最終話 終幕の続きへ

「え、何。二人してそんなやる気出してどうしたんだよ」

「聖戦には正装で挑むものだよ。まあ、気分は外見からだよ。ほら、アルムも」

「そうだぞクウラ。天子を捨てに行くには天子でいかないと」

「どういう理屈だ。目立つ。なんで目立つことする……」

 頭を抱え出したクウラに、リーベルは苦笑を零した。ロイエとライデンはユニティオーダーの制服。アルムは天子として着ていた礼服を身にまとい、作戦に望もうとしていた。ライデンはロイエに合わせているのもあるだろうが、ロイエやアルムはコントロールできる物ではない。元より、人間を制御するのは難しいものだ。

 肩を落としたクウラの背を叩き、リーベルは叱咤する。

「やる気を無くすよりいいだろう。……頼むぞ、クウラ」

「あぁ……もう……任された。任されてる。これ終わったらしばらく休暇貰うからな……」

「好きなようにしろ。そこからは、俺の仕事だ」

 殊更深くため息をついたクウラは、頭を掻き毟ると顔を上げた。その目にはもう、覚悟が決まっている。

「……号令は任せたからな、リーベル。戦争を終わらせるのは、お前だ」

「ああ、分かっている」

 答えて、無線機のスイッチを入れる。

 敗北すれば後のない最後の抵抗が、始まる。

 

「始めたみたいッスよ、カバネさん」

「ああ、聞こえている」

 地上勢力はリベリオンの隊員に任せ、リーベル達はアークへ乗り込む。唯一の正統な進入路であるエレベーターは、カバネ達がコントロールを制圧した。警備はあるが、止められることはない。その連絡を受けて、彼らは動き出す。

ただ単純に敵の頭を叩くのであればかつてリーベルがアルムを攫った時のように気球を使う方が楽だった。アークとて対空装備は持っていないことはロイエから確認済みだ。それでも彼らが正面から乗り込むことには、意味がある。

「……いいのか? 先にユニティオーダーの数少しでも減らす方が制圧は楽だと思うんだけど」

「これでいい。この辺りの警備はまだ正気だ。言葉が届く」

「そっか」

「それより、時間がない。工業区画へ急ぐぞ。フーガ、道はわかるな?」

「うなされるほど頭に叩き込んだから、大丈夫」

「走るのキツかったら俺が担いであげるんで、遠慮なく言うんすよ」

「コノエはクオン背負っとけってば。追いついて来いよ!」

 言って、フーガは久方ぶりに銃を握って走り出した。一瞬コノエが痛ましげに表情を歪めていたが、生憎とカバネの判断としてもフーガは戦力だ。近接戦闘は主にカバネがするとしても、援護射撃は必要になる。勝つためではなく、全員が生き残るためにだ。

 コノエを視線で促し、カバネも走り出す。リーベル達主戦力がエレベーターで到着するまでに、後一手、こちらも必要だった。

 カバネ達が乗り込んでいることにより、すでにユニティオーダーの兵士が慌ただしく駆け回っている。彼らは乗り込まれることにも慣れていない。どこを重点的に防衛すべきか、指示が不確定なのだろう。かつて陣頭指揮を統括していたロイエの影響力の大きさが見える。それは、大きな利点だ。

「っ、侵入者か?! 居たぞ、殺せ!」

「チッ……数が多い」

 ナイフを抜いて、向けられた銃口に構わず突撃しようとしたカバネは、不意にコートの背中を捕まれ後ろに転倒する。瞬間、銃声が響き、くぐもった悲鳴が飲み込まれた。

 唖然と地面に転がったまま見上げていると、銃を構えたフーガが肩で息をしていた。銃を下げ、フーガはカバネを睨む。

「っ、死ぬことを前提に突っ込むのはやめろよ! 馬鹿!」

「……まだ多分、死なないぞ」

「るっさい! 死んだらどうすんだよ! 今から少しずつ命を大事にする戦い方を思い出せよ。クオンを悲しませんのは僕が許さないからな!」

 正当な怒りをぶつけられ、ついカバネは苦笑を浮かべた。少々背中は痛むが行動に支障はない。さっさと立ち上がると、フーガは後ずさりした。怒られると思っているらしい。

「……お前が正しい。援護は、頼む。牽制して貰えれば俺が倒す」

「わ、分かった。……死ぬのは、駄目だからな。約束だからな」

「ああ、分かっている。……行くぞ、囲まれる前にここを抜ける。コノエ、クオンのことは頼むぞ」

「ウッス! しっかり掴まっててくださいよ、クオンさん」

「うん。懐かしいな。この感じ。……大丈夫、今の僕達には風が吹いているからね」

 頷きあって、再び走り出す。今のカバネには不思議な高揚感があった。忘れようとしていた正義感が自分を突き動かしている。

 フーガが角を折れる。薄暗く狭い道は、このアークという輝かしい土地の奥へと何処までも細く、続いていた。

 

