トウマ編
「ねぇ、トウマさ、ホントに気づいてないの?」
ハルが徐に切り出したけど、もちろん俺には何の話か分からなかった。髪切ったとかそういうのか? それともハルの持ち物が変わったのに気付いてないとか、もしくは金がねぇみたいな相談されるのか俺。金は……貸せないぞ? そういうの、若いうちから覚えるのはだめだ。
「あー、そうだ。トウマ英語壊滅的にだめだった」
「だから何の話だよ……」
肩を落としつつイヤホンを片耳はめる。正直時間がないからな……。
ハルが収録終わりにどうしても行きたい店があるからと閉店間際くらいに何とか滑り込んだのは、チョコレート専門店。めっちゃ甘い匂いがする。一時間もいたら胸焼けしそうなほどなのに、ハルはご機嫌でチョコレートパフェを頼んでた。俺は無理だからコーヒーで。パフェが運ばれてくるまでの間、ミナが作ってくれた俺のソロの歌詞と譜面を見せたら、さっきの発言。全然意味がわかんねぇんだよな……。
送ってもらったサンプル音源を再生しようとして、ハルが俺の手を掴んだ。
「ま、待った。今何聞こうとした?」
「え、ミナがくれた俺のソロのサンプル」
「駄目、それ今は駄目。オレが気まずい」
「何でだよ……」
「歌詞見た? 譜面読んだ?」
問い詰めてくるハルに、渋々首を振る。嘘をついてもハルにはすぐバレるからな……。
「サンプル聞いたほうが早いだろ?」
「そうなんだけどさぁ……、じゃあ、巳波に怒られないようにこれ俺からのアドバイス」
「おっ、言うようになったな、ハル」
なんかぱっと見た感じ、英語あったもんな。俺は中学英語以上のものは意味が全然分かんねーから、ハルが訳した解釈があるのは助かる。意味は分かんなくても歌えるけど、知ってた方が気持ちは入るもんだ。
ハルは心底呆れたみたいな深いため息をついて、譜面と歌詞を俺の前に返しつつ。
「巳波のために歌うつもりでやって」
「ん?」
「そしたら多分、巳波怒らないし満足するし、……喜ぶと思うよ」
「何言ってんだ? 歌詞にそう書いてあんのか……?」
「知らないほうがいいよ。少なくとも、レコーディングが終わるまでは」
腑に落ちない……けど、ここでハルの言うことを無視したらきっと怒っちまうだろうから、サンプルは帰ってから聞くか。早く聞きたいんだけどな、俺のソロ……。
俺の前にはコーヒーが、ハルの前には背の高いパフェが運ばれてきた。嬉しさを隠しきれない顔で写真を何枚も撮ってるハルを、最近やっと見慣れてきた気がする。
ハルを最寄りの駅まで送って、俺はそのまま近くのカフェに腰を落ち着けた。終電まではまだあるし、ハルの話っぷりが気になったし何より俺自身が早くソロ聞きたいからな! アイスコーヒーの大きめを買って、奥の席に陣取る。まあ、もう人も少なくなってきてるけども。念の為人目は避けねぇとな。
「えーと、一応歌詞と譜面見ながら聞くか……」
鞄からクリアファイルにきちんと仕舞われた譜面と歌詞を取り出す。なんか、ミナのマメさが出るよなぁ、こういうところ。取り敢えず、歌詞だけ見て聞くか。ああ、なんかワクワクする。新曲も嬉しいけど、これは俺専用だもんな。ちょっと特別だ。
期待と不安に背中を押されながら、サンプルを再生した。
して、すぐ、吃驚した。なんて言うか、イメージと違った。それはもちろん気に食わないとかそういう意味じゃなくて、自分が思ってる俺より、なんか、大人だった。いや、大人っていうのも何か変で、でもそれは確かに俺の歌だった。
「……うわぁ……」
手で顔を覆って、俯いた。やばい何だよこれ。弱虫で周りが悪いって情けないこと言ってた俺がいて、でも夢を捨てたくない俺がいる。いつまでも歌っていたい、誰かに気付いて欲しいって叫んでる。全部これ、ほんとに俺だ。ミナがちゃんと見てる、頑張ってるの知ってるって言われてるみたいで、なんか、情けないけど涙出た。
俺ちゃんとやれてんのか、不安だったんだよ。ミナが目指してるレベルが分かんなくて。虚勢ばっか張って、って呆れられてるかと思ってた。
これは俺がファンとかに向けて俺ってものを示す曲だから、キャラとは違うテイストなんてミナは用意しないと思ってた。曲がりなりにも、俺はそういうセンチメンタルなキャラじゃねえもん。でもこれで行こうって、ミナは決めたのか。弱くて情けない一面を持つ俺でも、今のファンなら受け止めてくれるって。
―どこまでもお供しますよ。
そう言ってくれたの、いつだっけ。ノースメイアの帰りか。ノースメイアから帰ってきて、ミナは少し前より柔らかくなった。結成当時なんて、俺多分結構ウザがられてたもんな。でも、今は違うみたいだ。それが嬉しい。目頭が熱いってか情けないことに、泣いてる。ハンカチ持って歩いた方がいいですよ、っていうミナの忠告を守らなかったことを今ほど後悔したことないな。
「……あー……」
わけも分からず、意味のない声を吐き出す。駄目だ、俺には凄い贅沢だよ、この曲。ここに居ていいんだって認められた気がして、しばらく俺はミナの声で歌われる俺のソロから、動けなかった。
めちゃめちゃ練習したし、聞きまくった。譜面は気付けば記憶してたし、でもなんかまだまだこの恩を返すには足りなくて、結局レコーディングも何回も録り直させてもらった。ミナは怒るかと思ったけど、最後まで立ち会ってくれてたし、やっと終わったらお疲れ様ですって冷たい缶コーヒーを買ってきてくれた。特に何も言われなくて実はビビってたんだけど……どう、だったんだろうな。あんまりミナの考えてること分かんねぇからな……。
その日は倒れるように寝て翌日遅刻しそうになったのは内緒だ。
「あっ、ある! ハル見てくれよ、並んでる、俺のソロ……!」
CDショップに並ぶ俺のソロを見つけてテンションがめちゃめちゃ上がった。いや本当、夢じゃない。最高だ。
