第四話 指環ワンカラット

 マネージャーからの鬼のような電話に辟易して、シカトしていたら現場でこっぴどく怒られる羽目になった。朝の情報番組前にうんざりするほどのお小言を食らったが、まぁ放送自体は乗り切った。共演者からは苦笑いで肩を叩かれたが。

「はぁ、次の撮影はなんだっけ、マネージャー」

「それより説明してもらっても?!」

「いやさっきから言ってると思うんだが、海に行ったのは本当だし、今は同居してる」

「結婚する予定は?」

「それはどうなんだかな。……俺だって答えが知りたい」

 マネージャーは不思議そうに眉を顰めたが、俺はずっとため息をつきたいんだが。

 昨日海ですみれをナンパしていた男達がネットに流したらしい写真で、俺のネタが大賑わいだ。付き合ったことも会ったこともないような女達まで元カノ顔してくるのは不愉快だが、それはこの際どうでもいい。どうせ飽きた頃に大衆はゴシップなんて忘れてしまうんだからな。

 足早に局の廊下をすり抜けて、車に乗り込む。マネージャーがまた大きく肩を落としたのには、多少は申し訳無さも感じたが、今更だ。それより。

「……返事くらい寄越せ」

 開いたラビチャの画面には、既読しかついていない。どうせなら未読スルーの方が傷つかないぞ。

─今どこにいる?

 ネットに夜の間に写真が出回ったせいか、朝にはすみれの姿はどこにもなくなっていた。

 

「あらあら、初めて尻尾を掴ませてしまったんじゃないですか? 御堂さんにしては爪が甘いですね」

「好きに言え。まぁ、付き合ってもない女が次々沸いてくるのは面白いぞ」

「日頃の行いですね」

「……そうかもな」

 つい声のトーンが落ちた。巳波は怪訝そうな顔をして、グラスに口をつける。また今日もこいつに呼び出されて食事に付き合わされているわけだが、今日ばかりはちょうどいい。すみれが姿を消して四日、帰宅しても人のいない空気を感じるのが少しキツくなってきたからな。

「もしやと思いますけど、本気なんですか?」

「おい、もしやとは何だ」

「だってあれ、花巻すみれさんでしょう。真偽がネットで騒がしいですけれど。仮にもそうなら御堂さん、自分がかつてした事お忘れなんですか?」

 ストレートに抉ってくるな、こいつは。まじまじと見つめてくる巳波は今日も容赦がない。言われなくても、そんな事は分かってるんだよ。その罪滅しのつもりで、支離滅裂な行動をとったが。本当に……あいつに罵倒されて終わるはずだったんだよ。何故か、そうなっていないだけで。

「……分かってるから、ため息をついてる」

「意外です」

「あのな、俺だって反省くらいは」

「貴方が一人の女性に真剣になるのが意外なんですよ」

 それには、咄嗟に何も言えなかった。俺だって……そう思うからな。巳波はふっと笑った。それは多分、良いおもちゃを見つけた子供の顔に近い。

「それで、その顔だと逃げられてしまった顔ですけれど」

「うるさい」

「追いかけなくていいんですか? 御堂さんらしくはないですけど、追いかけないというのも悪手なのでは?」

「それをお前が言うか?」

「私は……約束しましたから。ここで待つと。……そもそも、私と狗丸さんはちゃんと二年は付き合ってます」

 むっとして言い返すなよ。お前がそれを完全に受け入れてないことは、薄々分かっているけどな。こいつらは散々手が掛かって、それでも何とか形を保ってきた。羨ましいくらいには、丁寧に。