「いやぁ……でもまさか、本当に協力してくれるとは思わなかったぞ……。頼んでみるもんだな」

「あぁ? テメェらに協力しているつもりはねぇぞ。オレはオレの目的がある。テメェらの理想なんて興味もねぇ」

「でも、ヴィダがいるのは心強い。私は嬉しいぞ。ありがとう」

 にこにこと笑顔を絶やさないアルムに、ヴィダは心底嫌そうに顔をしかめる。かつて煮え湯を飲まされた経験があるからか、ロイエは愉快そうに笑みを浮かべていた。

 アークへ続くエレベーターが天上へ辿り着くまであと一分というところか。リーベルは遠ざかりつつある地上に目を向ける。

「勝利できれば、地上は救われるだろう。……アークは、信仰対象を失ってどうなる」

「それは、リーベルの考えることじゃないね」

 すっぱりと、ロイエが切り捨てる。思わずリーベルがロイエを見やると、彼は不敵な笑みを返した。

「君の悪い癖だ。理想が高過ぎて、全部が幸福を手に入れることを考えてしまう」

「それは、良いことではないのか?」

 首を傾げたアルムに、ロイエは優雅に肩を竦めた。

「世界は、色んな人がいるんだ。多様性といえば心地良いけどね。分かり合えない人間っていうのは必ずいる。その上で、最大多数の幸福を探すしか人間には出来ない。世界的な幸福っていうのは、最大公約数でしかないんだよ。それから漏れた人間は、それで終わりだ」

「……夢がないな」

「現実ってものはそういうものだよ、アルム。だから人は夢を見るんだ。果て無き願いを持っているから、人間は多分、簡単に死なないんだよ」

「そうか。……そうだな。現実が夢みたいに幸せで満ちていたら、つまらないな。それこそ不自由だ。うん、私は自由がいいから、苦痛も受け入れよう。……そして」

 アルムが表情を、気配を変える。間もなく、エレベーターがアークへ到着する。

 リーベルは緊張感を受け止め、今一度意識を研ぎ澄ませた。見据えるべき答えを。己が成すべきことを。たとえ、何かを犠牲にしようとも進むべき未来を確認する。

 静かに、エレベーターは停止する。扉の前にアルムが立ち、その左にロイエが、右にクヴァルが無言で立つ。

――ごう、と扉が開くと風が滑り込んだ。

 アルムが一歩、踏み出した。銃を構えていたユニティオーダー兵は、動かない。否、恐らくは衝撃に、動けない。

「天子の帰還だ。道を開けろ。さもなくば」

『構うな、全員殺せ。天子を語る偽物にアークの地を踏ませるな』

 クヴァルの声を遮るように不意に響いたスピーカーからの声に、ぴくりとアルムの指先が震えた。ミゼリコルドだ。だが、最早怯むことはない。

「……そうだ。私はただの人間だ。いや、多分まだ人間と名乗るには烏滸がましい。そう、……天子を返しに来たぞ、ミゼリコルド」

『良くもまあ。賊は全て消去しろ。聖なる土地を奴らの土足で穢させるな。しくじれば、お前達の命もないぞ』

 脅し文句に、ユニティオーダー兵はにわかに混乱を帯び始める。しかし、上官には逆らえない。今の彼らの上官はアルムの傍らに立つロイエではなく、ミゼリコルドだ。

「くだらねぇ長話はもう良いだろ、話し合いなんてする気はこっちもねぇんだ。……退けクソガキ」

 アルムを押し退け、ヴィダがアークの地面を踏む。すう、と大きく息を吸ったヴィダの気配が変わる。

「……お前らに死を届けに来てやったぞ。死にてぇ奴は掛かって来な。残らず殺してやる」

 

 ユニティオーダーの指揮権は混乱しているようだった。無理もない。今トップに座すのは、戦術も戦略も分からないただの聖職者だ。教えを解くことは出来ても、適切な指揮系統が無ければ大勢の兵は動かせない。