「ねぇ目立つから静かにして。何で虎於連れてこなかったのホントヤダ」
「だって感動するだろ。ハルだって来週並ぶんだぞ」
「当たり前じゃん。発売日だもん。オレはトウマと違って浮かれたりしないよ」
「とか言って、こっそり見に行くだろ。そーいうもんだ。照れるな照れるな」
いや違うし……とかまだぶつぶつ言ってるハルは、まあ思春期だもんな。仕方ない。もう少ししたら俺みたいに素直に喜べるようになるだろ。
「でー? ……意味わかった?」
「え、何の?」
CDショップを後にして、ハルが飲みたいって言ったタピオカを買ったところでそう切り出された。ハルはため息をついて、でもちゃんとお礼を言ってから俺の手からタピオカドリンクを抜き取る。タピオカミルクティーとか、俺にはとても飲めないけども。
「Endlessだよ」
「あー、そーいやハルありがとな。いやー、ハルのアドバイスあったからめっちゃ歌いやすかった。Song for you、あれさー、俺結局誰目掛けて歌えばいいか分かんなくてさ、取り敢えず作ってくれたミナに俺完璧に歌ってやるからな! って気持ちで歌ったんだ」
「うん」
「あれで良かったと思うか? 何かレコーディングのときミナ何も言ってくれなくてさ」
「え、待って待って。ちょっと待ってトウマ」
タピオカ片手に、ハルが俺を制止する。そういやハル、収録前に俺の誕生日サプライズでケーキ二個も食ってんのにまだ甘いもの飲んでんのか。すごいなお前。
ハルはストローを咥えたまま目を閉じて、眉間にめっちゃシワを寄せた。
「うっそ、それでさっきあんな事言えたの? まじ? 信じらんない……」
「ハルー? どしたー?」
「いやどうしたじゃないよ……ええ……トウマって恐ろしい……」
「何がだ?!」
「……まぁいいけどさぁ。……あんまり、ごちゃごちゃしない内に、気付いてよ」
「ごちゃごちゃ? 気付く?」
「……なんでもない。普通でいいよ、普通で。あーあ……無自覚って怖い」
自己完結したのか、それ以上ハルは何も言わず。タピオカ抜きにしてもらったアイスカフェラテは、冬の外では割ときつかった。
癖みたいに、サンプルを聞くようになった。俺のソロなんだから、自分の聞けばいいのかもしれないけど、俺のためにあるのはやっぱりミナから貰ったサンプルだけだ。そーいや、ハルとトラも聞いたことないのかこれ。ちょっと不思議だな。俺とミナしか知らないんだ、これ。
って、何の話の流れでそういう話になったんだったか。ハルは呆れたーって顔で頬杖をついたまま、出てきたいちごパフェのアイスにスプーンを突き刺した。
「……トウマ、ほんっとに自覚ない? てか、普通そこまで聞いてたら気付かない?」
「おー? あ、ハルのCD買ってきてやったぞ」
「恥ずかしいことしなくていいから?! ていうか……いやもう、巳波のことハッキリしようよ……オレもう見てるのしんどいよ……」
「ミナ? 俺喧嘩とかしてねーぞ」
むしろ前に比べたら話しかけてくれるし、この間はソロ作るためにって、メンバー全員でキャンプ行ったのとは他に一日付き合ってくれたりしたもんな。半年くらい前はメシに誘っても笑顔でお断りしますって毎回言われたっけ。そういや、あの頃の笑い方と今はちょっと違う気がする。優しくなった、感じ? 何となく、だけど。
記憶を探ってもミナとの関係でハルに心配かけるようなことは何も無いはずなんだよな。黙々とアイスを食べてるハルは、一体なんの事を言ってんだ?
「……巳波って落ち着いてるから大人っぽく見えるけど、実はそうでもないじゃん」
「ん? そうか? まあ、おっとりはしてるよな」
「いや大人なら、桜春樹のことちゃんと割り切れてた筈だし、子どもみたく構ってくれないって拗ねないじゃん……」
「あー、そういやレッフェス行くまでは凄かったよな。私に関わらないでとか言ってた割に、曲の進捗聞かなかったらキレてたなぁ。意外と中身ガキなとこある」
「素直じゃないの。……オレも気持ちわかるけど。本心晒して笑われたり拒否られたりは、やっぱり嫌だ」
まあ、それは俺にも分かる。怖いよな、本音ぶつけるのは。でも、ZOOLの奴らになら本音でぶつかってもいいかなとは最近思ってる。じゃないと、こいつらは全然響かないとこあるし。ハルは半分ほどを食べたあと、一つ息を吐いて俺を見やった。
「……巳波さぁ、多分無意識でだけど、トウマにずっと歌って欲しいってあの曲書いたんだと思うよ」
「ん?」
「他の誰のためじゃなくて、自分のために、トウマにはずっと巳波の曲だけ歌ってて欲しいってやつ。めちゃめちゃラブレターじゃん……あの歌詞恥ずかしくて死ぬかと思った」
「は」
何だそれ。いや別に、普通に俺ミナの曲好きだからZOOLである限り歌い続けるぞ? ら、らぶれ……? いや、よく分かんねぇ。思考回路が止まる。
はぁ、と溜め息をついてハルはざくざくとグラス内の何かを砕いていた。
「貴方のための曲。君のために歌う曲。トウマなら、もっと強い口調の歌詞でも変じゃないのにさ。何か違うじゃん。まあ多分無意識なんだけど、巳波は多分、トウマのこと好きなんだと思うよ」
「俺もミナのことは」
「いやそーいう意味じゃなくて。特別なやつ。こ……恋って、やつ、みたい……な」
自分でしどろもどろになるハルに、ぽかんとする。恋。なんで。え、なんで。
「え、俺?!」
「うわ大きい声出すなよ! 目立つだろっ」
ハルが慌てて止めてくれたけど、勢い余って立ち上がりそうだったぞ。いや、どうなんだ。そんなわけ無いだろ。ミナは抱かれたい男第二位だぞ。何ていうか、男としての色気はトラと違った方面で凄い。羨ましいって常々思ってる。それこそ、女の子に事欠かないんじゃ。てか俺は女じゃない。
どんな冗談かとハルをじっと見ても、ハルも真面目な顔を返すだけだった。て何か。本気か。本気で言ってんのかハル?!
