第十三話 命と罪の清算

 クヴァルの聖印を、破棄した。アルムの言葉通り、クヴァルの聖印は消えていた。それはつまり、アルムの呪いから身を守るすべを失ったことになる。リーベルも唖然と立ち尽くしていた。カバネは目を細める。無茶をする、と。

「どうして、何でそんなことを?! これがどういう意味か、君は分っているのか?!」

「言ったはずだ、クヴァル。私は天子を終える。だから、クヴァルの役目は終わりだ。ナーヴに今まで身と祈りを捧げてくれてありがとう」

「違う、そんなことは分かって……!」

「待って、クヴァル。違う。アルムが言っているのはそういう事じゃないんだ」

 制止に入ったクオンを、クヴァルが救いを求めるように見やる。無理もない。それがあるからこそ、クヴァルはアルムのそばに居る自分を保ってきたのだから。信頼関係やそんなものではない。呪いは、目に見えないものさえ生命の終わりとして破壊する。

 すっと膝をついて、クオンは困ったようにアルムに微笑んだ。

「……クヴァルで試さなくても良かったんじゃない?」

「でも、クヴァルの聖印は早く解かなければ。だって、これでは安心してアークへ向かえないだろう」

「アルム、たまに説明しないで行動するからびっくりするよ。……でも、ありがとう。お陰で僕も、気持ちが固まった」

 すっとクオンが顔を上げる。その表情は、確信を得ていた。

「……さぁ、リーベル。これで時間は無くなった。……僕達の紡いできた呪いの最後のステージへ、進もうか」

 

 リベリオン本部に戻り、クウラとロイエに事の顛末を説明し終えると、二人して大きくため息をついた。

「ねぇ……リーベルさぁ……僕には楽なポジションを用意してくれるんじゃなかったの……」

「いやていうか、時間なさすぎるだろ。おい。平穏に過ごしたとして、坊ちゃんを置いといて平気な時間ってどれくらいなんだ」

「ロイエのポジションについては、地上でのものだけ保証した。アルムに関してはカバネがひと月は大丈夫だろうと言っていた」

 淡々と返したリーベルに対して、クウラは頭を抱え、ロイエはげんなりとした顔で椅子に脱力した。アルムとしては苦笑いしか出てこない。それもこれも、アルムの行動の果てだ。後悔はない。待っていても、こちらが不利になるのは目に見えていたのだから。

「お、なんだ、帰っていたのか。早速会議か?」

「おかえり、ライデン。うん、そうだ。会議だ。アークに乗り込む作戦を今からクウラに考えてもらうところだ」

「すぐ思いつかないから! 状況は分かった。戦力は集める。作戦も考える。ただ時間はくれ。一ヶ月。いや作戦だけは二週間でやってやる」

「なら、俺は訓練でもさせるか。……だいぶリベリオンにも人は増えたが、練度にはばらつきもあるからな。クヴァル、手伝ってもらうぞ」

「……ああ、分かった」

 珍しく素直に受け入れたクヴァルを、クウラが目を丸くして見やった。まだショックが抜けきっていないらしい。アルムとしては申し訳ない気持ちもあるが、これでクヴァルは聖印に縛られずにいられる。それは、天子もナーヴ教会も失った後で、必ず意味を成す。少なくともアルムはそう信じて聖印を破棄した。

「作戦会議となると、頭を使うな。自分には無理だ。退散する」

「私も邪魔になるだろうから、出ているな。作戦が決まったらちゃんと私にも教えてくれ」

「分かってる分かってる……ああ……、ストレスがたまるな……」

 ぶつぶつと文句を怨嗟のごとく吐くクウラに苦笑いを残してアルムはライデンと会議室を後にした。ここに来たのも、久しぶりだ。懐かしく感じてしまう。

「そうだアルム。無事に目覚めて良かったな」

「ああ、うん。クオンに助けてもらったんだ。すごくすごく、色々あった。私は四年に一回しか時間が動かなかったのに、一気に千年分の時間を飲み込んでしまったんだから、すごいんだ」

