第一話 Departure

第一話 Departure

 

 ZOOLが終わってしまって、だけどそれはオレの人生が終わったってわけでもなくて。いつかトウマに聞かれた。アイドルやって、それが終わったらその先はって。あの時は九条への仕返しのことしか考えてなくて、別に歌もダンスも、全部捨てて普通の人になるんだと思ってた。……嘘。普通に帰ることすら考えて無かった。だって、復讐で頭いっぱいだったんだ。悔しくて、悲しくて、怒りをぶつけることしか考えてなかった。

 でもトウマはどっかで分かってたんだよな。何かが終わる日の向こうにも、人生は必ず嫌でも続いてるって。いつもは熱血バカのくせに、時々誰よりちゃんとしてて、トウマってホント分かんない。分かんないけど、オレたちをいつも引っ張ってくれてて、何だかんだ好きだった。もちろん、巳波の好きとは違うけど!

 そうやって、この日が来た。トウマは先月欧州に飛んでって、虎於はワイドショーのコメンテーターなんて始めて。巳波はドラマ撮影でめちゃくちゃ忙しい。オレは……これからまた、身一つだ。けど怖くなんてない。トウマも向こうで頑張ってるし、辛くなったら帰ってきていい場所を、オレはもう知ってるから。

 だから顔を上げて、笑って手を振りたいんだけど。

「いすみん何かあったら電話しろよぉー!」

「いやしないこともないけど、いや……したくないかも……」

「なんでだよっ! オレといすみん友達じゃんかぁ!」

「四葉さん鼻水飛びそうです。一旦鼻をかんで」

 和泉が冷静にティッシュを一枚差し出すと、四葉は豪快に鼻をかんだ。その残骸を和泉のコートのポケットに無造作にねじ込んだけど、それ後でめちゃくちゃ怒られるぞ。オレ知らないからな……。

「はは、良かったな悠。泣いて見送ってくれる友達がいて」

「本当ですね。私達は必要なかったかもしれません」

 そこ二人は微笑ましそうに見んなよ! てか先月トウマの見送りは逃げたくせに、オレのは飄々と来るんだから巳波はホント分かんないな。

 巳波に虎於。あと一応、一応高校の同級生だったから連絡入れといた和泉と四葉が、渡米するオレを見送りに来てくれた。……ちょっと嬉しいのは内緒。話したい事、まだあるけど……もう行かないとだしな。

「じゃあオレもそろそろ行く……」

「はるちゃん!」

 言いかけた瞬間、それを遮るみたいに高い声が聞こえた。空港で人が雑多に溢れたこの場所で、何でか明確に聞こえた声に思わず振り返る。

 小柄な姿が猛然と駆けて来て、四葉にぶつかりそうになりながら足を止めた。慌てすぎだよ。でもやっぱ兄妹だから、並ぶとよく似てるなぁって、無意味に感心した。

 ふーふー息を整えて、やっと顔を上げたあっちゃん。その額には汗が浮かんでいた。

「おー、理。間に合ってよかったなー」

「あと少し、時間がおしてたら間に合わなかったよ兄ちゃん……」

 それもそうだ。一応仕事って聞いてたし。だから正直ちょっと、びっくりした。あっちゃんも今はソロのアイドルやってるから、仕事多い。今日だって前から決まってた仕事があって、一応連絡だけはした。勝手に行くのは、なんとなく、違うかもって思って。

 あっちゃんは息を整えて、和泉の貸してくれたハンカチで汗を拭うとオレの前に立った。いつかのレッスンの時みたいに。

「頑張ってね、はるちゃん」

「あー……うん」

「私も負けずに頑張るから。たまには連絡してね!」

「いやそれは……気が向いたら」

「えー何でー!」

 あっちゃんは心底不服そうな顔したけど、アンタの後ろで四葉が凄い顔して睨んでるんだよ。そこは分かって欲しい。

「……えと、元気で」

「うん、またね、はるちゃん!」

 握手くらいは妥当だと思って、手を差し出す。嬉しそうに握ったあっちゃんの手は、覚えていたそれより、全然小さくて柔らかかった。

 一人でステージに立つのが不安な時は、あいつらには秘密だけどいつか買ったお揃いのお守りとばあちゃんがくれたお守り二つを握り締めてから、顔を上げた。不思議と、心が軽くなるんだ。知られたら恥ずかしいけどさ。

 自分の決めた道を歩くオレの背中をもう一度押してくれたばあちゃんのために、オレはゼロから必死に頑張った。日本のスタートはろくなもんじゃなかったから、今度は最初から胸張って生きられるように。爆発的に注目される事はなかったけど、少しずつ少しずつ経験値と人気を重ねることは出来たから、これで良かったんだと思う。