「え、えぇ……えぇぇ……」
なんて言って良いのかさっぱり分かんねぇ。いやそんな気配一度も見せなかったじゃんかよ。ハルの勘違いじゃないのか? 思い違いじゃなくて? 分からなくて、目を伏せる。半分に減ってるアイスコーヒーの氷が溶けて、一番上に透明な層を作っていた。
「……嫌じゃないんだ、やっぱり」
「へ?」
顔を上げると、得意げな笑みを浮かべたハルがスプーン片手に俺を見ていた。嫌とは。嫌とはどういう。
「ちなみにこの話は虎於も知ってる」
「うえ?!」
「オレと虎於の誤解だったらトウマにはゴメンだけどさ」
「おいっそこ投出すのかよ?! えぇー……マジかぁ……うーん……」
嫌な気持ちはしないけど、にわかには信じられないんだよな。なんていうか、当たり前にそこに居るから、そういう関係が形を変えるのが想像がつかない。
ハルがパフェを食べ切るまでの時間的猶予があっても、結局俺は何も答えが見つからなかった。
◆
ハルにあんなことを言われて、ついでにトラにも目で分かってるみたいな空気出されて、気まずい……なんてこともなく。だっていつもと変わらないもんな。
「はよ、ミナ」
「はい。おはようございます、狗丸さん」
変わらない挨拶を交わして、音楽番組のステージに立てば俺達はいつだって最高のZOOLをやるだけだ。何にも変わらない。変わらないんだけど。
「あ、巳波くん今度の撮影よろしくね」
「はい。楽しみにしています」
テレビ局の廊下で俳優仲間に声を掛けられて、そつのない返事を返したミナをちらりと見やる。前は、そんな風に誰かと談笑してることってあんまりなかったな。最低限の挨拶だけして、やんわりと会話を打ち切ってた。今はなんか、ちょっと世間話なんてしてる。改めて認識したら、変わってるんだなぁとしみじみした。しみじみ……すると同時に何か、うん、もやもやする、な。
二分かそこらの短い話を終えて、ミナは軽く頭を下げて俳優仲間と別れた。
「……あら、狗丸さん待っててくださったんですか」
「え、あ、いや」
立ち尽くしてた自分に気付く。ハルもトラも、既にいない。楽屋に着替えに戻ってんだろうけど。えっ、声掛けろよ。てか何で置いてった?!
「どうかしました? 空腹でお腹と背中がくっつく妙技でも思い付きましたか?」
「どんなのだよ?!」
「では……口から火を吹く特技とか? ファンのみなさんも喜びそうですね」
「おい、俺で遊んでるな……?」
さぁどうでしょう、と小さく笑って、ミナは俺の背中を押した。
「ほら、通行の邪魔ですよ。着替えて次の仕事に行かないと遅刻します」
「そ、そうだった」
俺を促したミナの笑みはいつもと同じ。俳優仲間に向けていたそれと大して変わらない。当たり前なのに、何で心は落ち着かないんだか、やっぱり分からなかった。
好きって、どういうもんだっけ。アイドル始めてからはスキャンダルを避けるために彼女作りたいとか思ってても実行は出来なかったし、高校とか中学の時のあれそれなんて忘れちまった。NO_MAD解散してからは、他人の好きが信じられなかったし、今でもどっか嘘や社交辞令なんじゃって心の何処かでは怯えてる。そもそも同性からそういう好意を向けられたことねぇし……俺も好きになった経験ないし……。異性とどう違うんだろうな、諸々。
「てか、ホントに好かれてんのかな、俺」
ベッドに転がりながら、悶々としつつスマホで意味もなく動画を流す。
ハルとトラが勘違いしてるだけかもしれないし、だったら杞憂でしかない。いつも通りこれからも過ごせば良いだけで、悩む必要なんてない。
……つか、俺何で悩んでんだ? 好かれてるのは、どんな意味でもありがたいこと……だろ。もちろん嫌なわけじゃないけど。なんで、有り難いってそれで終われないんだ?