 ふと、あの日トウマが自分の気持ちから逃げ出して、へこんでいた姿を思い出す。

「人のことは、笑えないか」

「何の話です?」

「何でもない。……少しトウマのことを見直しただけだ。あいつは勇気があるな」

「そうです。凄いんですよ、あの人は。私なんかでいいんですから。……こんな面倒な私を、私の作る曲を、掛け値なしに大切にしてくれる人はあの人しかいませんよ」

 ふっと巳波は寂しそうに笑った。あ、余計な地雷を踏んだな。これはあと十分もすれば泣き出す。面倒だが、俺の失敗だからそこは飲み込むしかない。

 でも、こいつの気持ちも今は多少分かる。置いていかれるのは、きついな。答えをもらえないのはなおさら。それでも巳波と違って俺はきっとまだ、簡単に手が届く。

 どんな答えを突き付けられるとしても、俺はもう一度だけすみれに会わなきゃならないんだ。

 

 生憎の雨だった。いつもそうかもしれない。何か答えを決する時は、雨が付き纏う。窓に叩きつける程の雨は、勘弁願いたいんだがそうもいかないらしい。

 静かな喫茶店には、マスターの淹れてくれたコーヒーの香りが漂っていた。

「来ないかと思った」

「私は、本当にいるとは思わなかったよ」

 ちょっと困ったように笑ったすみれに、ほっとしてしまう。その顔を見たのは、二週間ぶりだ。元気そう……ではあるようだが。

 雨で濡れたか毛先が重そうなすみれは、俺の対面に座ると、途端に頭を下げた。流石に面食らう。

「ごめんなさい。私が迂闊なせいで、写真を撮られて」

「いや、それはいい。あと半年か? それくらいには、俺にスキャンダルを起こすつもりだったからな」

「……うん」

「だから、良いんだ。それよりは、俺はすみれの答えが知りたい。聞かせてくれ。その為に呼び出したんだからな」

「ほ、本気で言ってるの?」

 動揺するすみれに、黙って頷く。いや、それ以外に何回も何十回も返信しないお前にどうしてラビチャを送ったと思ってるんだ? 俺は終わった女は即座に連絡先を消すぞ。そういうものだろうが。

 すみれは唇を噛んで、視線を彷徨わせる。言葉が見つからない、のかもしれないな。俺だってそうなんだから、余計だろう。

「……少し、話をするか」

「話?」

「ZOOLをやって、命懸けで楽しいことを、俺は初めて見つけた。駆け抜けた三年、終わってしまったけど後悔はない。きっとまたいつか、辿り着けるかもしれないからな」

 不思議そうな顔をしたすみれに、笑みを向ける。そうだよな。俺らしくはない話をしてるよ。少し気分が軽くなって、肩から力が抜ける。紡ぐ言葉が、容易く浮かんできた。

「何もなくなって、御堂虎於一人になって、あんたにしたことの責任取らないといけないなと、思った。だからあんな提案をした」

「そんな必要なかったのに」

「かもしれないな。でも、馬鹿げていたけど、お陰で俺はすみれって人間をやっとちゃんと見れたんだよ。割合不器用で、義理堅くて、……そこそこ料理が出来るってこととかな」

 む、とすみれは半眼で俺を睨む。そう怒るなよ。つい苦笑が溢れる。

「香代さんに比べたら腕が落ちるのは仕方ないだろうが。でも……それが良かったんだ。家庭の味ってやつか? 温かかったよ」

「……そう」

「そういう生活を、俺はもっと続けたいと思った。この間海ですみれが蹲って怯えていたとき、そんな顔はさせたくないって思った。多分、こういう感情を好きだって言うんだろう。今まで、こんなの知らなかった」

