前編
デビューは秘密裏に、かつ派手に。了さんの好きそうなやり方で、特に異論はない。私にとって重要なのはいかにして私の曲を世間に叩きつけるかそれだけだから。
「何かご質問はありますか?」
一通りのサンプル音源を流し終え、口を開く。パート分けされた譜面を手に、亥清さんと狗丸さんは沈黙していた。好き嫌いを問うつもりはありませんが。社会に反旗を翻すアイドルらしからぬグループZOOL。それが了さんの思い描いたおもちゃ。そして私にとっては最初で最後の反抗の場所。そうなるように書いた曲ですから、文句を言わせるつもりは、ない。
「……これ、ホントに巳波が作ったの?」
亥清さんが眉を顰めて胡乱げに問う。一応私年上なんですが。年上を敬えとは言いませんが、敬語くらいはあって然るべきでは? 私は亥清さんのクラスメイトでも幼馴染でもなく、あくまでビジネス仲間でしかないのですけれども。
採寸したばかりだという制服は、まだ少し大きそうに見えた。
「なんか……顔に合ってないね」
「ふふ。お褒めの言葉として受け取っておきます」
「良いんじゃない。反逆者って感じする。オレは嫌いじゃないかも」
「それは良かったです。狗丸さんは、何かご質問は?」
じっと譜面を見たまま狗丸さんは動かない。嫌だとは言わせませんが、言いくるめる言葉を用意しなければいけないのは、少し面倒ですね……。ため息をつきそうになった時、勢い良く狗丸さんが立ち上がった。その勢いで椅子が倒れて、狭い応接室にうるさく反響する。思わず顔をしかめそうになった。亥清さんは耳を抑えて物凄く嫌そうな顔してますが。
「すげぇ」
「は……?」
「いや、ミナすげぇな?! こんなん作れんのか、マジかよ!」
「はぁ……」
「めっちゃアイドルっぽくねぇ! 何だよこれ最高!」
よほど興奮しているのか、声が大きいし顔が赤い。楽しそうですね、この人。苦手なタイプです。笑顔は返しつつ、心の中で半歩距離を取った。耳を塞いで睨んでいる亥清さんは、顔に黙れって書いてありますね。気持ちは良く、分かります。
「あ」
我に返ったのか、狗丸さんは間の抜けた声を出して止まった。忙しないですね、本当に。
「な、なんでもねぇ。……問題ないよな、ハル」
「え、うざ。気安く呼ばないでよ。てか大丈夫じゃなさそうなの、トウマじゃん」
「そんなことねーよ」
クールぶってますけど、さっきので台無しですね、この人。テンションの浮き沈みが激しいとこっちまで疲れてしまいそうです。
これからTRIGGERやIDOLiSH7を始めとしたアイドルの既成概念を破壊しようといているというのに、変な人だ。自分が悪役という自覚が感じられない。繕って繕って、やっと悪ぶっている多感な時期の中学生のようです。悪意の自覚はあるにはあるのでしょうが、薄いマスク程度のそれでは、簡単に剥がされてしまいますよ。この世界では。まあ、私が世話を焼くこともありませんし、沈むのなら勝手に一人で沈んでくれたらそれでいい。
質問はないと結論付けて、楽譜をまとめて鞄にしまう。私の役目はここまで。あとはレコーディングの方に任せてしまいましょう。
「それでは、私はこれで」
お二人に軽い会釈を返し、スタジオを後にする。
ふと見上げると、都心の星のほとんど見えない空がある。不意にオーロラの見える空を思い出し、奥歯を噛み締めた。
もう居ない人を、探したって意味はない。私はあの人にとってどうでも良かったんだから。あの人だけじゃない。私は……私である必要すら、ない。
――巳波にもきっといつか、中指を立てて歌ってくれる仲間ができるよ。
「……そんなもの、欲しくないですよ」
言葉はすぐに、闇に溶ける。いっそこのまま自我ごと消えてしまいたかった。
ZOOLのデビューは了さんの目論見通り、世間の話題を攫った。あの人はプロモーションの才能に長けている。商才だけ考えれば、他の事務所など足元にも及ばない。ただやり方がダーティで褒められないだけ。幸いと私はツクモプロではありませんから、向こうの会社が炎上して燃えようとも大した被害はありませんが。
ともあれ、綺麗に着飾って笑顔を振りまくだけのアイドルとは一線を画したZOOLは、注目を集めて仕事も忙しくはなっていった。私個人としては……少々、不本意な件はありますが。
局のどこからか流れてきた物悲しさの漂うメロディーに、つい眉をひそめた。
「……忌々しい」
Sakura message。あちこちで流れるようになったIDOLiSH7の新曲。楽曲が泣いている。あの人になんて、届きはしないのに。
考えるだけで訳のわからない黒い感情が渦を巻く。誰も彼も、私の言葉なんて聞き入れてくれないのだ。だからずっと、演じればいい。棗巳波を。完璧な、棗巳波を。