「はー……なんか頭痛くなってきた……」
癒やしの犬動画を停止して、音楽プレーヤーを起動する。無意識に再生をタップしようとした瞬間、指が止まった。
―サンプル。
軽く頭を振って、先週買って取り込んだばかりの洋楽ロックを流し出す。ごめんな、ミナ。少しだけこの事は、考えないでいさせてくれ。
「いや、本当に、大真面目にそういうことを俺に聞くな」
焼肉屋の安いワインに残念そうな感想を零したあと、トラはため息まじりに俺をあしらった。困る。それはとてもつもなく困る。
「トラに聞かないで他に誰に聞くんだよ?! 女の扱いは得意だっていつも言うだろ!」
「女はな。あれは男だ」
「そうだな?! 本当に俺は何でこんな事で悩んで……はぁ……」
ビールと一緒に流し込んでしまえたら本当に楽だ……。考え込みすぎると、肉がまずい……いや嘘、肉はいつも美味い……。
「……〝こんな事〟じゃないからだろ」
「そうかな……」
ハラミ焼こ。網の上に並べつつ生返事を返していたら、トラは頬杖をついて俺を見やった。珍しく真面目な顔で。
「それは、お前はとんでもなく鈍いから、気付かないだろうと思って助言はしたが、俺も悠も確証があるわけじゃない」
「やっぱねーのかよ!」
「当たって砕けろ」
「砕ける前に当たる意味がないけどな?!」
そうかもな、とトラは薄く笑う。かもじゃなくて、確定だろ。いや、もちろん百パーセント好意が向いてるから好きになるとかそういうんじゃねーけど! どうにも釈然としない気持ちはあるな。
トラの皿に肉を置いてやると、さも当然とばかりに口に運ぶ。焼くのは好きだから良いけど、トラだと召使い扱いみたいだな……。肉が安いと文句を言わなくなっただけ、昔よりマシだ。
「たまたま今巳波の興味がトウマに一番向いているだけだ。人の心なんて何より移ろいやすい。その内、興味の対象は別に移るだろうさ」
「えっ?!」
「そうなった方が、トウマは困らないんだろう? 何も気持ちに答えてやれなんて俺も悠も思ってない。でも気まずくなられても困る。だから上手くやり過ごす方法を考えろって言ってるんだ」
上手く、やり過ごすってなんだよ。ミナの気持ちを無視しろって意味じゃないのは分かるけど。気持ちに答えなければ薄情ってわけでもないのも、分かる。むしろ同情で付き合われる方がよっぽど嫌だよな。
でも、ミナの興味が無くなったらって考えたら、途端に口が重くなった。
「……トラ、俺は……」
「あぁ、待った。電話だ」
俺を手で制して、トラは電話にさっさと出る。また女か。女だな、その速度。いいよな、モテる男は。顔もいいし背も高いし、歌うのも踊るのも見栄えがいい。俺何もトラに勝てるものがねーな……あ、虚しさに泣きそう。
「……分かった、すぐ行く」
「はぁ、まーた女かぁ? 抱かれたい男は忙しいな」
「そう僻むな。トウマにも俺に勝る良いところは一つくらいあるだろ。顔以外で」
「顔ってはっきり言うな! 勝てねーけど!」
悔しくてテーブルに拳叩きつけちまっただろーが。トラは澄ました顔で笑って、カードを取り出した。え、本当に出る気か? 俺は一人焼肉しろって?
ぽかんとした俺に、トラは優雅に微笑んだ。
「安心しろ。お前も連れてってやるよ、トウマ」
「えぇ……何でだよ……」
「向こうが二人なら形だけでもこっちも二人で揃うべきだろう」
どんな理屈だよ……。俺完全に数合わせだろそれ。自尊心が傷つくぞ。
と言って、一人で飲み始めたら悪酔いしそうな気がして、急いで残りのビールと肉だけ平らげて席を立った。
完全に数合わせだし、二人の興味はトラに集中してるし諦めてビールを飲む。いや、俺も女性の立場なら金と顔と、まあまあ性格のいいトラを選ぶけどな……。
「あっ、そういえばトウマさんのソロ聞きましたよ。流石は巳波さんですよね、イメージ違ったけどなんかこれもトウマさんなんだーって気がしました」
「ホントに?! いや、嬉しいな」
「ああ、トウマが泣いて喜んだってあのエピソード面白かったな」
「うるせーわ!」
トラの軽口についツッコミを入れる。いやでも、嬉しい。聞いてくれた人が目の前にいて、褒めてくれるとは。こそばゆいけど、俺がずっと求めてたものだ。それに。
「ほんと、ミナはいつもすげーんだよ。曲作りのために俺らのこと観察してくれたりな」
「監視の間違いじゃないか? 時々無言でスマホ構えて動画とか写真撮ってるぞ」
「マジかよ知らない。俺変なことしてねーかな」
「安心しろ、トウマはいつもおかしい」
なんでだよ! 彼女たちは笑ってくれたからまあ、いいけどよ。ジョッキを見下ろす。泡はだいぶ、消えてしまった。
「けど、俺はミナが作ってくれてホントに嬉しかったんだよ。いつもは社会なんて蹴っ飛ばせみたいな曲しか作らねぇのに、ハルのも繊細な音でまとめてるしさ。本当、アイツと組めて良かった。ミナが書いて、ZOOLで歌う曲、全部俺の宝物だよ」
「凄いなぁ、私も巳波さんとお話してみたいです」
「おっ、じゃあ今度誘ってみるよ。多分……嫌がらないと思う。人見知り……ぽくはないし」
「本当ですか! 楽しみです。私巳波さんの出てるドラマ毎週見てるんですよー」
「そっか、伝えとく。喜ぶと思うぜ」
わぁ、ありがとうございますって彼女たちは嬉しそうに笑った。俺も嬉しいよ。自分のメンバーが褒められてるの、誇らしいもんな。
ここにいないミナとハルの話で盛り上がりながら、店を後にする。まあそろそろ帰らないと、彼女たちも帰り道あるしな。駅までは送ってやらないと。音楽の話になると俺もよく喋っちまうから、話は尽きない。
「……おいトウマ」
「お? どうしたトラ」
不意に小声で話しかけたトラを見やる。薄く笑みを浮かべたトラが、ぽんと肩に手を置いた。
「巳波が見てる」
「へ?」
視線で促された正面に、人の姿。ガードレール越しに車のヘッドライトが照らした姿は、紛れもなく俺もよく知ってるミナで。
「っ……!」
さっと血の気が引いた。まず、い。ここで出くわしたのはまずい!