「アルムの言ってる事は難しいな! 自分には分からん」

「えーとな、もうすぐ、全部終わるんだ。いや終わらせる。そう思ったら、私は今最高にやる気に満ちている。つまり、テンションがあがってる」

「……そうか。良い事だ。自分も、力を貸そう。難しい事は分からんが、アルムは今とても良い顔をしている。それなら、良い未来が待っているだろうからな」

「うん。力を貸してくれ、ライデン。頼りにしている」

 アルムは一人では世界を変えられない。分かっているからこそ、助けを求める事を躊躇しない。願いは口にしなければ、届かないのだから。

――願いを口に出すことを恐れないで。

 エーテルネーアの言葉を胸に繰り返し思い出す。最初から答えは全て、エーテルネーアから教わっていた。

 

 久しぶりの地下だった。まだ戻る予定ではなかったはずなのだが、カバネとクオンが戻ることを決めた。リベリオンと協力してアークへ向かうための準備の為だろうと、フーガは思っていたが。

「……とりあえず、久しぶりに四人でお茶にしようか」

「あ、じゃあ俺準備するッスね。オルカからちょっと良い葉を貰ったんすよ」

「うん、お願いしようかな」

 コノエに任せて、慣れた談話室のソファに座る。中の綿はほとんど潰れた、座り心地の悪い慣れた感覚に、フーガはつい笑みをこぼす。

「どうかした、フーガ」

「あーうん。……僕もここが、やっと帰ってきたなって、感じるようになったんだなって」

「……もう、三年になるからな、お前がここにきて」

「うん。……本当、最初は……笑えないな」

 壊れて、その勢いで三人を殺した。正確には殺せなかったけれども、撃った。迷いなんてものは持っていなかった自分が今では恐ろしい。見上げた天井には、少し留守にしていたせいか蜘蛛の巣が張っていた。掃除をしないといけない。

「……アルム、やっと天子から終われるんだ。……良かった。ほんとに、良かった」

「うん。……だから、僕達も急がないといけないんだ」

「え、そうなのか……?」

 神妙な顔をして、クオンが頷く。その隣にいたカバネも、表情が硬い気がした。指先から、緊張感が忍び寄る。早く、コノエに戻ってきて欲しい。

「……フーガが来て、風が吹いた。そうして、僕達は終わることを願って、生き直しを始めたんだ」

 不意に切り出したクオンにフーガは顔を上げた。薄く微笑んだクオンは、出会った頃よりも柔らかい笑みを見せるようになったと、ふと思う。

「だから、この三年間、ずっと考え続けた。理解できないかもしれないけど、聞いて欲しい」

「う、うん」

「天子の呪いを、僕達は消そうとした。消すために、反対の力を加えた。そう、ナーヴの聖印を、呪術を解析して。ナーヴの呪術は基本的には方向性の操作だ。無理もない。僕達は、天子の呪いはナーヴが作り出したものだと思っていたから。それを間違えていたから、答えを間違えたんだ」

「……そ、そうなんだ」

 正直、説明されても微塵も分からなかった。フーガには呪術が縁遠すぎる。だがわざわざフーガに話すのには、理由がある。遮断するわけにはいかなかった。

 頭だけは何とか回して、フーガなりに理解しようとする。

「えーと……間違えたから、死ななくなった? 反対……、あ、人を殺す方から、自分が死ななくなる……?」

「うん、そう。……あの時に僕は思ってたんだ。自分のせいで、人を殺したくはない。僕はずっと、カバネやコノエと生きていたいって」

 それは、別に悪い事ではない。フーガだって、今が続けばいいと思っているくらいだ。世界なんて、正直どうでもよかった。幸せを願うことが罪のように、何故クオンが言うのか分からない。

 ふと腕を組んだまま動かなかったカバネが、口を開く。

「言霊」

「こと……だま?」

「そうだ。俺の祖国でも、それはあった。呪術ほど明確な力を持つものではなかったがな。言葉は力になる。力を持つものが紡いだ言葉は、呪術の印のように効力を持つ。……多分、その結果が、これだ」

「……そんなことが、出来るんだ」

 素直に感動した。願いを口にするだけで実現が出来るなど。だが、ふと気づいた。

「え? じゃあもう普通に生きたいですって願えばいいんじゃないの」

「それは出来ないんだ。何度も試した。でも、一度決められたベクトルは、簡単には変えられない。多分、根源の力が大きすぎるんだ。僕の呪いを維持しているのは、天子のそれと同じ根源だ。根っこは変わらない。……だから、天子の呪いを消せば、根源を失くせば、僕らの呪いも終わる」

「アルムが解放されたら、クオン達も解放されるって事? えっ、じゃあ全部解決するのか?」

「……無理だよ、フーガ。僕達は多分、その瞬間にとっくに期限の切れてる肉体が壊れる。死ぬ」

 ひゅ、と喉が鳴った。死ぬ? 今、クオンの口から死ぬという言葉が出た?