「ヴィダのやつ、派手に暴れ回ってんな……いやいつも通りか」

「でも、極力殺すなというのは渋々守ってくれているようだぞ。流石はヴィダだ」

「お前さん、なんか取引してなかったか?」

「なに、殺しすぎるとオルカの商売相手も減るぞと忠告しただけだ。金儲けができないと、養う子らに服や住処を与えられないだろう。それはオルカが大困りだ」

「ははは、アルムは交渉というものを心得ているなぁ」

「感心するとこ?! いやあの純粋な少年が曇りなき眼で相手の痛いところをつくようになるとはなぁ」

 感心しつつ、走り抜けつつ壁に設置した爆薬が爆発するたびにクウラは口笛を吹く。だいぶ機嫌が良くなってきたようだ。爆弾を炸裂させるたびにクウラのストレスは減る。リーベルとしては、それくらいでちょうどいい。

 目指す場所はナーヴ教会の中心。大聖堂。リーベルとクヴァルが先陣を切り、アルムが続いて、しんがりはクウラとライデン。遠距離からの攻撃には弱いが遮蔽物がないわけではない。間もなく、教会のテリトリーでも人の立ち入りが規制され始めるエリアに差し掛かっていた。

「アルム、本当に大聖堂に直接向かって良いんだな?!」

「ああ、そこだ。そこに全部ある。昔、私はあそこでエーテルエーア様に教えてもらった記憶がある」

「何を教えてもらったんだ?」

「大聖堂の床。丁度、四年に一度だけ私が姿を出す場所があるだろう。あそこに、一箇所だけ色の違う床がある。白石ばかりかあるあの空間に、黒い床が一箇所。私は必ずあそこに立つように言われていた。目印だと思って気にしなかったが、あれは違う」

「なら、それが」

「ああそうだ。天子の呪いを生み出した根源そのもの。千年より遥か昔に私の祖先が暮らしていた村から運び込まれた、唯一ナーヴのものではない、根源だ」

 リーベルはクヴァルを一瞥する。タイミングが同じだったか、視線がぶつかった。鼻を鳴らしてすぐにもクヴァルは目を逸らす。

「くだらない芝居に加担してやるのは、全てアルムの為だ。地上民のためだなどと、勘違いはするなよ」

「クウラ聞いたか?」

「あー? なに、聞こえない!」

「クヴァル、もう少し大きい声でもう一度頼む」

「お前……ふざけてるのか……?」

 殴りかかられそうな瞳が向けられたが、リーベルは笑って返した。前を向く。巨大な聖堂の扉が見えて来た。

「それくらいの余裕をもって、最後の仕上げと行くぞ、クヴァル」

「……言われなくても」

 大聖堂の扉を、開け放つ。がらんとした、静寂の空間へと飛び込んだ。

 かつてはアルムを奪いに来たその場所は、耳が痛くなりそうなほどに静かだった。天井は修復され、それでも陽の光が注ぐような作りは変わらない。その静謐な空間に、上部の一人の聖職者が立っている。

「やれやれ……血気盛んで野蛮だ。これだから地上人は困る。地べたを這いつくばり、泥の水たまりですら奪い合うような愚かさは、迂闊にも天に牙を剥いたか」

「そうだ。その野蛮な地上の人間が、これからお前を追い落とす」

「追い落とすぅ? 笑わせるな。お前たちに何が出来る。そこにいる天子に出来るのは、精々人殺しだ。エーテルネーアが何を仕込んだのか知らないが、たかだか経典一つ盗まれたところで、そこの人形は相変わらず、兵器のままだ」

 侮蔑に歪んだ笑みにざわざわする。怒りを誘発するような口調に、剣の柄を強く握り締める事でリーベルは耐える。クヴァルも同様な気持ちのようで、がたがたと手を震わせていた。

 こつ、と一歩踏み出したミゼリコルドの足音を合図にしたように、左右の扉からユニティオーダーの兵が雪崩れ込む。ミゼリコルドの盾となる様に並んだ彼らの瞳は、一様に生気がない。手の甲に、聖印が見える兵もいた。

「……チッ、聖印ってのは人の意識さえも乗っ取れるのかよ」

「残念だな。お前たちにはない我ら選ばれし民だけが持つ能力だ。ナーヴの神髄。拘束と方向性の術式。まぁ、どうせこいつらはナーヴの盾となり剣となれればそれで役割は完璧だ。そもそも思考する必要さえない」