理由も分からず、話をぶち切る状態で俺は駆け出した。駆け出したっていうか逃げた。逃げなきゃいけないと思った。違う。見られてはいけないと。
頭の中でやばいという言葉だけが反響して、俺はその場から逃げ出した。
◆
楽しかったはずなのに俺は何で逃げた? 彼女たち、ミナと話してみたいって言ってたんだから、むしろミナと挨拶して今度の約束すれば良かったのに、俺は逃げた。見られたらまずいって直感的に思って逃げた。
何で。どうして逃げたんだ。見られたらまずいって、何がまずいんだよ。自分に聞いても答えがなくて、他人になんてもっと答えが分かるはずない。
「……取り敢えず、彼女たちは駅まで送ってきてやったぞ。感謝しろ。ついでにラビチャ交換したが要るか?」
「要らねぇ……」
「まぁそうだな。その方がいい。お前は巳波を吊るためのステップ程度の扱いだからな」
「やっぱ俺はそういう役回りだよなぁ……どうせモテねぇ……抱かれたい男ランキング外はそういうもんだからなぁ」
「おい……悪酔いするぞ」
呆れた顔をして、トラが狭い個室の椅子に収まる。お前俺より背が高いし、狭いよな、ごめんな。お通しの枝豆を一つだけかじって机に突っ伏した。
「……安酒で悪い……」
「いやトウマに払わせるからこれくらいじゃないと無理だろう。許してやる。大衆居酒屋の味にも慣れてきたしな。生ビールだけはメニューの信頼性がある」
「何だよそれ……ウケる」
ちょっと笑っちまった。本当、トラには迷惑かけた。何でか逃げた俺は我に返ったら自販機の前で蹲ってたし、トラから電話をもらって、別の深夜営業やってる居酒屋へ入った。トラが送ってくれたほうが嬉しかっただろうけども、急に逃げた事に関しては彼女たちには悪いことした……。ため息が出る。
「なぁトラぁ」
「話を聞いてやらないこともない」
「聞いてくれるからここに付き合ってくれてんだろ。お前良いやつだよなぁ」
「放っておいてお前の大嫌いな週刊誌ネタにされたら俺も困るからな」
確かに路上で職質されたりしたら、ZOOLとしてカッコ悪いもんな。本当、トラは良いやつだ。のろのろ顔を上げて、トラが注文しておいてくれたビールを飲む。良い感じに苦い。いつも通りの味がする。
「何で俺逃げたんだと思う」
「巳波に見られたくなかったんだろ。女といるの」
「うん。軽蔑されるかと思ったんだよ……前にさ、俺は今はアイドル頑張るから女は要らないって言ってたんだよ。なのにさぁ」
「は? そっちか?」
「それも理由のひとつ……」
トラにはため息をつかれた。情けなくて、ついでに恥ずかしさも相まってぐしゃぐしゃと髪を掻き毟る。
「……俺、おかしいか……? いやおかしいよな……」
「元々トウマは変だ。安心しろ」
「はは、そっか。……うん、そうかもしんね。……あー、くそ、涙出る……トラが珍しく優しくするからだぞ……」
「俺はいつでも顔が良くて優しい。……フラレたらまた慰めてやるさ」
うん。余計な一言で笑っちまうけど、それはトラなりの冗談のつもりなんだろうな。
自覚するとめちゃめちゃ怖いから、多分俺は目を背けてた。好きは簡単に裏返って興味のない存在になる。俺はそれが一番怖い。ミナからの興味が消えてしまったら、無価値になるんじゃないかって気持ちが膨らんで、何もかも逃げたくなる。
みっともない。相手に存在を肯定してもらえなきゃ好きすら自分で認めたくないなんて、本当俺は情けない。
「フラレたらどうしよ……」
「このタイミングで解散されるのは困るから仲裁には入ってやるよ。メンバーとして、切り分けは出来るだろう。巳波はもちろん、トウマも」
「たぶん」
「……それよりトウマは、今さっき逃げ出した言い訳をちゃんと考えた方がいいぞ」
「うわぁぁぁ……そうだった、ヤバイどうしよまじで……」
あれってだいぶマズイ態度だよな? 気付かれてないとは思えない。トラは認識してた距離なんだから、ミナだってきっと見えてた。冷や汗が流れる。
今、この瞬間に謝罪連絡を入れるべきか? でも何て言えば? ミナに勘違いされるのが怖くて逃げたって? それってつまり告白だろ? む、無理だろ……。
助けを求めてトラを見やると、トラは肩を竦めた。
「……まあ、言い訳は自分で考えろ」
「そこは助けてくれねぇんだな?!」
「俺の問題じゃないからな。……それより、一つ覚えておけ」
ぴ、とトラが人差し指を立てる。指揮者のような振る舞いに思わず背筋を伸ばした。
「……巳波に告白したところで、真っ直ぐな答えは絶対に返さない。あれはそういうタイプだ。あいつの気持ちを聞いても、逆にどう思います? って、言うだろうな」
「い、言いそう……」
「だが、イエスは言わなくてもノーは言う。だから、ノーを突きつけられない限りはそれは肯定だ。それだけは忘れるな」
「わかっ……た」
「あとは俺と悠の直感が外れてないことと、トウマの言い回しが下手じゃないことだけを祈れ」
言葉選びは自信ねーな。でも、なんだか、少し安心した。トラは味方でいてくれるんだな。嫌な顔されるかと思った。ついほっとして、笑みをこぼす。トラは眉間に皺を寄せたが。
「なんだ、その顔は。追い詰められすぎておかしくなったか?」
「ちげーよ。……気持ち悪いって言われるかと思ったんだ」
「あぁ……、まあ、俺は女にしか興味はないが……良いんじゃないか。好きになった相手がたまたま巳波だっただけだろう。あれは面倒くさくて俺は嫌だが……トウマが幸せになれる相手だと思うなら、俺は祝福してやるさ。面倒事は持ち込むなよ」
「……めっちゃカッコイイこと言うな……」
コイツがモテるの、分かる気がしてきたよ。余計な一言さえなければ、もっといい。結局始発まで飲んでトラとは別れた。
朝日がビル街を光で照らす。冷たい冬の空気に、吐いた白い息がすぐに溶けて消えた。
といって、俺が急にトラや八乙女みたいな自分に自信のある存在になれるわけもなく、手野平の汗を握りしめて仕事に向かった。
雑誌のインタビュー。ミナと二人の仕事だ。意識したら何も話せなくなりそうで必死に話題を探しながらやってきたのに、取材の控室へとあっという間に通される。も、もっと時間が欲しかった。
「おはようございます、狗丸さん。取り敢えず座ったらいかがですか?」
「お、おう。おはよ……ミナ」
普段と同じ声と笑顔で促される。おこ、怒ってない……のか? 一昨日逃げだしたこと、ネチネチと怒られる覚悟で来たんだけど。もちろん言い訳は完成してない。もしかして、本当に気付いてなかった……か?