 言葉を失くしたフーガに、クオンは寂しく微笑む。その笑みが、苦しい。

「……ごめんね。やっと見つけたこの呪いを終わらせる方法では、フーガとは、そこから先の未来で一緒に居られない」

「あや、謝んなくて、いいよ。……言ったじゃん、最初に。そういう、こと……あるかもって、僕は平気って」

 口では何とか言葉が出る。だが、手のひらには汗が滲んだ。覚悟をしていたはずだった。でも、ちっとも覚悟などできていなかったことを痛感する。

「今、終わらせなければ、いいじゃないッスか」

「コノエ」

 やっとお茶を入れ終えて戻ってきたコノエを見やる。カップを並べ、フーガの隣に座った瞬間、耐えきれない不安で手を掴んだ。コノエは一瞬驚いた顔をしたものの、すぐに苦笑いを浮かべた。

「……言えばいーんすよ。何我慢してるんすか、フーガらしくない」

「だ、って。僕だって、知ってる。みんな、もう終わりたいんだって、知ってる。それを僕の我が儘で嫌だとか、おかしいだろ。天子の呪いはない方が、良いに決まってて。アルムだって、もう嫌じゃんか」

「フーガはそれでいいんすね?」

「い、嫌に決まってんだろ! なんでそんな意地悪言うんだよ……」

「アークへ行かないだけで良いんすから、止めるのは簡単ッスよ。エレベーター破壊すれば」

「め、滅茶苦茶言ってる。いいの、コノエこんな事言ってるけど」

 恐る恐るカバネとクオンに確認する。二人は顔を見合わせて、神妙な顔で頷いていた。少し様子が、変だった。

「……フーガ、お前は、まだコノエと生きたいと思うのだろう」

「え、う……うん」

「なら、一つだけ方法を見つけた。……簡単な話だ。もう一度、呪いを作ればいい。幸いと、俺達はナーヴの呪術の法則はおおよそ理解した。術式は、構築できる。それはずっと気付いてた。だから、根源を探していた。力の発生点を」

「そ、そうなのか? え、じゃ、じゃあそうしようって?! 僕に出来ることがあるなら、何でも手伝うから、だから」

「お前の命を使う」

 淀みなくカバネが告げた。ぽかんとする。命を使うって、どういう。

「カバネさん、何言ってるん……です」

「俺達にはもう、消費できる命が残ってない。クオンが、ナーヴのトップの言葉で気付いた。アルムの中にある血には、生きるという力が詰まっていて、本来それは人間誰しも持っていたもの。つまるところ、命そのものだ。根源にも全ては人間の命が残っている。十二地区の大穴がその証明だ」

「……僕の命を使えば、天子の呪いが消えた後も、生きられるのか?」

「フーガ!」

 鋭く牽制するように名を呼んだコノエに、フーガは目を向ける。何を、怒ることがあるのか分からない。

「コノエだって、生きたいだろ」

「それはっ……でも、俺はそうまでして生きたいわけじゃ」

「僕は生きて欲しい。……そもそも、やっぱ無理だよ。僕は弱いから、コノエがいない未来は、今は歩けない」

「……俺は、フーガを犠牲にするくらいなら、死んだ方がマシッスよ」

 言い切って、コノエは席を立った。引き止めようとして伸ばしたフーガの手は虚空を掴む。追いかけることを拒む背中が、哀しかった。

 ぽす、と力なくソファの背もたれを拳で叩く。

「何でだよ。コノエ、わかんないよ」

「……心配なんだよ。自分のせいで、誰かが死ぬのは嫌なんだ。僕もその気持ちは、分かるよ」

「カバネやクオンの事だから、引き換えに僕が死ぬわけじゃないだろ?」

「理論的にはね。……フーガが負荷に耐えられるかは、分からない。多分、こんなものは、誰も試したことがないから」

「……じゃあ大丈夫。僕は意外としぶといから。……コノエの事は、僕が説得するから。だから、準備は任せた」

「お前は、怖くないのか?」

 カバネの問いに、フーガは迷わず頷いて笑みを向けた。

「僕は、まだ死なないって、誰よりも強く信じてるから」

 