「……この外道が」

 吐き捨てたクヴァルに、ミゼリコルドはにんまりと笑う。

「お前に施した聖印も、最初からこうしておくべきだったな。残念だ。さて、天子。今更何をしに戻ってきた?」

「……何をしに? 知れたことだ」

 すっとアルムが前に出る。クヴァルが止めようとしたのを、リーベルが素早く手で制した。

 ユニティオーダー兵の隊列を前に、アルムは凛と立つ。それは、確かに人を導くにふさわしい神々しささえ感じさせる。

「ナーヴ教は、主への祈りを捧げ、安寧を感謝するものだ。お前こそ、何をしている」

「……生意気な口を聞くようになったな」

「意に添わぬものを全て排除し、神にでもなったつもりか? 人間風情が、分を弁えろ」

「おいおい、お前こそ何を言っている? 神にでもなったつもり……というのは、そっくりそのまま、返すぞ。所詮偽物、天子などただの人形だろうがよぉ」

「ほう。私を偽物というか。人形というか。なるほど、随分と無礼なものがナーヴのトップに立ったな。呆れたものだ」

「……あぁ、あぁ、イライラする。何だこいつは、地上で気でも狂ったか? ならナーヴのトップたる私が、安寧の為に次の天子に後継させてやろうなぁ!」

「アルムッ!」

 ユニティオーダーの兵が、一斉に踏み込んだ。瞬間。

「天子の名において命ずる。天子の加護の契約は破棄とする」

 鈴が弾けるような音が大聖堂に木霊し、ユニティオーダーの兵は糸が切れたように床へと倒れ込んだ。誰一人、アルムの衣服にすら触れることなく。聖印の破棄により、彼らは一時的に意識を失ったのだろう。絶句したミゼリコルドを見上げ、アルムはさらに一歩前に進んだ。

「……天からの使いたる私を偽物、人形呼ばわりか。俗世の代表程度が何を宣っている?」

「おま、え。なにをした。お前ごときがナーヴの秘術を使えるはずが」

「おかげで、主はいたくお怒りだ。地上も天ももうどうでもいいと申されている。加護は取りやめだ。天子たる私も、この器との契約をこの啓示を持って破棄とする」

「加護? 主? 馬鹿か、そんなものは最初からいない! 全ては超効率化された古からの産業文化だ。お前に与えられたその力も所詮は人殺しの道具にしかならない不完全な呪術の残骸だよ!」

「……ミゼリコルド、お前はどこで何を言っているのか、まだ分からないのか?」

 その一瞬だけ、アルムの口調が変わる。何かを叫びかけたミゼリコルドは、しかしさっと青ざめて固まった。

 リーベルも振り返る。大聖堂の入口。そこには二人の人間が立っていた。長い金糸の編まれた黒コートを揺らして、一歩踏み込んできたカバネの隣には、穏やかに微笑むクオンがいる。

「……ナーヴでもっとも重要視されているものを、宗教というものを、お前は根本的に分かっていないな」

「終わりだ。僕達の先祖から奪ったものは、全て返してもらうよ、ナーヴ」

 彼らの後ろには、民衆がいた。青い顔をして、ざわついている。ミゼリコルドを遠くから見る彼らの目は、懐疑に包まれていた。

「貴様ら……まさか」

「そうだ。アーク内に、この聖堂内の音声は全て放送されている。戦わずして敵を減らす、俺の名案だ」

 クウラが笑い、ライデンは賢いなお前、この場で感心していた。リーベルは怒りに震えるミゼリコルドを見やる。

「アークの人々にとって、天子は全てだ。ナーヴのトップなど、所詮仲介者に過ぎないのを、お前は過大評価していたんだ」

「愚民どもが……何も知らず、恩恵だけを享受してきやがったくせに、私に楯突くだと……?!」

「そういう支配を選んだのはお前だ。……これからの時代に、偶像はいらない。ここで終わりだ」

 すっと、アルムが両手を掲げる。空の太陽を受け止めるように。

「聞いているか、敬虔な信徒たち。主は今までのお前たちの祈りには感謝している。だからこそ、奇跡のせめてもの代用品は残しておいた。それでも、今日限りで終わりだ。どうか、己の足で、目で、この乱世を生きろ」

「天子様! ああ、天子様!」

「行かないでください天子様!」

 わっと雪崩れ込んできた人々は、しかしそれでもアルムには近づかない。無理もない、それはナーヴの教えに背くからだ。だが、彼らの心の支えとした存在は、確かにそこにいる。宗教とは救いと拘束を同時に成し遂げるのだと、リーベルは今更戦慄した。