「……で、俺は特におまえと約束などしてなかったと思うが?」
「ええ、そうですね。ああ、今から約束しますか? まだ私に時間はありますけれど」
「いい。俺は頼んでない。むしろ約束がある。ついて来るな」
「あらあら、それは残念です」
思ってもいないくせに、と吐き捨てた御堂さんに笑みだけ返す。まあ、そうですが。御堂さんには御堂さんの時間の使い方がある。七割方女性に占められては居そうですけれども。夏から秋に変わる風の温度が、今年はどうにも煩わしい。
「別に、一度くらい食事くらい付き合ってやったらいいじゃないか。トウマは馴れ合いが好きなんだ。メンバーとして飲み込むことも必要だろ」
「御堂さんが仰います?」
「俺は本当に女と約束があるからな」
どうだか。この手の人は、適当にのらりくらりと躱すのが得意ですからね。地下鉄へ続く階段まで数十メートル。この距離だけ稼げれば、あとは如何にでもなる。
「……苦手なんですよ、ああいう暑苦しい人」
「その意見には賛成だ。……必死になることほど格好悪い事はない」
「いつか何もかもなくなる。ZOOLがあったことも、その曲も、何もかも。狗丸さんは、それを一番分かってると思ったんですけれど」
「どうだかな」
当たり障りのない、空間と時間を無為にする会話。御堂さんとする会話はいつもこうだから、楽でいい。本心は要らない。そんなものは私達が一番嫌うものだから。
なのに。
「……狗丸さん、虚しくならないんですかね」
亥清さんや御堂さんにすらすげなくされたって、あの人は日に日に楽しそうになっているのが、いつだって不思議だった。私だったら、とっくに嫌になってますよ。壁に向かって喋り続ける趣味でもない限り、反応のない言葉なんて吐きたくない。
地下鉄へ続く階段の前で、御堂さんとは別れる。タクシーを拾って夜の街に消えるんでしょう。自由気ままな御堂さんを毎度注意し続ける狗丸さんは、つくづく面倒見がいい。
ドラマ撮影の台本に、書きかけの楽譜。早く着いた楽屋で整理がてら広げていると、扉が開いた。雨でも降っていたのか、パーカーのフードをかぶった狗丸さんは少し濡れていた。狗丸さんは私の姿を認めると、ぱっと表情を明るくする。
「お、今日も早いなミナは」
「皆さんがのんびりしているだけですよ」
「ハルはともかく、トラは心配だぜ……今日も遅刻じゃないだろうな」
「さぁ、どうでしょうね」
人に構うほど、私は興味が無いので答えを返すつもりはない。それよりも、やることがある。楽譜を手にしようとして、するりと指先から抜けた。顔を上げれば、狗丸さんが興味深そうに楽譜を眺めている。人のものを勝手に触ったらいけないと、怒られなかったんですかね、この人。
「これ、新曲か?」
「そんなところです」
「そっか、楽しみにしてるぜ」
「何を言ってるんです、狗丸さん」
「え?」
ぽかんとした狗丸さんの手から楽譜を抜き取り、ファイルへ挟む。まだ未完成の楽譜だから、あんまり見せたくはないですし。なにより。
「入れ込むと、あとが辛いですよ。三年だけの契約。真剣にやらない、頑張らない。そういう貴方で居ることを選んだのでは?」
「それは……、まぁ、そうなんだけどよ」
「なら、期待はしないで。……安心してください。間違いのない曲を、書き上げますから」
それが私の役目であり、私のやりたい事でもあるから。踏みつぶされてしまう歌でも構わない。ここに今私がいた証を、刻めればそれで。
「それでもさ」
ぽつ、と狗丸さんは口を開く。手を止め視線を上げると、狗丸さんは困ったように笑った。
「……何でもねーよ」
「歌うことは、楽しいですか?」
「ミナは、楽しくねぇのか?」
「私は狗丸さんと違って、アイドルに憧れを持っているわけではありませんから」
溝だ。私と狗丸さんとの間には、溝がある。望む世界が違いすぎるというのに、
同じ方向を見ろというのは難しい。楽譜を鞄に仕舞う。曲を見直す気分では、無くなった。
「でも曲作るのは好きなんだろ?」
「え……」
「ミナが作曲して、俺とハルが歌う。えーと、なんつーんだっけ。あ、り、利害の一致? ってやつで」
そのつもりでしたよ、私は最初から。最初から、私は誰も彼も利用して利用されるだけの関係だと、割り切っている。こういう煩わしさを我慢してでも、選んだ道だ。でも。
つい、と視線を上げて狗丸さんを見やる。狗丸さんは緊張した面持ちを浮かべていた。
「狗丸さんにとって、私から与える害ってなんです?」
「えっ?! そ、そんな事急に言われても……特に……ねぇな……? トラやハルと違ってミナに困らせられたことねぇし……」