 アークへの抵抗組織として、リベリオンは随分と規模を大きくしていた。侵攻を退ける力も大きいが、リーベルに期待を寄せて参加を決める者も多いのだと言う。彼らの瞳には、アークを打ち倒し地上へ勝利をもたらす理想のヒーローなのだろう。

 そのリーベルが目指す形に付き合わされるのは、ロイエとしては予想の範囲内であり、避けたい道でもあった。やっと慣れて来た独特な香りが抜けないコーヒーを流し込み、ため息を一つ。

「あーあー、もう本当に……僕は中間管理職も責任者も嫌なんだって、百万回くらい言ったと思うんだけど」

「そんなに言っていたか? 毎秒ごとに聞かないと到達していなさそうだな。そもそも自分は途中で数えるのを諦めそうだが」

「……まぁ、そこで路頭に迷って頭抱えている元部下見てると、往く道が決められてるのは楽なのかなとも思うけど」

「迷ってません」

 ぴしゃりと否定したが、クヴァルの表情は晴れないままだった。聖印を破棄され、アルムの傍にいる免罪符を失ったクヴァルはずっと考え込んでいる様子だった。

 アルムと出会ってからは全てアルムに捧げて来たクヴァルだけに、いきなり放り出されて困るのも分かるが。……アルムはそれすら分かっていたのかもしれない。何も知らない純粋無垢な少年は、何も考えていないわけではないのだ。クヴァルが思うよりも自立している。

「“ナーヴに今まで身と祈りを捧げてくれてありがとう”。……少し言い方は違うけれど、それは確か、ナーヴ式の葬送の祝詞じゃなかったっけ」

「……そうです。聖印の加護の終焉を告げるものですよ」

「つまりそれで聖印の破棄とするわけか。すごいね。たとえその身を大衆の前にさらすことはなくとも、祝詞は覚えているわけだ。……エーテルネーアの教育かな」

「アルムは言ってました。ナーヴの教えは、全部覚えている。でもそれは全て無駄じゃない。本当のことを理解した今ならそれが呪術回路そのものだって言う事が分かるし、分かるからこそ行使できると」

「じゃあクヴァルだって知っているのだから、呪術回路と言うものを駆使できるんじゃないの」

「……かもしれません。でも、半信半疑な俺では無理なんでしょう」

 そういうものか。もっともロイエはもっと信じていない。天子の呪いさえ疑っている。そういうものだ。奇跡など、まともに考えたことがない。

 アークの裏側には、ナーヴ教会の隠し続けた奇跡の正体があるという。機械仕掛けの食品生産場。あんな高高度で自然が何もない状態で、物資が供給されてきた事自体が疑って然るべきだった。でも、ロイエは目を背けた。知らなくても生きていけたからだ。知らずにいて、平和を享受しているほうが楽だ。それを捨てたのは、ロイエ自身だったが。

「……何故、隊長は降りてきたんですか。貴方ほど口と頭が回るなら、ミゼリコルドの下でこちらの情報を流す方が楽でしょう」

「うわ。ライデン、僕そんな風に見えてた?」

「知らん。難しい事を自分に聞かないでくれ」

「ライデンさんは何故地上に来たんですか」

「自分か? 自分は隊長殿が逃げると言ったから付き合った。……それに、子どもを使って人殺しをさせるような組織の守りなど、自分自身が納得できん」

 ロイエはちらりとライデンを見やる。頭脳労働を苦手とするライデンは命令と自分の心に従う。命令さえなければ、正義感が強い男だ。ロイエには真似できないが、こういう人材も組織には必要だった。

 クヴァルは何か考え込んだ様子で、黙っている。恐らくは、本当に天子が消えた世界で自分が何をすべきか必死に考えているのだろう。

「……何がしたいか分からないなら、アルムの為に、出来る事を考えてあげたらいいんじゃない」

「え……」

「僕は面倒臭い仕事をこれからリーベルに押し付けられるわけだけど、まぁそれが生き残った者の務めだ。これからも、生きるために」

「生き残ったものの……」

「そうだ、さっきの答えを教えてあげるよ」

 にこりと笑みを浮かべ、ロイエはぴっと天井を指さす。正確には、空に浮かぶかの地を指さした。

「僕はあんな妄想に憑りつかれて他人が自分の指示に従うと勘違いしてる男の下で働くのは、まっぴらごめんってわけさ」

 

