じゃないっていうか、……散々近くで見てきたいい例があるから。見ててやきもきしてたけど、本人達はきっとこんな気持ちだったんだ。震えるのも戸惑うのも、分かる、気がする。

「はぁー……そんな訳無いって、思ってたんだけどな」

 天井の白熱球が目を閉じても瞼の裏で光っていた。一緒に笑った思い出もたくさんあるし、友達……でいいと思ってたのに。

 いつからだろう。ZOOLが無くなって、日本を離れて行ったり来たりするようになってから、有耶無耶に隠してた曖昧な感情が研がれてたのかもしれない。きらきらと日に日に輝きを増してくあっちゃんに、ちょっと寂しくなったりしたのも、きっと。

 これ以上ないってくらい大きなため息をついて、枕を抱きしめた。

「……まさか、あっちゃんを好きになるとは、思わないよ……」

 照れくさいのと怖いのが、ぐるぐるする。トウマも巳波も、これを乗り越えたんだ。すごいな。知ってるふりして、あーだこーだ口出してごめんって、今は思う。オレにも、背中押してくれる人欲しいよ。

 次会うとき、オレはどんな顔をしてしまうんだろう。せめて、普通に。いつもと同じように振る舞いたい。でもその先は? オレはあっちゃんとどうなりたいんだろ。

 答えが浮かばないまま、オレはまた、日本を経つ日がすぐそこに来ていた。

 

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