「天子の名において命ずる。……アークに住まう信徒と天使の加護の契約並びに、主と、我が器との契約はこれにて破棄とする」

 瞬間、大聖堂の天井が叩き割れた。光が閃き、ミゼリコルドはその場を飛びのくが少し遅く衝撃に吹き飛ばされていた。落下物の衝撃により、轟音と衝撃波が聖堂を揺らした。

 意識を失ったアルムを咄嗟に庇ったクヴァルの前に立ち、リーベルは目を細める。ミゼリコルドは頭から血を流しつつよろよろと立ち上がっていた。

「……おいおい、逃げてんじゃねぇぞ。折角お前の死が来てやったって言うのによぉ」

「私の……聖印まで、消されただと……? おのれ……おのれおのれ、人形と地上民の分際でッ!」

 ゆらりと立ち上がったヴィダを、血走った眼で睨みつけたミゼリコルドは経典を投げ捨て手の甲を掲げる。

「天子の呪いがなくなろうとも、ナーヴの呪術はあるんだよ! まとめて死ね!」

 怖気が走る。頭を一発殴られたようなめまいを覚え、素早く頭を振って意識を保つ。先ほどユニティオーダーの兵が雪崩れ込んできた扉から、ぞろぞろと兵が現れる。

「外道が。死体に何てことしやがる」

「な……!」

「何とでも言え。ほら、さっさと全部叩き潰さないと、折角天子が私の支配から救い出した気絶中の兵士が死ぬぞ? 敬虔な信徒たちが皆殺しだ」

 人の心はないのか。嘲笑いながら聖堂をよろよろと出ていくミゼリコルドを追いたいが怯えて抱き合う罪のない人々をリーベルは放置も出来ない。アルムはまだ、意識を失ったままだ。自分の身すら守れない。ヴィダとクウラ、ライデンが応戦しているがどこから湧いて来るのか数の不利が凄まじい。

「今はこれを殲滅しろ、リーベル。多分、ずっと保管されていたアークの住人の死体だ。俺は街に行く」

「自分もいこう! では後でな、死ぬなよ!」

「ちょっとちょっと! こっちも分が悪いんだけど?!」

 クウラが非難の声を上げるも時すでに遅し。ライデンはカバネと駆けて行ったあとだった。残されたクオンは黙って扉を閉めて、恐怖に震える住民たちへ手を伸ばす。

「大丈夫。さぁ、祈ろうか。明日を生きるために、今日を生き残れるよう」

「ああ……あぁぁ……」

「クヴァル、アルムは預かるよ。……リーベルとヴィダと一緒に、この人たちを守ってあげて」

「分かった」

 素早くアルムを預けると、クヴァルも戦線へと立つ。ヴィダは人間離れした速さで次々に叩き潰していた。思えば、この二人と同じ戦線に立つことがあるとは想像もしていなかった。この先に思っていた未来とは違う形のものが、あることも。

 それでもリーベルは軽やかに剣を振るう。未来を諦めないために。

 

「ああくそ……最悪だ。下民の分際で、人形の分際で」

「やられっぱなしじゃない、ナーヴのトップがさぁ」

 ハッとミゼリコルドが顔を上げる。ロイエはにこりと微笑んでみせた。

「やぁ。随分とぼろぼろじゃないか。まだ誰とも一戦交えてないと聞いた気がするけど、気のせいか」

「……チッ」

「ああ待った待った。僕は平和主義で武器は嫌いなんだ。見てほら丸腰。可哀想なナーヴのトップを、安全な場所まで案内してあげようと思ってねぇ」

「……何?」

「こっちだ、ついてきて」

 ひらりと踵を返してロイエは歩き出す。足音がついて来るのを確認して、薄暗い街の縁を進みだした。通りの向こうでは、ミゼリコルドの放った呪いの死体がユニティオーダーと戦闘をしている。また何人か、命を落とすのだろう。

「……何故私などを逃がす」

「そりゃあアンタについた方が楽できるからに決まってるだろう。あっちではこき使われてしんどかったんだ」

「は……それは似合いだよ」

「天子の呪いがなくたって、あんたのその呪術ってやつは死体を動かせるんだろう? 死体なんて地上にも山ほどある。楽して暮らせそうだ。……ああ、着いた着いた。割と早かった」