 フーガの事を窘められない。逃げ出してしまった。だが、それ以外に何が出来ただろう。あの場に居れば、怒鳴ってしまった可能性の方が高い。敬愛するカバネやクオンを、否定したくはないのに。それもこれも、コノエを思って探し出してきてくれた方法だ。もとよりあの二人は本当の意味で「終わりたい」わけではない。

「……あー……、誰かに似て来た。誰かのせいで、感情を優先し始めてる……最悪……」

「おいこら、最悪って何だよ。いいじゃん、コノエは我慢してばっかりなんだよ」

 顔を上げると、フーガが仁王立ちしていた。フーガはコノエをまじまじと見下ろすと、噴き出した。

「コノエが珍しく、本気で凹んでる。ウケる」

「笑い事じゃないッスよ。……何で平気なんすか。いつだって死を一番怖がるフーガが」

「うーん……何でかな」

 言って、フーガはコノエの隣に腰を下ろす。古い、もう使っていない家屋の隣。何でもないこの場所は、コノエにとっては特別だった。

「……なんでこんな変なとこにいんの」

「俺がフーガを拾った場所ッスよ。……何でッスかね。ここに来ると、全部昔に戻る気がするんで」

「そっか、コノエ意外と感傷に浸るタイプだっけ。忘れてた」

 からりと笑って、フーガはぽすっと肩に頭を預けて来た。その温度が、コノエの胸を詰まらせる。

「……優しいな、コノエ。僕は全然、平気なのに」

「そんなわけ、ないッスよ。フーガは痛いのも苦しいのも、泣くほど駄目じゃないッスか。無理して笑ってんのはどっちッスか」

「僕はさぁ、もう、ここで死んでたんだよ、コノエ」

「死んでなんか」

「ううん。死んでた。だから、コノエに拾ってもらって、ここまで来た僕の命は、ご褒美みたいなものなんだよ。だから僕の命は、コノエが使っていいんだ」

 そんな事は、コノエは望まない。命を助けたのも胸を張れる理由があったわけではなかったのだから。自分が立派な人間ではないことは、コノエが一番知っていた。

「クオン、言ってたよ。別に絶対死ぬわけじゃないって。そりゃそうだよな。僕が死んだら、根源ってのにはならないんだから。だから、僕は死なない。僕の命は少し短くなるかもしれないけど、そのくらいでコノエやカバネやクオンが生きて死ねるなら、最高じゃん」

「なにが……何が、最高なんすか。折角、これから、世界はよくなるかもしれないんすよ。フーガなら、十二地区で暮らせるじゃないッスか。怪我を見て、畑を教えて、そうやって普通に生きて、死ねるのに」

「……やだよ。コノエ達が生きてない世界で、僕は笑えない。笑いたくない。……僕と、生きてみたいって、コノエ言ってくれたじゃんか」

「三年、生きたじゃないッスか」

「それはずるい。僕は今でも一緒に生きて、一緒に死にたいんだよ、コノエ」

 寂しそうに呟いたフーガに、コノエは唇を噛み締めた。地下の墓場で泣いて、怯えていたフーガを思い出す。もう一人で泣かせたくないと、思ったはずなのに。ここでコノエが拒否すれば、コノエ達がいなくなった世界でフーガは泣くのだろう。それは、胸が苦しい。

「……僕の命はさ、ずっとコノエ達が守ってくれてた。怪我した時も、トラウマで死にそうになってた時も、ずっと。だから、そのお礼がしたいんだ。その上で、最後まで僕と一緒に笑ってて欲しい。僕の我が儘のせいにしていいから。……後悔なんてしないから」

「……したら、どうするんすか」

「あはは、平気。多分その前に死ぬよ。……五年もつかどうかって、言ってた」

「一瞬じゃないッスか」

「四等分したらそんなもんで、コノエだけなら、もっと長いって。でもさ、カバネとクオンにも生きて欲しいじゃん。……僕は生き直してから、ずっと四人だったから。最後まで四人が良い」

 いつまでも子どもみたいに甘えん坊だ。つい笑ってしまうほどには。たった五年なんて、命を削って、生き延びる意味が分からなくなる。ただ、フーガの言う通り後悔する前に死ねるのだろう。それはきっと、救いだ。救いになればいいと、今は願うしかないが。