「虎於さん……」

 どうして申し訳ない顔をするんだよ。別にお前に振られるとしてもそれは当然の事だろう。平手打ちされたって仕方ないんだ。俺はそれくらい、最低なことをしてきたんだから。

 じっとすみれは沈黙する。窓に打ち付ける雨の音が、今だけは心地良いな。

「……初めは、困らせてやろうって、思いました」

「うん?」

「わけ分からないんですよ。いきなり現れて、偽りでも結婚するとか、家に招くとか、全部強引で滅茶苦茶だった」

 否定できやしないな。我ながら突飛すぎる。他人の話だったら耳を疑うような内容だ。よくすみれはそれについてきたよな。思えば不思議だ。

 噛み締めるように言葉を紡いでいたすみれが、顔を上げる。真っ直ぐな視線に、俺も背筋を伸ばした。

「でも、変に優しくて気が回って、分からなく、なったんですよ。あの時私を使い捨てた貴方が本当なのか、今の貴方が本当なのか」

「どっちも俺だ。悪いな」

「そうなんですよね。……どっちも貴方だった。良いものばっかり食べてたくせに、私の料理を残さず食べて、困ってたら手を引いてくれて、……私を私のまま見てくれたのは、貴方しか、居なかった」

「そう、だったか?」

「うん。……それが、嬉しくなってた自分には薄々気付いてた。だから、迷惑かけたくなくて、逃げ出した。ごめんなさい」

「すみれは何も悪くないだろうが。……というか、答えになってない」

 はっきりしないのは苦手だからな。こんな言い方しか出来ないのは、俺の弱さでもある。すみれは苦笑を溢して、俺の瞳を覗き込んだ。

「もう一回、聞かせてもらえる?」

「何度でも言ってやるよ。……俺とちゃんと、付き合う気はないか? もちろん、結婚を前提にだ。ついでに婚姻届の紙なら持ってきてるぞ」

「だから、早いんだってば! もう……それは取っておいて。……もう一年、待って。ちゃんと付き合って、それからでも……いい?」

「駄目なんて、言うわけ無いだろうが。……あー……、こういう場合、指環を用意しておくべきだったか……?」

「どうしてそう、貴方は一足飛びかなぁ。一つ一つ進ませてよ。急に走り出したら、怖くなってしまうじゃない」

「……わかった。とりあえず、帰るか。……戻ってくるだろ?」

 少しだけ不安が首をもたげる。また距離を取り直されたら、流石にへこみそうだからな。すみれはくすくすと肩を揺らして笑っていたが。ついむっとしてしまう。

「笑うな」

「ごめんなさい。……うん、帰る。ありがとう、虎於さん。迎えに来てくれて」

「気にするな。お姫様のエスコートは得意なんだ」

 二人で笑い合って、少しだけ他愛ない話をしてコーヒーカップを空にする。店を出る頃には雨が上がり、空にはいくつか星が瞬いていたが、辛うじて捕まえた宝石の原石に比べたら鈍い光だった。

 

「なんで不貞腐れてるんですか……?」

「今日もキスを拒否られた」

 無愛想に答えた俺に、マネージャーはぽかんとした。いや、マネージャーだって男なんだから、これはおかしいと思うだろ。腕を組んで、狭いエレベーター内の壁に背中を預けると、駆動の振動が伝わった。

「付き合ってるんだぞ? ついでに同棲してる」

「いやそれ堂々と言わないでくださいよ」

「普通キスくらいするだろ。なのに朝からするとか獣かってなじられた」

「バカップルの話聞かされなきゃいけない感じですか?」

「はぁ……、女ってのはやっぱり面倒くさいな……」

「だったらスキャンダル巻き起こす前に別れてしまうというのはどうですか」

 我が意を得たりといったような明るい表情を見せたマネージャー。あんたはそういう心配を俺にしてるんだな。期待するマネージャーに対し、俺は優雅に口角を上げて、肩をすくめてやった。

「それはないな。口説き落とすまでが俺の仕事だぜ、マネージャー」

「はぁぁぁ……仕事滅茶苦茶詰め込んでやりますからね……」

 酷いやつだな。俺に帰宅させないつもりか? プライベートくらい好きにさせてくれたっていいだろうが。もう良い子のアイドルやってるわけじゃないんだし。なんの気無しにスマホを確認すると、ラビチャが一件。また巳波からの食事の誘いじゃないだろうな。最近頻度が上がって面倒くささが増してきたんだよな、あいつ。