ほら、そういうところ。私ばかり不利益なんですよ。困ったように首の後ろを擦る狗丸さんは、根本的にお人好しだ。私の本心なんて分かってない。取り繕った表層を眺めて良い子だと認識する大人達と同じ。今この瞬間の会話すら、時間の無駄に近い。
「あっ、だ、だから何か困ったことがあったら何でも言えよ? 俺出来る限りなんとかしてやっから」
「あらそうですか? では早速一つお願いしても?」
「! 何だ?!」
嬉しそうに目を輝かせた狗丸さん。ご褒美代わりに、私は最上級の笑みを浮かべる。
「これから台本チェックしますので、お喋りな口を少々閉じてていただけます?」
狗丸さんの表情が引き攣ったのは、言うまでもない。
こなす仕事が増えて、それは自ずとZOOLとして活動する時間が増えたことになる。楽屋で顔を合わせても簡単な挨拶以外は未だ成されていませんが。
「あ、棗くんお疲れ様」
「こんにちは、畑中さん。お疲れ様です」
預けていた音源を受け取りに来た私を、今日も薄い色のサングラス越しに畑中さんは微笑んだ。レコーディング・スタジオの管理者兼ミキサー。ZOOLとして活動するにあたり、お世話になるようになった。最近の悩みは思春期の娘に避けられてることだと言ってましたっけ。
「ちょっと待って。あと少しで終わるから」
「それは構いませんが……畑中さんが仕事に遅れるなんてないと聞いたのですけれど」
「棗くんの嫌味が耳に痛い……」
苦笑いをしつつ、手元は作業を続行しているのは流石はベテランというところでしょう。私の皮肉を受け取れるこの人は珍しい。最低限の話しかしなくとも、つつがなく仕事はこなせる関係がビジネスとしては最高ですからね。
ソファに腰をおろし、鞄から来週から撮影の始まる連ドラの台本を取り出す。ZOOLという看板を背負った上でやる役柄というのは正直鬱陶しいですが、仕方ありません。役者棗巳波は前から存在するのだから、それだけは継続しなくては。たとえZOOLがなくなったとしても。
「あのボーカルの子……なんだっけ? ヤンキーみたいな方」
顔を上げる。畑中さんは背中を向けたまま私に話しかけたらしい。はらりと落ちた髪を耳に掛けつつ、私は僅かに首を傾げる。
「えぇと……、ヤンキー……狗丸さんのほうですか?」
「あ、そうそう。狗丸くん。彼がさぁ、一昨日レコスタに来てね、もっかい録らせてください! って頭下げるもんだから吃驚したんだよ」
「は……?」
狗丸さん分のレコーディングは、先週終わらせたはずですが。五回ほど撮り直して、私と狗丸さんと、双方納得して終わらせた。そもそも一発で問題なかったのを五回もやり直したくらいには、時間を掛けた。
それを納得してなかったとでも? 勝手に録り直しただなんて、私は馬鹿にされてるんですかね……? 思わず眉を顰めた。
「前回より絶対歌えるから、どうにかお願いしますって何度も言うから折れちゃったよ。いや確かに良くはなってた。伸び伸びと歌ってたし、何より楽しそうだったなぁ」
「はぁ……」
「歌うのが楽しいってやつだね。棗くんの曲、好きなんだって言ってたよ。あ、これ内緒だった」
あはは、と嘘っぽい笑いで誤魔化した畑中さん。別段……嬉しくはないですけど。これは仕事だ。少しだけ私の趣味が乗っただけの。
「……変な人ですね」
ぽつ、と台本の上に思いを零す。いつか捨てられ踏みつけられる為に存在する曲だって、狗丸さんだって分かってるはずでしょうに。そんな傷だらけの運命を背負った私の曲を、あの人はどうして真剣に歌い始めたのだろう。
膝の上に広げたヒューマンドラマの台本は、先まで見通せるほど簡単なのに。狗丸さんのとった行動の意味は、台本からはみ出したアドリブよりも分からない。
畑中さんがミキシングを終えたマスターに収録されていた狗丸さんの歌声は、確かに私が立ち会った時よりも熱が入った良い出来だった。
――かと言って、自由にさせるのも癪ですので。
「狗丸さん、勝手なことをされては困りますよ?」
「え?」
何か悪いことしたか? って顔しないで欲しいんですが。亥清さんと御堂さんが意外そうにこちらを見ていたけれども、この二人は助け舟を出したりはしない。それどころか。
「え、トウマ何かやらかしたの。借りたハンカチ返さないとか?」
「紹介した女にみっともなく振られたんじゃないか? 慰めてやってもいいぞ」
てんで的外れな追い打ちをかけてくる。狗丸さんは何にも分からないって顔で私を見つめ返してきましたけど。軽くため息をついて、腕を組む。
「レコーディング。勝手に再度録りに行くのはやめてください」
「い、行ってねぇ……」
「嘘をつくと閻魔大王に舌を抜かれるって知ってました? 何でしたら今ここで私が閻魔大王の代行をいたしましょうか?」
「ミナ目が笑ってないな?!」
「あらあら、狗丸さんの目には私はどう映っているのか興味深いですね」