 たまに猛烈に寂しくなって、今日みたいに日本での仕事を無理に入れてもらって帰国してるなんてのは、まだ言えないけどな。

「いすみん久々ー……でもない。先月会った」

「ひと月は久々に部類されないの?!」

「体感一瞬なんじゃないですか? 今月も休み少ないので」

「そうそれ。まーいいや。飯行こーぜいすみん」

 良いのかよ! 四葉は本当、適当だな。良いけどさ。前と変わらない距離感は、悪くない。忘れられたり疎遠になったら、きっと今のオレなら素直に寂しくなるから。楽屋の前で合流して、和泉が場所を見繕っているのに続きながら歩いてたら、ふと背中を叩かれた。

 びっくりして振り返ると、ぱっと笑顔を浮かべたあっちゃんがいた。今日ここで、仕事してたんだ。知らなかった。

「良かった。今度はちゃんとはるちゃんだった!」

「なにそれ。てか今度って何?」

「えへへ……この間、はるちゃんと見間違えて知らない人に声かけちゃった」

 にこにこ無邪気に笑ってるけど、それオレにも失礼じゃない? いいけど。

 これから仕事か、フリルやらレースやらで飾られたシンプルだけど繊細に作られた綺麗な衣装に身を包んだあっちゃん。メイクも完璧だ。女の子だなってしみじみ思う。アイドルとして人気になるわけだよな。

「おっ、理ー。仕事か? 頑張れよー」

「兄ちゃんもお疲れ様。はるちゃんとご飯行くの? 良いなぁ」

「後から合流しますか? 店の場所送りますよ」

「ちょっと待ったいおりん。さも当たり前に連絡とり合ってますアピールすんなよ」

「そんなんじゃないよ兄ちゃんてば。でも、行けたら行きたいです! 場所だけでも送ってください」

 了解です、と端的に答えた和泉に会釈して、あっちゃんはマネージャーと一緒にスタジオへと足を向けていった。アイドルらしい華やかさを背負って。

 その背中が少し遠い存在になった気がするのは、何でだろ。昔だって超仲良しってわけでもないけど。年を取るって、こういうものなんかな。

「いすみんどしたー? 置いてくぞー」

「あ、今行く」

 慌てて返事して、その背を追いかける。オレもそうだけど、みんな忙しい。その合間に昔みたいに笑える日があるのは、やっぱり良いもんだった。

「あっ、覚えてる! はるちゃん良く先生に叱られてたよねぇ。テンポが遅い! って」

「最初だけだろ。あっちゃんだって、良くステップ間違えてたじゃん」

「そうだっけ」

「そうだよ!」

 力強く言い切ったら、あっちゃんは真顔になって、でも次の瞬間には二人して噴き出した。いやこれ、もう何年前の話題だよ。アメリカのダンスコーチの話から発展した昔話。笑えるくらいには、今は懐かしい。あの時のコーチが厳しかった分だけダンスのレベルが上がったよな、オレもあっちゃんも。

 今日は四葉も和泉も収録でいないからって、あっちゃんが何故かお茶に誘ってくれた。取り立てて誰かに会いたいわけじゃないけど、日本に帰国して予定を合わせてくれるメンツがいるのは有り難い、かも。夜は虎於と巳波と約束あるし、アメリカに戻るまでは何だかんだひとりじゃない時間が多い。知ってる誰かと話せる時間があると、安心する。

「はるちゃん、向こうでも活躍だね」

「あっちゃんも日本で人気らしいじゃん。すっごい忙しいよな、色々CMとかバラエティ番組も出ててさ」

「はるちゃん見てくれたの? わぁ、嬉しい」

 にこにこと笑ったあっちゃんに、一瞬なんて言っていいか分かんなかった。そういや、無意識に見てたかも。あっちゃんも頑張ってるなって、なんとなくぼーっと思ってた。眩しい笑顔を、綺羅びやかなステップを、オレはそういえば見てたんだ。別にテレビが好きなわけでもなくて、熱心にチェックしてたわけでもないし、何となくであっちゃんが映ってる映像を覚えてたの、不思議、かも。

 一人勝手に戸惑ってるオレを他所に、あっちゃんはカフェオレの入ったマグカップを両手で包んで、照れ臭そうに微笑んだ。

「頑張らないといけないなーって。頑張って一流のアイドルになって、九条さんに認めてもらわないとね」

「あー……あっちゃんてまだ、九条のこと諦めてないんだ」

「えへへ……あーでも、天兄ちゃんにも環兄ちゃんにも反対されてるんだけどね」

「それはまぁ、すっげー年上だもんな」

「愛に年齢なんてないよ!」

「いや……うん、まぁいいけど」

 そこまで力強く断言されると否定は出来ないよな。トウマと巳波の事もあるし、性別とか年齢とか、きっとそういうのは瑣末な問題なんだろうけど。

 クリームソーダのストローに口をつける。炭酸の泡が弾けて、アイスの溶けたバニラの香る擬似的なメロン味が、なんだか少し、苦かった。

 

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