答えなんて分かるわけもなく、とりあえず空いた席に座る。L字型。ギリギリ顔色が伺えるレベル。纏った空気はいつもと変わらないから……本当に、気付いてないのかも、だな? いやミナの事だから、俺の変な行動なんてどうでもいいのかもしれねーけど。
……そう思ったら、急に胸が痛い。どうでもいいのは、嫌だ。せめてメンバーとしては、思っていることは言ってほしい。如何していいかわからなくて、スマホを睨んでいた。
トラ、今日はモデルの仕事だっけ? 助けて欲しいんだけど、返事くれる……かな。いや、自力で乗り切れって無視されそう……。どうしよう。どうしたらいいんだ。せめて何か話題を。こんな気持ちのまま取材は嫌だ。そうだ、先に謝ってしまえば。気付いてなかったなら、笑って誤魔化せばいいんじゃねぇか? よし!
気を引き締めて顔を上げる。こちらを見ていたミナと、視線がぶつかった。不安そうな顔をしているミナに、ぎくりと背筋が強張る。
「……な、何だ?」
「ああ、いえ。いつもなら音楽聞いているのに珍しいなと」
柔らかく微笑んで、ミナは耳に髪をかけた。いつから、見てた? 声かけてくれたら良かったのに。てか音楽。そうだ俺いつもならミナの曲聞いてた。何してんだ、俺。明らかにおかしいじゃんか。手のひらの汗が、やば、い。
「ちょっとな、ええっと、今日はイヤホン忘れて」
「あらそうなんですか。お貸ししましょうか? 変換アダプタも、確か持っていたと思いますので」
「い?! いや、い、大丈夫! あっ、鞄の底にあったかもな?!」
声、裏返ったぁ! おかしいだろ。嘘ついてるのバレる。イヤホンはポケットの中にちゃんとあるよ。変な嘘重ねたら、俺自分で墓穴掘るぞ。なんとか持ち直さないと。嫌な空気になることだけは、避けないと。
俺が言葉を探している間に、ふっとミナは小さく笑った。
「私の曲、飽きました?」
「は?!」
唐突な発言に、素っ頓狂な声を上げる。いや、なんで、どうしてそうなるんだ。
ミナは笑ってたけど、お前そういうの一番嫌がるじゃんか。俺に気を使うな。やめてくれ。そんな顔は、させたくねえんだよ。なのに言葉が出なくて、ミナは笑みを微塵も崩さない。
「良いんですよ。いつかは熱は冷めるものです。私のだけを聞いていて欲しいなんてそんな束縛しませんよ」
そう言って穏やかな笑みを残してミナは顔を伏せた。
ぞっとした。その顔、知ってる。役者の、棗巳波だ。最近じゃ見せなくなった、何もかも拒否するときのミナだ。ZOOLといる時は見せなくなった、ハリネズミみたいなミナ。
俺なんか要らないって、言われた気がした。痛い。心臓も腹も指先まで恐怖が針みたいに刺さる。でもそれよりきっと、ミナは痛い。
何を言えばいい? 違う。なんて言えば、伝わるんだ。俺は、俺がしたいことは一つなんだよ、ミナ。ミナは嫌がるかもしれない。それでも。
「俺はミナの曲ずっと歌ってやるよ」
俺個人のことなんて興味なくてもいい。でも、俺はどんな形になったって、メンバーとしてミナを尊敬し続けられる自信はあるんだ。それだけは、分かってくれ。
歌ってやるなんて偉そうだよな。違うよ、歌わせてくれ。それでいい。俺はミナの曲が好きだから、ずっと歌いてぇんだよ。そんな重たいこと言って困らせるのも、出来ない。俺は自分に自信がないから、無理なんだ。
なのに気持ちだけは強い。手のひらを握り締める。
「狗丸……さん?」
不思議そうな顔をして、ミナは首を傾げる。なぁ、俺これからお前を困らせること言うかもしれないけど。聞いてくれ。伝えたいことだけ、言わせてくれ。
一度つばを飲み込む。取材する空気じゃなくなったらすんません、担当さん。
「……俺は、何年経っても、踊れなくなっても……ZOOLを、解散しても、誰もファンがいなくなっても。……俺はミナのために、俺の好きなミナの曲をずっと歌うよ」
言っちまった。頭がガンガンする。熱でもあるみたいに顔が熱い。言っててわかる。重い。何だよ。俺こんなこと言われたら引く自信あるわ。なのに、どっか胸はすっきりした。あぁもういいや、きっぱり面倒くさい重いって嫌な顔するか笑ってくれ……。
なのにミナは真面目な顔を崩さない。真剣に聞いてる。恥ずかしい俺の気持ちをちゃんと受け止めようとしてくれてた。
ほんの十秒ほどの沈黙を置いて、ミナが口を開く。
「狗丸さんの好きな曲って……何ですか」
あ、伝わってない。言い方を思いっきりミスった。間違ってないけど、違う。違うんだよミナ。好きなのは、曲じゃなくて、曲作ってるミナ自身だよ……。トラ、俺やっぱ言葉選び下手だ。自分で笑っちまいそう……。
でも、答えないと。ミナは答えを待ってたから。だから、もうはっきり言おう。その方が、俺も……吹っ切れるだろ。
「……えっと」
「はい」
ちゃんと聞きますよって感じで、ミナは頷く。また怖気づきそうな俺が顔を出したけど、振り切る。この想いはきっと今しか、言えない。
「俺は……ミナの曲、その、全部好きだし。つまり、そのだな。……み、ミナがす……好き、だ」