収録が押して未だ待機中の楽屋は、丁度いい釘を差すタイミングだった。御堂さんがやるとは思えませんが、亥清さんは狗丸さんの押しに負けて同じようなことをされては困りますから、二人の前できちんと言っておかなければならない。
目に掛かった前髪を指先で退けて、再度深くため息を一つ。
「曲の責任と権利は私にあります。私の描いた世界観を、勝手に壊されては困るんですよ」
「それは……まあ、そう、だな?」
「だから、勝手に録り直してそれを変えられると非常に困ってしまうんです。今回は見逃して差し上げますが、次回はありませんから。よく覚えておいてください」
こくこくと引き攣った表情で狗丸さんは頷く。そんなに私怖い顔してませんが? ちゃんと棗巳波の穏やかな仮面をつけている。単純に狗丸さんが猛省したということにしましょう。
「……な、なぁミナ」
狗丸さんは、恐る恐ると言った感じで名を呼んだ。そういえば、その呼び名もどうにかして欲しい。私はビジネス以外の付き合いを極力排除したいんですよ。
開いていた音楽雑誌を閉じて、狗丸さんは唾を飲み込んだ。重大な告白する時の演者に似てますが、この人の場合は恐らく違う。笑みを返し、首を傾げてみせた。
「どうしました?」
「録り直したの……前より悪かったか?」
どうしてそんな事聞きますかね、この人は。自信があるから録り直したいと言ったのでは? 苛立ちが湧く。
「他人に評価を委ねるなんて、ZOOLとしていかがなんです?」
「今日のミナめちゃめちゃ厳しくね?!」
「あら、私はいつもどおりのつもりですよ、狗丸さん。……ご自分で聞いて、それで判断なさってください」
「こわ、その言い方マジ怖いって……」
話はこれで終わり。次の曲を書き上げるまで、この話はもうすることはありませんからね。
――数日後、刷り上がった新譜を手に一人こっそりと楽しそうにしていた狗丸さんが居たと、何故か亥清さんが教えてくれましたが、私には関係のないことです。
◆
TRIGGERを表舞台から引きずり下し、あわよくば抹消する。その了さんの目論見通り、力を持つ会社の強みでTRIGGERは表から消えた。少し……変だとは、思いましたが。世間というよりは、ZOOLの空気が。
御堂さんはいつもどおりと言っても差し支えないですが、亥清さんは苛立っているようだった。狗丸さんは、雑誌を見る回数が減っている。何かを隠しているのは明白ですけれど、首を突っ込む理由はない。
三年。私達に課された契約期間。その期間だけはビジネス仲間だ。どんな形になろうとも、どんなに内部の歯車が壊れていようとも。だから触れない。触れることは関わることだ。私は他人に関わって裏切られるのは、二度と御免です。
「……巳波。俺をいちいちダシにつかうな」
「人聞きの悪いことを仰らないで。どうせならエスコートしてくださってもいいんですよ?」
「生憎と俺は男を口説く趣味は持ち合わせていない。口説かれたいなら適した場所に行くんだな」
「あらあら、ご案内してくださると?」
御堂さんが大きくため息をつく。面倒そうに私を一瞥して、首を振った。
「俺はガキのお守りは仕事じゃない。他を当たれ」
「御堂さんにとって私は庇護対象でしたか」
「歳の問題だ。それでも本当に口説かれたいと思ってるなら、もう少し俺に見合ったようになるんだな」
自信家ですこと。笑みを返しつつ、言葉は仕舞った。局を出るまでの数分間。ドラマでお世話になった先輩俳優の誘いをかわすのに、今日も御堂さんは都合が良かった。この人、顔はいいですからね。大抵の人は御堂さんより強くは出てこない。余計な会話をしなくていいのは、実に助かります。
「別に男や女をまくならトウマや悠でもいいだろ」
「亥清さんはああ見えて純粋ですよ。汚い世界を知る必要はありません」
「じゃあトウマ」
「狗丸さんと私が二人でいたら、おかしくありません?」
タイプが違いすぎると思いますが。御堂さんは肩をすくめて話を切った。
「狗丸さんには先日、御堂さんとつるんで毒されるなよ、と忠告をいただきました」
「トウマは本当に見る目がないな。毒されそうなのは俺の方だ」
なかなか失礼ですね。笑って誤魔化しましたけども。エレベーターに乗り込む。扉が閉まれば、あとは降りるだけ。動き出しの独特な浮遊感で頭に血が残る感覚がした。
「……御堂さん」
「何だ? この後は俺は約束があるからお守りは出口までだぞ」
「三年、ZOOLは保つんですかね」
「保たせたいのか?」
質問に質問を返されるのは不服ですね。でも、核心を問われた気がする。余計な事を、私は言っている。どうして。何故そんな疑問が首をもたげたのだろう。
鞄を持つ手に力を込める。私がこの場所でしようとしていることは何だった?