 フーガを抱き締めて、コノエは震える声を絞り出す。

「……俺は、生きて欲しいんすよ」

「うん。そうだよ。僕も、コノエには生きて欲しい。願いは一緒じゃんか。……悩む事ある?」

「ない、ッスね。……本当、悩む意味なんて、ないのに。つらくて、怖くてしょうがないッス」

「そうかな。僕はやっと、安心した。恩が返せる。失敗して僕の命が足りなくて先に死んでも、クオン達のこと怒んないで」

「大丈夫ッスよ。……天子さえ終われば、すぐに、追いかけるんで」

 うん、とフーガが頷く。怖くないわけがない。それでも、フーガは強くあろうとしていた。そのひたむきさが、やはり愛おしくて手放したくない。

 

「やるなら三人まとめて。そうしてくれないなら、今すぐ自分を撃って死ぬ。……フーガらしいね」

「馬鹿なのか、あれは。大して未来を望んでない俺にまで使う必要はないだろうが」

 はぁ、と心底呆れた様子でため息を零したカバネに、クオンは苦笑を零す。資料庫の中は今日も薄暗い。照明を極力削っているお陰でランタンに灯した二つの炎が、やっと二人分を明るくする。今日でもう、ここで思い悩むのは終わりだった。

「……僕はね、嬉しかったな」

「そう……なのか?」

「うん。……僕はずっと、嫌われたくないから我慢しようって思ってきた。だって、これからもずっと一緒に居るかもしれないのに、嫌われたら辛いよ」

「……ああ」

「でも、不確定だけど、終わりが出来る。そうしたら、少しくらい我が儘を言える。嫌われたってすぐ仲直りしないと、明日には生きていないかもしれないから、待ってる時間なんてないんだ」

「我が儘を言いたかったのか」

 カバネは意外だ、という顔をする。クオンだって自分が変わったと思うほどだ。カバネも変わった。五百年冷戦をしてた、なんてかつてリーベルやアルムに言った自分に教えてあげたいくらいだ。もう少し頑張ったら、また話せるようになって、地上に出る日が来るから、と。

「フーガを見てるとね、羨ましい事がたくさんあるんだ。コノエと笑い合って、喧嘩して、仲直りして、辛い時は傍に居て。……僕も、カバネとそういうことをしてみたい。死ぬまでの間に」

「……俺が出来ると思ってるのか……?」

「どうかな。出来ないかもしれないね」

「はっきり言う」

「うん。言うよ。だって、まただんまりを決め込んだら、その間に僕達は死んでしまうと思うから」

 五年と見ている。ただそれも推測でしかない。もっと短い可能性だってあった。それでもいいとフーガは笑っていた。ならば、クオン達が躊躇する事は、何もない。

 カバネがふと、手が差し出す。クオンが目を瞬いていると、目を反らしつつ、ぽつりと。

「生きている間は……手くらいなら、繋いでやる」

「……うん」

 どうか最後の瞬間まで繋いでいてくれることをそっと祈りつつ、クオンはその手を握りしめた。

 

――三週間後、地下。

「……カバネ、それで行くの?」

「変か?」

 問い返したカバネに、クオンはふるふると首を振った。嬉しそうに、一歩歩み寄る。カバネは自分の服を見下ろした。

 長らく仕舞っていた黒の衣装。千年もの間眠り続けて、よく虫食い一つなかったものだと感心したほどには、傷みがない。あるいはそれも、コノエがずっと管理し続けてきてくれたおかげかもしれないが。金糸の装飾が、まばゆく見えた。

「……ゴウトの王の凱旋だと思って」

「行く場所は、アーク……いつかと同じだ」

「うん。……そうだった。カバネはこれからもう一度、今度こそ英雄になるんだよね」

「……その言い方はやめてくれ」

「そう? ……僕にとっては、ずっとカバネは英雄なんだけどね」

 クオンの言葉が、くすぐったい。英雄なんて、自分には向いていないのだから。ぱたぱたと走ってくる音が聞こえ、顔を上げる。

「あっれ。カバネ何その服。カッコいーじゃん。一張羅だ」

「か……カバネ様……あぁ」

「えぇ……コノエまた感動して泣いてんの……カバネとクオンに対しては感激に躊躇ないな」

「無駄話はその辺りだ。時間に遅れる。行くぞ」

 カバネの言葉にコノエは背筋を伸ばし、フーガは気のない返事を返す。相変わらずだ。いつしか当たり前になったこの光景が、カバネも嫌いではないが。

「行こうか。……僕達も、最後のステージへ」

 促したクオンに、それぞれ頷く。ナーヴの真実を暴き、天子の呪いを破壊する作戦へ向けて、地下を発った。

 

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