強気でいつもバカみたいに元気な俺はどこいったんだよって自分でも思う。でも、恐怖が足を引っ張る。嫌い。興味ない。勘違いしないで。そんな言葉を叩きつけられたら、俺いつもどおりでいられる自信なんてねぇよ。心臓が口から、いやそれだけじゃなくて耳から目から何かが飛び出そうだし、返事を聞くのも怖い。ていうか、こんな取材前の控室でする話じゃない。自分に嫌気がするな、本当に。
「……永遠なんて誓わなくて、結構です」
ぽつ、とミナが言う。俺は慌てて顔を上げた。
「ただ、今の曲を、今の私を見て……ください。曲は、私そのものです。私が一番伝えたいことが、そこにあります」
「ミナ……」
「だから、見ていて、くれますか。今の私を、これからの私を。……狗丸さんの好きな私の、曲を、見てて、ください」
えと、ごめんな。俺頭悪いから、それは答えとしてどういう意味か分かんねぇ。ミナが言いたいことは、曲にあって、それで見てて欲しい……って、意味か? 俺はミナを好きでいて良いってこと……ではあるのか? うん? ええと。
ふと、トラの言葉を思い出す。イエスは言わないけど、ノーは言う。だから、ノーでなければ肯定だと。
俺がミナを好きなのは伝えた。それに対するノーはない。だから……嫌ではない、はず。なら、俺がどういう気持ちでいるか知った上で誘うのは、どういう意味か、分かる、よな?
「……帰りに、ラーメン行くか」
恐る恐る口にする。それは、必死の気持ちで所謂デートに誘うのと同じで。ミナは若干目を伏せて、広げていた台本の上の手を握り直した。
「……仕方ないので付き合って、あげます」
あ、断られなかった。てことは、良いのか。そういうことで、いいのか。俺の気持ちは……受け取ってくれるって、ことか。
「くくっ……そっか、うん」
安心したら、笑ってしまった。ミナは不審そうな顔したけど、お前の言い方が悪い。
狗丸さんの好きな私の曲。俺への仕返しみたいな言い方だ。そうだよ。俺はミナが好きなんだ。それをちゃんと見てて欲しいって、そういう意味だよな。
立ち上がって、スマホを片手にパイプ椅子をミナの右隣まで引っ張る。隣に座ったら、ミナはさっと身を引いた。そんな緊張した顔するなよ。いつもと少し違って、笑っちまうだろ。
「……ホント分かりづれえ。トラの言うとおりだ」
「はぁ……」
「ミナに告ってもノーはあってもイエスは絶対言わねぇから、拒否されなけりゃオーケーだって思えって言われてたんだ」
それが無かったら、俺心折れてたかもしれないけど。答えの意味がわからなくて途方に暮れてた自信はあるな。ミナは怪訝そうな顔をしたけど、そういやミナは凄い変なところで意地っ張りなんだよな。
……好きで、いいんだ。でも、ミナは本当に、いいのか。やっぱりすぐに気弱な俺が顔を出してしまうから。だから、さ。
「……ほらよ」
ポケットに仕舞っていたイヤホンを取り出して、スマホに繋ぐ。そうしてイヤホンの左側の方を、ミナに差し出した。困惑した視線を向けたミナに、俺は笑みを向けた。
「……付き合うって事でいいなら、一緒に時間待ちまで聞こうぜ。あ、ごめん今Re:valeのアルバムなんだけどさ」
「狗丸さん……」
ここは、ZOOLの曲なら締まりがあるのにな。ごめんな、俺そういうところ、いつもタイミング悪いし、カッコつけきらねぇんだよ。震えそうな指先を、気付かれたくないし。
「……俺、はっきり聞かねぇと怖いんだ。ごめんな」
曖昧にして、違うのが怖いんだ。はっきりさせたくないから誤魔化したんだとしたら、ミナには酷なことを強いてるのは分かってた。でも、言葉じゃないならせめて行動で聞きたい。何かが欲しいわけじゃないんだ。ただ、好きでいたくて、好きで居てくれると確認したい。トラに言ったら女々しいと笑われそうだけど、俺はそういうやつだから。
ミナは唇を真一文字に引き結んで、数秒何も動かなかった。そうだよな。そういうのは、嫌、だよな。
ごめんなって言って手を引っ込めようとして、ミナの手が動く。思わず目を見張って、息を忘れた。それって、意味分かってるか、ミナ。耳が、痛くなる。心臓がうるさ過ぎる。
スローモーションに見えたのか、本当に遅いのか分からないけど、ミナの震えた指先が俺の左手の指先を掠めてイヤホンを取った。
瞬間、目頭が熱くなって右手で顔を覆って天井を仰ぐ。無理、緊張と安心と嬉しいのとで泣きそう。俺頑張った。頑張ったよ、トラ。女々しいことしたけど、ちゃんと答え聞けたんだ。
「い、狗丸さん?」
「ごめ……嬉しい……すっげー恥ずかしい上にめちゃめちゃ嬉しい……」
心配か困惑の滲んだミナの声に、素直な気持ちを返す。ホントに、死にそうなくらい怖くて不安だったんだよ。ありがとうって喉まで溢れてむしろ渋滞して出て来ない。カッコ悪いやつで、本当にごめんな。
「……もう」
でも、ミナは笑った。俺らしいって感じで。深呼吸して視線を落とす。ミナは黙ってイヤホンをはめ、俺を視線で促した。