「……そんなことは」
「なら良いじゃないか。スポットライトを浴びるのは嫌いじゃないが、時間を縛られるのは俺はやっぱり、嫌いだ」
「御堂さんらしいですね」
「ああ本当にな。お前といると、つくづく思い知らされる」
何を、と聞く前にエレベーターは一階へと辿り着く。まあ、良いですが。
「巳波」
「はい?」
先に降りた私を呼び止めた御堂さんは、珍しく真面目な顔をして私を見ていた。
「……お前、せめて自分にくらい素直でいたほうが良いぜ」
「は……?」
「忘れ物をした。一度楽屋に戻る」
「はぁ。お疲れ様でした……?」
ごうん、とエレベーターの扉が閉まる。駆動音が厚い扉越しに聞こえた。
「……わかったようなこと、言わないで」
思わず吐き捨てた自分に、心の中で舌打ちをする。踵を返して、半ば乱暴にスマホを取り出した。音楽プレイヤーを起動すれば、聞き慣れてきた二人の声がする。
こんなくだらない世界を壊せと叫ぶ曲しか、今の私には無かった。
「だからー、トウマ少し煽り過ぎ。俺毎度それに付き合ってたら声がもたない」
「ハルは俺より若いんだから、もっと頑張れよ?!」
「やだよ。なんで頑張るのさ。オレはそういうつもりないって言ってるじゃん……」
収録を終えて楽屋に戻る道すがら、亥清さんは狗丸さんの苦言にため息をこぼす。げんなりと言い返す亥清さんに対し、狗丸さんは納得いってない顔をしていた。顔にやればできるのに、と書いてある。私も亥清さんのスペックならもっと上は目指せると思いますよ。正直、亥清さんの歌もダンスもZOOLの中では抜きん出ている。ZOOLでは戦力の要だ。私達は今以上のものを本当なら、目指せる。誰も目指さないだけで。
……いえ、一人だけそうではなくなりつつあるみたいですけど。
「狗丸さん、その辺りで終わりにしてください。主張を押し付けた所で、納得できる理由がなくては何も届きませんよ」
「理由って……、だって、ミナの曲だぞ?」
「はぁ。それが何か」
「え?! もっと大勢に聞いてほしくねぇのかよ?!」
「……いえ別に」
「何で?!」
「どうせいつか捨てられる曲ですよ。私達みたいに」
契約期間が過ぎたら、何の価値もなくなるに決まっている。熱狂とはそういうものだ。熱が冷めたらゴミと大差ない。だから割り切ってステージに立っている。少なくとも私は。
狗丸さんは、一瞬だけ凄く悲しそうな顔をした。
「……俺は、捨てさせたくねぇよ……」
ぽつりとひどく寂しそうに溢したその言葉に、何も返す言葉が浮かばなかった。呆れか、それとも憤りか。自分でも分からない感情が喉の奥で詰まる。
いつもなら帰りに食事に行こうと誘ってくる狗丸さんは、その日だけは黙って帰って行った。
六弥さんについて知っていることを教えろ。そう言って私に詰め寄ってきたIDOLiSH7の面々は、必死だった。何がそこまで彼らを突き動かしているのだろう。疲れそうな生き方をしてらっしゃる。冷めた目で彼らを見つめつつ、心の底ではまた重しが一つ増えた気がした。
知らない。興味がない。話すことさえ億劫なんですよ。彼らの声はノイズにしか聞こえない。出来るならヘッドホンをして、耳が壊れるほどの大音量で破滅の歌でもって耳を塞いでしまいたい。
無視の鎧を着込んでため息をついた時、七瀬さんが口を開く。
「っ……、トウマさんっ」
なんで。どうして狗丸さんに助けを求めたんですか、この人。思わず顔を上げると、狗丸さんは困った顔をしていた。囲まれているのは私なのに、自分が囲まれているみたいな顔を。というか、この人私が囲まれてもノーコメントでしたね? 亥清さんは助けに入ろうとしてくれたのに。何だか腹が立つ。
良い人だからつい頼ったと七瀬さんはおっしゃいましたけど、狗丸さんは貴方達と仲良くしようとなんてしてない筈ですから、無駄な……――
「……ミナも、話だけでも聞いてやったらいいんじゃねえか?」
「秒でほだされましたね?」
苛立つと同時に、心がぎゅっと掴まれた気がした。なんで、どうして。私を助けてはくれなかったのに、どうして七瀬さんの声は聞き入れるんですか。分からない。この人が分からない。分かろうとしていたつもりは無いけれど、分からないのが気持ちが悪い。胃の中が無理矢理掻き回されているような不快感がした。
ありがとうございます、と嬉しそうな顔をして、七瀬さんは勝手に喋りだす。話なんてもうどうでもいい。ぎしぎし軋む。自分で理解できない熱が、指先からちりちりとした痛みを伝えていた。
Sakura message。その歌詞に仕組まれていた意味をようやく理解してひどく動揺していた。私も最初から知っていたわけではなかったですけど。ただ単純にああこの人のせいで桜さんはまともに余生も過ごせないのだと思っていたときに、ふと違和感を覚えたからで。意味に気付いたときは流石に戦慄した。桜さんが人質になったなんて、悍ましくて震えた。もう命も幾ばくもないのに。