 ため息をつきそうになりつつ画面を開いて、つい苦笑いが溢れた。

「マネージャー、今日の仕事はこれで終わりだろ。ここで解散だ」

「は?! 少し今後の展開について話そうと言ったのは御堂さんですが?!」

「また今度時間を作るよ」

 丁度一階に到着し、開いたエレベーターの扉をすり抜ける。マネージャーが半歩遅れて追い掛けてきたが、生憎と俺のほうが背が高くて足も長い。リーチが違う。喚くマネージャーをさっさと置き去りにして、俺は局を後にした。

 

 派手なネイルやブランドバッグで身を固めた女達とすれ違いつつ、待ち合わせのロータリーへ急ぐ。毎度思うが、この辺りは駐車場が少なすぎる。それを言うと、すみれは電車を使えと笑うが人混みなんて面倒じゃないか。

 雑多で、誰も彼もきらびやかさに舞い上がろうとしている空気があふれている。そんな空気から隠れるように、ぽつんと柱の横でスマホを見つめている姿を見つけた。その姿に、つい安堵してしまうなんて、俺も変わったものだな。歩調を少し早めて近付くと、気配でも察したかすみれは顔を上げた。

「待たせたな」

「すごくね」

「おいおい、手厳しいな」

「嘘。冗談。……でも少しだけ心細かったんだからね」

 急に可愛いことを言う。まぁ……一応分かってるつもりだけどな。すみれの抱えてる他人への不安は。抱き寄せようとして……、その前に指先が捕まった。

「……うん、大丈夫」

「そ……うか」

「え、何? どうしたの?」

 覗き込んできたすみれから、慌てて顔を反らす。いや、今は見るな。本当に。

「えっ、もしかして照れてるの? なんで?!」

「何でもない」

「……まさか、あれだけ女慣れしてますーって空気して、手を繋いだことないの?」

 それはない。それはないが、勝手に腕を組まれてベタベタ触られてた方が圧倒的に多かったから、久しぶりすぎて動揺してしまった。大事なものを、手のひらに収めたのは……いつぶりか分からない。顔を逸らして視線から逃れていると、すみれは噴き出した。

「あはは! そうなんだ。知らなかった。普通キスより先に手を繋ぐもんだけどなぁ」

「ガキっぽいんだよ」

「じゃあ今日は帰るまで手を繋ぐってことで」

 俺が嫌と言う前に、すみれは俺の手を引いて歩き出す。たかだかショッピングに付き合うだけだっていうのに楽しそうだな。

 しかし、普通の付き合い方ってのは……恥ずかしいものだな。ついあの二人を思い出す。

「……普通、な」

「なに?」

「いや。……まさか俺が、一人を選んで普通の恋人っぽいことをするなんて、思ってもなかったんだよ」

 苦笑した俺に反して、すみれの顔が曇る。何でそんな顔するんだ、こいつは。放っておけなくなるだろうが。

「誇れよ。お前は俺が選んだ女だぞ?」

「その自信過剰、早い内に直したほうがいいわよ……引くから」

「事実だろうが」

 はいはいと軽く受け流されるのは、少し不服だな。本当、俺のことを邪険に扱うのはお前くらいだぞ、すみれ。

 赤信号で立ち止まるとふと、繋いでいた手にすみれが力を込める。横目で見やると、白線を見つめた瞳が、少し不安げに揺れていた。

「近い内に……十さんに、謝りに行きたいから、付き合って」

「すみれ……」

「どんな悪態も我慢しなきゃでしょ。……弱くて惨めな女のこと、ちゃんと抱き留めてね」

「安心しろ。龍之介はそんな男じゃないし……、謝るときは、俺も付き合うさ」

「……ありがとう」

 ほっとしたような笑みを向けたすみれに、頷いて返す。誰からも祝福されないし、理解されないかもしれない俺達だ。せめて、二人で倒れないように生きていくしかないよな。

 信号が青に変わる。動き出した人の群れに混じって、俺達も繋いだ手をそのままに、人に紛れて踏み出した。

 

【END】