 アークの空中都市の最外郭。そこには脱出用装備が用意されていた。ついぞ使う事はないとロイエも思っていたが、最大の好機が廻って来たらしい。

「これを使えば安全に地上へ向かえる。その後はまぁ何とかしてもらうけど」

「……ああ、そうだな。はは、必ず報いは受けさせる。私を嘲った事を必ず……」

 ぱん。乾いた音が一発。ロイエはごとりと、腕を落とした。ミゼリコルドの右足からは、血が流れだした。

「お前、本当に自分は誰も勝てないと思ってるんだな」

「な……ぁ」

 ポッドに乗り込もうとしたミゼリコルドの背中を蹴り飛ばし、更に左肩にもう一発。

「は、おまえ、何を、私に、何をしてるのか分かっているのかぁぁ?!」

「撃ってる。あと十発くらいしか使えないのがこの腕の不便な所だよねぇ。でもさぁ、簡単に死なれると困るんだ。だから、恐怖して死んでもらうよ」

「ふざけるなお前も殺す、殺してやる!」

「殺す殺す煩いな。散々聞いたよ。戦地でさ。その度僕は生き残ったよ。はは、凄いだろう」

 ひゅっと空気を裂いた音に、ロイエは身をかわす。土色の顔をしたもう溶け始めた死体が剣を振るう。嫌なものだ。足と胸の位置を狙って二発。衝撃に傾いだ死体はアークの地面から落ちて空へと振り落とされた。

「……それじゃあね、これクウラくんの特性なんだ」

 怨嗟の声が、閉まった扉で途切れる。数瞬。完全にポッドが切り離される前に、爆弾が作動してポッドが炸裂した。衝撃波が、ロイエを吹き飛ばして壁に叩き付ける。叩き付けられた衝撃で、意識がくらくらした。そこに、見覚えのある足が見えた気がした。

「……ああ……、大丈夫、仇は……とったよ、シャオ」

 そんなことは願ってなんかいないよ、と抑揚のない声が風に交じって聞こえた気がした。そうかもしれない。あの子はそんな人間じみた感傷を何とも思わない子だった。つい笑ってしまう。びし、と亀裂の走る音がした。

「ふふ……、馬鹿な父親だって、笑ってよ。楽な生き方が、あったはずなのにさ。……ああ、どこから間違えたんだろうな」

 亀裂が広がる。耐衝撃ポッドを吹き飛ばすだけの爆薬量だ。アークの地面だって、耐えきれるわけがない。私怨など抱かないと誓っていたはずの自分がその約束を破棄したのだから、報いは受けるべきだろう。リーベルから面倒な役割を任されることも、なくなるのだから。

 空を見上げれば、変わらぬ青がある。ばきん、とロイエの周辺を支えていた床の鉄骨が折れた音が聞こえた。

「……駄目な父親で、残念だったかな」

「そんな事はないと思うぞ、隊長殿」

「へ……?」

 襟首を掴まれていた。足元はすでに崩れて、地上が遠くに見える。恐る恐る仰ぎ見れば、にっとライデンが笑う。

「まだ死んでもらっては困る。指揮系統がめちゃくちゃだ。それに、伝えていなかったことを思い出した」

「は……?」

「親孝行したいと、言っていたぞ。シャオ。まぁ、そうする前に死んでしまったがな」

 言葉が、出なくなった。引っ張り上げたライデンは、ロイエの怪我を確認する。その顔には、嘘は書いていなかった。

「……はは。……そうか、そんなこと……思って、くれてたんだ」

「あー、いや。でも結果的にロイエ殿がアークのボスになるのならそれは大出世なわけで……一つの親孝行か?」

「馬鹿言うなよ。最悪だ。僕は責任者なんて、大嫌いなんだよ。……はぁ、本当……むしろ親不孝だ。親より先に逝くやつがあるか。くそ、敵討ちなんて柄でもない事僕にさせるなんて、最悪の親不孝だ」

「そう言うな。……全部これからなのだろう。……シャオに誇れる父親は、ここにいるさ」

 頭脳労働は苦手だという割に、感傷の核心を突いてくるのはやめてほしい。似合わない涙を飲みこんで、節々痛い体に鞭打って、ライデンに手伝ってもらって歩き出す。

 ユニティオーダーへの指令はまだ途中だ。被害情報の確認や住民の救出。ナーヴがなくなった今、アークを支える事はユニティオーダーにしかできない。

 

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