せめて、あの人には風のように逝ってほしかった。籠に閉じ込められた風なんて、桜さんじゃない。治療を受けられた所で、それはきっともうあの人ではない。分かっているのに、安心した自分もいた。生きていてくれるなら。私が私であったことを知る人が、まだこの世にいるのなら。エゴだ。こんなのは、私のワガママ。他人の命の使い方を私が握っていいわけはない。それでも、私には。
歌詞の意味を理解して、亥清さんや御堂さんすら沈黙した。そうですね、こんな恐ろしいものがこの美しい旋律の向こうに織り込まれていたなんて、私が作曲していたなら今すぐにも歌わせたくはないですから。たかたがアイドルという看板しか背負っていない筈の六弥さんが本当に背負っている責任は、そんな軽いものではありませんが。ふと、狗丸さんが私を見やる。
ああ、嫌だ。この人の言おうとしていることが分かるのが嫌だ。
「ミナ、知ってるなら、話してやれよ」
「……どうしてそう、狗丸さんはお人好しなんですか」
「お人好しなんかじゃねえよ。でも、おまえらの誰が居なくなっても俺は全力で探す」
また、そんなことをいう。口だけなんでしょう。そう言い返してしまいたいのに、口が開けなかった。
「お前らにはわかんねえだろうけど、メンバーが居なくなるってことはそういうことなんだよ」
分からないですよ、そんなこと。私達は仲良しごっこすらしてないのに。なのに、寂しそうな顔をされると悪いことをした気になる。手を伸ばしても掴めなかった苦痛は、私も知っていたから。七瀬さんはじっと狗丸さんの言葉を聞き届けたあと、にこりと微笑んだ。
「……トウマさんに今、一緒に歌ってくれる人たちが居てくれて、良かったです!」
否定すべきだった。私達は一度だって一緒に歌ってなんかない。ただ同じステージに乗り合わせただけだって。でも。
――俺は、捨てさせなくねぇよ。
そう呟いた狗丸さんの声を思い出して、否定が喉に詰まった。私の曲をちゃんと見ようとしてくれている人だって、何処かで分かり始めてた。それを受け入れるのは、裏切られるのが怖くて出来ない。私が居なくなっても、探してくれると言った。嘘かもしれない。その時になったら、探さないかもしれない。そんなどっちつかずの可能性に煩わされるのも、もう嫌だ。
私が棗巳波でいるために、もう桜さんとの関わりは、ここで絶たなくては。
IDOLiSH7もZOOLも、私の答えを待っていた。突き放せば食い下がられる。そうして私の自我が揺らぐような言葉を浴びたくない。だから。
「……分かりました」
打算的返答だった。私が私でいるために、桜さんが守ろうとした六弥ナギの秘密を、彼らに明け渡した。
「ま、待てってばミナ!」
追い掛けてきた狗丸さんの声を無視して、足早にエレベーターへ向かう。下降ボタンを押してすぐにエレベーターの扉は開いた。
走り寄る足音を聞こえないふりでさっさと乗り込み閉じるボタンを押す。
「待ったぁ!」
叫びと共に閉まりかけた扉に手を掛けた狗丸さんに、咄嗟に開くボタンを押す。
「っ……危ないことしないでくださいっ」
「そう思ったら開けろよ……」
がっくりと肩を落とした狗丸さんから目をそらす。手を怪我されたら困るじゃないですか。この人、私に扉閉められそうになったって話のタネにしそうですし。
ため息をつきつつ、狗丸さんはエレベーターに乗る。着替えもそこそこに飛び出してきたのか、シャツの襟が立っていた。
「……襟、立ってますよ」
「お、ホントだ。サンキュー」
別に、お礼を言われることではないでしょう。身だしなみくらいしっかりしてくださいよ。仮にもアイドルなんですから。閉鎖空間が、動き出す。一分も掛からない、はず。無意識で鞄を持つ手に力が入っていた。
「ありがとな」
「は?」
「六弥ナギのことだよ。……これであいつら追い掛けられるだろ。どうなるかはわかんねえけどさ」
「……本当、人が良いですね」
「メンバーが欠けるってのは、つれえもんなんだよ。……俺はもう、二度とごめんだ」
「……そうですか」
でも、狗丸さんが何を願おうと私達は三年限りですよ。それで全てはリセット。私の音楽もそれで終わり。狗丸さんは何か言いかけて、諦めたように小さく笑った。
「まあいいか。それはこれからだ。あ、でもミナ。トラとハルとはちゃんと仲直りしろよ。あいつらだってお前のことを考えて……」
「狗丸さんまで私の終わった話を蒸し返して正義のヒーローをやりたいんですか」
つい強い言葉が出た。撮影前に亥清さんと御堂さんがレッフェス後にノースメイアに行こうと提言してくれたのは、本当に有難迷惑この上ない。その話に、狗丸さんまで味方しようって言うんですか。どうしてどうして、この人はいつも。
「……なんで、私のことを尊重してくれないんですか」
「ミナ……?」
「いえ、何でも……ありません……」
一階へと辿り着き、扉が開く。軽く会釈をして、狗丸さんを残して先に降りる。追い掛ける声は、なかった。
もう終わりたいのに。終わらせたいのに。気持ちが、私の折角積み上げた覚悟が踏み荒らされるのが、嫌でたまらない。踏み出した外の風は、秋から冬に移ろう気配を運んで行った。