「な、なんか照れくさいな」
「ご自分で言ったんでしょう? ……この間脱兎の如く逃げましたし」
「うえ、やっぱ見えてた? 見えてたのか? ああ、あのな、あれはな」
「言い訳は結構です。……早く、音楽を流して」
あ、はい。そうだった。俺がそうしようって誘ったんだ。慌てて再生させる。Re:valeが流れ出した。まじ、俺空気読めないやつみたいだな……猛省する。
「……もう、あんなこと、しないでください」
「へ……」
「先日夜にお会いした時、逃げ出したことです。嫌われたのかと思いました」
「あ……ご、ごめんな。違うんだ。いや、言い訳はよくねぇよな。……うん」
「もういいです。……ラーメン、ちゃんと、付き合ってくださいね」
怒って……はなさそうな顔してるな。耳元では王者の声がする。今でも憧れてやまないトップアイドルの声が。いつか俺達も、そこに追い付けるといいよな。
「狗丸さん」
視線を向ける、ミナは俯いていて、髪で表情は隠れてしまっていた。あれ。いつもこっち側は髪を耳に掛けてたはずだけど。
「……よろしく、おねがい……します」
「ミナ……、うん。よろしくな」
他人から見たら、今更何をって話かもしれないけど。でも俺達にとっては今日がまた違う始まりなんだ。取材担当の人は、俺とミナを見て仲いいですねー! と笑ってくれた。
俺達は運命共同体のZOOLで、ついでに今日からはもう一歩だけ、違うんだ。これから、どうなるかはわからないけどさ。
帰りにラーメンを食べて、詫びも込めて奢ってやった。手も繋がない帰り道は、関係性が変わったのなんて幻だったんじゃないかって思ったけど、いつもより五センチくらい近くを歩いてくれたから、それでいい。
ろくに自分の好きも自信持って叩き付けられない俺達は、ゆっくり歩いていけばいいよな。
エピローグ 二センチの勇気
年末年始は忙し過ぎて、地味にミナと二人で出掛けたり過ごしたりなんてことは出来てなかった。ブラホワに正月特番にとそもそもプライベートがない。いやそもそも……嫌ですとか言われたら傷付くんだよな……結局勇気がやっぱり足りなくて。でも。
声をかけるのは断られるのが怖いから、とミナが言ったのが地味に響いた。本当、俺達はいつも臆病すぎるんだよな。だから、初詣全員で行こうって約束すらまともに果たせてなかった。
人が溢れた境内の屋台通りは、久々に仕事を忘れられる空気だった。
「狗丸さん」
「ん?」
隣りに居たミナが、不意に声をかける。悪戯を思いついた子どもみたいな珍しい笑顔を向けられた。流石にドキッとした。
「りんご飴、買って」
「めっちゃ甘えた声出したな?!」
天才子役棗巳波をこんな所で炸裂させるなよ。びっくりするだろ! ハルはオレもーと、便乗したけどたかる相手が間違ってんぞ。まあ、カード使えなくて俺が払ったけど。ああZOOLだなって感じはしみじみした。
「ほらよ」
「ありがとうございます。……ふふ」
「どした?」
「いえ。……初めて狗丸さんに甘えてみました」
そういや、そうかもな。改めて認識するとなんか、くすぐったい。本当はもっと俺はミナに構ってやるべきなんだろうけど、そういう割り振りが苦手で申し訳無さはある。
「まあ、役者の顔したのでノーカンとしておいてくださいね」
「な、なるほど?」
「そのうち。……勇気が集まったら、何かお願いさせてもらいますから」
「……うん」
それは俺もだ。勇気って、いくらあってもすぐ使い切っちまうもんな。りんご飴を上手に食べ切るくらい、手間も慎重さも必要な話だ。
いつか、ミナが言っていた言葉を思い出す。
――どんなに大事にしていたって、大事にしてくれるとは限らない。メンバーだろうと、友人だろうと他人です。同じ熱量で何かを愛したりしない。
そうかもなって、今は素直に受け止められる。分かってても、あの時は半分意地で俺はZOOLが好きだって言ってた。今は、もっとZOOLが好きだから、そんな安っぽく言うなってあのときの自分を蹴りたい。
俺は今ミナが好きで、ミナも好きで居てくれてる。けど、それも永遠には続かないかもしれない。でも、関係が変わっても残るものは、きっとあると思うんだよ。
少なくとも、いつか俺とミナが向かおうとする道が別になっても、残るものを俺はひとつだけ知ってるから。
ボイトレが終わって帰宅する道すがら、久しぶりにEndlessのサンプルを流す。恥ずかしいからあんまり聞くなってミナには止められてんだけど、俺はこれが一番の宝物なんだから許してほしい。マンションのエレベーターを降りて、小さく鼻歌を歌いつつ自宅の方へと角を曲がる。
「……ったく」
また今日も連絡一つ寄越さずに黙って扉の前にいる姿を見つける。
来るな何て言うわけねーのに、やっぱり断れるのが怖くて勝手に来ちまうんだろうな、ミナは。俺のための歌を作ってくれた、変なところで弱気な俺の大事なミナは、俺を見つけると一瞬前まで心細そうな顔をしていたくせに、嬉しそうに微笑んだ。