◆
真っ白な譜面を見つめていた。頭の中では全てを壊したいような音が鳴り響いているのに、五線譜の上には書き写せない。これは私の声で、叫びだから、曲として他人へぶつけるものではないからでしょうけど。
「はぁ……」
ため息をついて、ヘッドホンを嵌める。曲作りのために揃えた数多のデジタル音源を回して、着想を得るしかないようだった。
――四人で歌おう。
そう、狗丸さんは言った。めちゃくちゃになっているこの状況下で、レッフェスに合わせた新曲は四人でと。断れば良かった。そんなものは書けない。私と御堂さんは歌うためではなく魅せる為のパフォーマーとしてZOOLにいるのだから、と。
なのに私は断れなかった。断らなかった、という方が正しいのかもしれない。それは自分の中に生じた微細な違和感だけれど。
御堂さんはZOOLを抜けると言った。本気かどうかなんて知らないし、興味もない。ただ、あの人の思考は私に近いから、気持ちは分かる気がした。御堂さんには、ZOOLに拘る理由なんてないから。
亥清さんは、泣いていた。憤りが爆発して、ひとしきり怒って、最後は狗丸さんに宥められた。多分、一番欲しい言葉を貰ったから。
ハルが一番だって思ってる、と。多分亥清さんが顔を上げ続けたのは、誰かに見てもらう為だった。今はその願いに一番近い。それでも、亥清さんの中では満たされない部分がきっとあるんでしょう。それをちゃんと狗丸さんは分かっていた。分かっていたから、必死に上を向いた亥清さんが一番だってメンバーとして誇らしいって思ってあの言葉を言ってあげられた。
だから、半分は悔しくて半分は嬉しくて、亥清さんは泣いたんだ。狗丸さんはちょっと安心したように笑って背中を撫でてあげていた。理解者なんだな、と少しだけ。少しだけ……羨ましい気持ちが、芽吹いた。
私には。……私には、曲しか、無いのに。
「四人で……」
私にはこれしか出来ない。でも、どうしたらいいんですか。
社会を蹴倒す歌なら、きっといくらでも今なら作れる。世界の破滅を願う歌だって、他人を踏みつける曲だって、すんなりと。
でも、書けない。四人で歌いたいと言った狗丸さんが思う世界が分からないから。私が描いた曲が狗丸さんの思うそれと違ったら? それこそ私の存在価値を踏みつけられるのと同義なのでは。そもそも、本当に御堂さんが抜けるのならば、四人で歌う曲なんて作っても無駄に終わる。そんなのは、労力に見合わない。
――それならいっそ、書かないほうが傷付かずに済むのでは。
ペンを持つ手が止まる。耳元で流れる薄っぺらなラブソングが、耳障りだった。
「うわぁ……棗くん珍しく酷い顔してるね」
「してますか?」
「してるしてる。デモ録り終えたのに、全然納得してない顔」
愉快そうに笑った畑中さんに、曖昧に微笑んで誤魔化した。そんな顔をしているつもりはないのですが。それに納得は……した。
四人で歌うに相応しいZOOLの新曲。レッフェス用に書いた私の新しい音楽。構成もパート分けも、考えて考え抜いて完成させた。それでも、確かに畑中さんの言うとおり、胸にはわだかまりがある。不安……という方が正しいのかもしれないけれど。
デモテープと、コーヒーを私の前に用意した畑中さんは、首に掛けていたヘッドホンをテーブルの上に置く。小さく会釈をして、紙カップに入ったコーヒーに口をつけた。
「悩みがあるなら、ちゃんとメンバーに話したほうがいいよ」
「ふふ、悩みなんてありませんよ」
「前にさ、ここにメンバー連れてきたことあるだろう? いやぁ、ちぐはぐだなぁと思って実は意外だったんだよねぇ」
「それは、間違っていない印象ですよ」
「うんうん。でも、ステージやCDの中では君たちは完璧に一つだよ。あ、違うな。一つになってきてる、って感じ」
それは、どうなんですかね。この間も言い争いをしたばかりだ。私に干渉するなと苦言を呈しただけでは、ありますけれど。コーヒーが、少し苦い。
「オレもさぁ、昔はゼロの曲みたいなの作ってみたい! って思った時期もあったよ。センス無くてやめたけど」
「そうなんですか」
「悔いはないけどね。今は棗くんや相楽さんみたいな新しい芽に会えるのは貴重な経験だよ」
「……でも永遠には、作れませんよ」
「あはは、いつも棗くんは刹那を生きてるなぁ」
だって……それが本当じゃないですか。私は三年だけはZOOLでいることを許されている。音楽活動を、星影事務所から許可されている。それが終われば、また俳優業だけしかない。私は、私を取り巻く環境の全てを払い除けてでも自分の道を選ぶことが、出来ない。失敗したら、この世界は終わりだから。
ぐっと心の奥底が寒くなる。薄い紙カップから伝わるコーヒーの熱が指先に刺さる。畑中さんは自分の分のコーヒーを飲み干すと、とん、とデモテープを指先で叩いた。
「良い曲だと思うよ、今回も」
「それはまあ、当然ですが」
「あはは、言うと思った。棗くんはさ、これ、最初に誰に聞かせたい?」
桜さんですよ、と即答出来ると思った。なのに私の脳裏に浮かんでしまったのは、ちっともメンバーらしくない、ZOOLの三人だった。
――どんなに大事にしていたって、大事にしてくれるとは限らない。メンバーだろうと、友人だろうと他人です。同じ熱量で何かを愛したりしない。
――同じ熱量じゃなくたっていいよ。俺はZOOLが好きだ。お前らに振り向いてもらえなくたって、ZOOLが好きだ。
以前の大食いレポの収録のときに、そう狗丸さんは言っていた。嬉しそうに笑っていた。この人にとって、一度捨てた夢をもう一度歩ける仲間として、私達は認められていた。煩わしい、と数ヶ月前の私なら鼻で笑っていたのに、あの時ですら笑えなかった。その意味は、分かってきていたのに。
素直になるのも、弱みを見せるのも怖かったから意地を張り続けた。だって、手を伸ばしてすり抜けられるのは、もう嫌だったんですよ。
――……結果、レッフェス前のインタビューにて狗丸さんは盛大に怒った。主に私と御堂さんに。火をつけてしまったのは私も一因があるので、多少は反省しましたが。でも狗丸さんが怒ったのは私達が嫌いだからじゃない。ちゃんと向き合おうとして、対等な立場にいようとしてくれたからだ。私達は、この人が居なくちゃZOOLですら居られなかった。
桜さん。私は、この人達と貴方に会いに行ってもいいんでしょうか。心を固くとざして、優しさを拒否して、それでも手を差し伸べようとしてくれる人達と。
「月……見えてよかったぁ……」
力尽きたみたいに欄干にもたれた狗丸さんに、御堂さんが薄く笑う。
ノースメイアに行くか行かないかの、賭け。月が見えたから……私達はレッフェス後はノースメイアに行く。思うだけでぎゅっと胸が締め付けられた。
「何で巳波よりトウマが安心してんの? 意味分かんない」
「だって行けなかったら嫌だろ?!」
「いやそもそもトウマ関係ないじゃん……」
「そっ、それは」
亥清さんに言い負かされそうになった狗丸さんに、つい笑みを零す。本当、この人はお人好しが過ぎて他人のことすら自分の事のように傷ついたり喜んだりするのが得意ですね。……私の周りには、いなかったタイプです。不思議な人。
罰が悪そうに首の後ろを擦る狗丸さんに、私は首を振った。
「関係ありますよ」
「え、そうなの?」
「はい。……桜さんに、会ってお礼を言ってくれる。私に曲作りを教えて、私と皆さんを出逢わせてくれたお礼をって、さっき言ってましたから」
当の本人はぽかんとしましたけど、御堂さんは愉快そうに肩をすくめる。
「たまにトウマは驚くほど情熱的な台詞を吐くな。女にもそれくらい言えればもう少しモテるんじゃないか? 俺には遠く及ばないが」
「うるせえモテる自慢すんな! 傷付くわ!」
「……やっぱこいつら面倒くさい」
素っ気ない言葉を零しつつも、亥清さんも嬉しそうな顔をしていた。いえ……私が、安心したのかもしれないですが。私は……、ここが、きっと好きなんですね。この三人といる自分が。まだ、断言するには不安があるけれど。
「……あの」
喉に一瞬声が詰まった。不思議そうに三人が私を見やる。私がまた、弱気になって逃げ出そうとするのを警戒されたのかも、ですが。
不安が押し寄せた。初めてこんなに、緊張しているかもしれない。震えそうな指先で、鞄からクリアファイルを取り出す。
「……曲を、書きました。四人で歌う曲を。……ご意見がありましたら、今なら、まだ」
「マジか! 聞かせてくれよ!」
私が言い切る前に、狗丸さんは即座に表情を明るくする。が、すぐに罰が悪そうな顔をした。忙しない。
「その……、悪かった。曲……、俺が四人で歌いたいって言ったのに任せっきりにして」
「狗丸さん……」
「ミナなら最高の曲いつでも作ってくれるって信じてたからさ。あーいや、言い訳した……」
「……良いんです。御堂さんが抜けるなら三人用に変えなくちゃいけないところでしたし」
「おい、巳波。まだ根に持ってるな」
「貴方にとってはただのありふれた曲でも、作るこちら側としては三人用と四人用じゃ違うんですよ」
分からないって顔をしましたけど、まあこの人に曲云々で響くことはありませんからね。仕方ないです。御堂さんも私と同じで居場所に迷っている。あるいは、私以上に。
「巳波、聞かせてよ。レッフェスで完璧に歌いきってやる。誰よりも最高だって言わせてやるよ」
「ふふ。亥清さんはいつでも頼もしいですねぇ」
「そーいう方が良いじゃん。オレ、巳波の曲好きだよ」
「……ありがとう、ございます」
「あ、俺スピーカー持ってんだ。全員で聞こうぜ!」
いそいそと楽しそうに狗丸さんは鞄をあさり出す。この人、本当に音楽が好きなんですね。痛い目に遭っていても、まだ。
――巳波にも、いつか一緒にギャングスターの歌を歌ってくれる人が現れるよ。
いつかの、桜さんの言葉を思い出す。本当に、貴方のおかげで、私はこの人たちに出会えたのかもしれない。だから、会いに行くまでどうか、生きていて。